交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
セルジュ・チェリビダッケ指揮スウェーデン放送交響楽団
69/09/24
Deutsche Grammophon POCG-10257

 ブックレットの最後のページを見て驚いた。ベルリン・フィルハーモニーでのライヴ録音とある。チェリがカラヤンの存命中は彼を毛嫌いしてベルリンには寄りつかなかったと私は勝手に思い込んでいた。そうすると、7番MPO番の冒頭には随分と間抜けなことを書いてしまったことになるが、まあいい。(チェリはベルリン滞在中、カラヤンに会ったのだろうか? 会っていたとしたらどんな話をしたのだろうか? メチャ気になる。)
 さて、当盤は出来心で入手したものの、あるサイトでは「冒頭のホルンが危なっかしい」など例を挙げつつ、それほど高く評価されていなかったので、そんなに期待せずに聴いた。が、非常に良かった。(楽器の全くできない私にはホルンはちゃんと吹けているように聞こえた。) まず録音がよい。ライヴの生々しさでは73年SDR盤だろうが、響きが混濁しており、時に音の欠落や揺れ、さらにはリミッターによる調整もある。(状態の良い「鐘」盤がそうなのだから、ARKADIA盤やEXCLUSIVE盤は推して知るべしである。)一方、当盤はテープの保存状態は万全だったようだ。この時代の録音としては上々である。優秀録音のお陰で、どの楽器の音色も非常に美しく聞こえる。(粘り気味のブラスは好みが分かれるだろうが私は好きだ。)第1楽章のコラールの美しさとバランスの良さは私が所有するチェリの4番中ではピカイチだ。演奏時間は4年後のSDR盤の方がトータルで3分以上長いが、基本的に解釈はほとんど同じだと思う。(当盤でも第1楽章の終わりの「軟着陸」はしておらず、終楽章コーダの「ザンザンザンザンザンザン」はSDR盤よりも抑えられている。)ということで、両盤を入手するチャンスが同じなら迷わず当盤を購入することを薦める。(4楽章はかなり遅いが、チェリが「まともな」テンポで振ったブルックナーとしても当盤は貴重なのではないか?)ただし、当盤は楽譜にない打楽器と声楽が採用されてはいるものの控え目で、その点ではSDR盤に一歩を譲る。(終楽章のエンディングはかなり派手にやっているようで、「ドスン」という足音も何度か聞こえるが、全面には出てこない。マイクが遠かったのだろう。)よって、チェリの声フェチの方はSDR盤を買ったら良かろう。
 ブックレットに載っていた齋藤純一朗の解説が面白かったので、ここからはそれについて述べる。(演奏評はどうした?)チェリは師ティーセン(←誰や?)に「お前は馬鹿だ」と言われて反省し、やり直し、そして「開眼」したのだそうだ。(彼が過去の自分を否定していたという記述もどこかで読んだことがある。どこだったっけ?)齋藤の考えでは外面的で内容の伴わない演奏と派手な指揮ぶりを師は諭したということである。私もSDR時代の映像をNHK-BSで何度か観たが、そのユーモラスな指揮ぶりには笑わせてもらった。横道に逸れるようだが、職場内のある先生(専門は宗教学&英語、著書に「宗教を考える−ジョン・レノンの世界−」って音楽と宗教を結びつけるところは何となく浅岡弘和に似てない?)によると、「人間は自分の嫌なところ、欠点を他人に見つけると、そこを攻撃したくなる」のだそうだ。(「自分にその欠点がないから攻撃する」ではないところがミソである。逆説的だが真実だと私も思う。)チェリの「カラヤンはチンドン屋だ」という言葉は、嫌な記憶(過去の自分の醜い姿)がカラヤンによって呼び覚まされていたからこそ出たのではないか。私はそう考えている。

2005年1月追記
 「チンドン屋」とともに有名なのが、カラヤンを「コカコーラ」呼ばわりした件であるが、それについて昨年末に某掲示板のチェリビダッケのスレッドに興味深い投稿があった。インタビューで他の指揮者をどう思うかと尋ねられ、クーベリックを「おそらく話の分かる唯一の人間」、サヴァリッシュは「大学の学長のような人」と答えた後、こう言ったらしい。

 そしてカラヤン。
 私は彼が大衆を夢中にさせることを知っている。
 コカコーラもそうだ。

そして投稿者は最後に「この部分が『カラヤンーあいつはコカコーラみたいなものさ』と言う見出しで報じられ、毒舌家とされたゆえんのようだ」とコメントを付けていた。確かに上の発言と見出しのニュアンスはかなり異なる。(どうやらドイツにも「○○スポーツ」や「週間△△」のような記者がいるらしい。)そして、日本でもこの見出しだけが一人歩きしてしまったようだ。(正しく伝えられていたら、「カラヤンが○○コーラなら、お前なんぞ○○○コーラじゃないか」とは浅岡も思わなかったかもしれない。)

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