交響曲第7番ホ長調
セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
85
METEOR MCD-039〜40

 89年盤ページ下に書いたように、2004年4月にとうとうYahoo! オークションにて当盤2枚組を競り落とすことに成功し、ようやく連戦連敗にもピリオドが打たれた。(全くの偶然だが、昨晩ついに楽天ゴールデンイーグルスの連敗が11連敗で止まった。)落札価格2500円也。もう1000円高騰しても大丈夫なように自動入札価格を設定しておいたのだが、そこまで上がらなかった。あるいは値崩れしているのかもしれない。そういえば、このところ「リスボン・ライヴ」がひっきりなしに出品されているが、こちらもどこかで大量に発掘されたのだろうか? 何にせよ、苦労の末に入手した品はそれだけである程度の感動は約束されている。このように「リスボン・ライヴ」のページには書いたが、それだからこそ客観的な評価を行うためには余計な思い入れや感傷を廃し、虚心に当盤を聴かなければならない。
 こう肝に銘じて試聴に臨んだわけだが、噂に聞いていた通り音質は無茶苦茶に良い。METEORレーベルは少々ヒスノイズが混入していても、それをヘタに除こうとせずそのままディスクにしてくれるので、一部の正規盤から感じるような「音が痩せている」という不満はない。ゆえにチェリにしてもヨッフムにしても、「紫」のCDからはミュンヘン・フィル独特の艶のある音色が十分に堪能できる。(ヒスノイズの少ない音源はもちろん問題なしだが、「私の再生装置」ページの今月追加分に記したように、最近入手した新装置ではヒスがそれなりに入っている場合でもさほど気にならないため、美しさだけが伝わってくる。これは非常に心強い味方ができたと喜んでいる。)
 チェリの7番演奏を年代順に見ると、71年のSDRとの演奏こそ66分半という標準的な時間であるが、MPO時代は全て70分超である。トータルタイムの変遷を見ると、当85年METEOR盤が74分で、以後は89年AUDIOR盤が77分→94年EMI正規盤が79分というように、晩年ほど遅くなるという8番と同じパターンである。(ちなみに92年のBPO客演は86分強だが、これは特別なイベントなので同列には論じられない。)けれども、曲全体を一様に引き延ばすがごとく巨大化(悪く言えば肥大)していった8番とは少し違うという気がする。後述するが、当盤と4年後の89年盤を聴き比べたところ、演奏の時間(量)だけでなくスタイル(質)も異なっていると聞こえたからだ。
 とにかく端正で厳粛なる演奏である。テンポの速い後半楽章では当然ながら激しくなることもあるが、節度は決して失われない。こういうスタイルが曲の性格と相性抜群であるため、美しさでは私が所有するチェリのブルックナー中でも随一である。クリアーな音質の多大な貢献に加え、不自然な強調がないことも幸いしているが、常に静謐さを湛えている。(ただし、過度のノイズ除去による「死んだ音」とは全く異なる。これを聴いた後では、94年盤はやはり「中身スカスカ」という印象を抱かずにはいられなかった。)前半2つの楽章は、それぞれ23分台、26分台と決して速いとはいえないにもかかわらず全く間延びしていないのは素晴らしい。まずは基本テンポの設定が絶妙である。リハーサルでの試行錯誤により、これ以上落としたらアカンというギリギリで踏みとどまれるようなテンポを見い出したのであろう。それだけではない。後の録音では時に耳に付いたテンポの揺さぶりがほとんどない。(アダージョの長調部分を後の録音と比較すればそれは明らかである。)要は均整美の世界を極め尽くしたということである。89年盤や94年盤のようなメリハリ演奏も確かに工夫を凝らしているとして評価できるものの、やはり当盤ようなスタイルの方がブルックナーには相応しいと思う。このような演奏は緊張感を最後まで保っていたからこそ可能だったのだと想像するが、まったく驚異的である。これ以上言葉を並べて褒める必要などないと思ったので終わる。(というより手に負えないので逃げる。)
 ところで、当盤との比較試聴に持ち出した「緑」盤を新しい装置(Bose AWM)で聴いて「ここまで力強い演奏だったとは!」と唖然とした。「私の再生装置」の今月追記に書いたのは実はこのことであるが、94年盤と比較した時よりも更に評価が上がった。(よって大幅にランクアップすることになった。)美しさと静謐さで比類のない85年盤 vs ライヴの熱気と力感に満ち溢れた89年盤という勝負なら全くの互角である。さすがに音質差で当盤が上に来るが・・・・とはいえ、あのページに書いたように同様の再評価を今後も続けていくのはとても身が持たないので、今回限りの特例措置とする。

7番のページ   チェリビダッケのページ