ゲオルク・ティントナー

交響曲第0番ニ短調
 アイルランド国立交響楽団

交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
 ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団

交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
 ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団

交響曲第5番変ロ長調
 ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団

交響曲第6番イ長調
 ニュージーランド交響楽団

交響曲第7番ホ長調
 ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団

交響曲第8番ハ短調
 アイルランド国立交響楽団

交響曲第9番ニ短調
 ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団

 先月(2004年8月)はスクロヴァチェフスキとインバルのページを作成した。インバルのついでという訳でもないのだが、同じく一部に初稿を使用しているということで今月はまずティントナーのディスク評に取りかかることにした。(本当は「貯金」として先月中に終えてしまいたかったのだが・・・・)NAXOSレーベルから発売されているこの指揮者のディスクには優れたものが多く、安価でもあるため、「ファーストチョイス」になっていてもおかしくないものもあるのだが、9番以外は日本語解説がないのが残念である。
 ところで、「やはりヴァントはヴァント」など数々の名文によって一時期「クラヲタの星」として脚光を浴びていたM氏は、「廉価盤指揮者」という自分勝手な分類によって、「一度も聴いたことがないのにもかかわらず」、ろくにヴァントを評価していなかったのだという。「廉価盤指揮者」にはステータスが無いのが理由らしい。さすがは「クラヲタの星」である。( 「私は氏のことはバカにしていたので、おそらく今まで1度の(←ママ)聴いたことがないと思います」と「ヴァントもいい演奏をするようになったのだなあと思いました」の矛盾については既にネット上で何度も指摘されている。)ところが、同じ「廉価盤指揮者」でもティントナーは「現在最高のブルックナー指揮者」なのだそうだ。絶句である。氏は一応理由らしきものは付けていたが、いくら何でも「私が注目しているせいか」はないやろ。そのくせ9番には「ガッカリ」したそうな。訳わからん。こんな矛盾だらけの文章をまとめようとすると、こっちが書くモンまでグシャグシャになってしまう。ので、サッサと諦めて次に移る。
 続いて槍玉に挙げるのは宇野功芳である。某サイト(作成者は相当なキレモノでサイトは内容充実)にて宇野の酷評が酷評されていた。ある心理学者と同名のサイト作成者(どうやら人間ではなくて犬らしい)には、ティントナーのブル9に対する「レコ芸」誌上での宇野の「評論」(作成者によれば「たちの良くない冗談」)が、大変腹立たしいものであったのだ。その内容はいちいち引用しないが、要はオケが力強く鳴っていないので演奏は地味であり、ブルックナーに必要な要素がことごとく不足している、といったものらしい。
 これに対して作成者は異を唱えた。ティントナーのブルックナーのシリーズは異例なほど録音のレベルが低い。ヴォリューム調整によって適正なレベル(音量)で聴かなければ音楽の真価は解るはずがない、と。(音量を上げることにより、作成者ははじめて感動することができた。)そして、彼はこう続ける。

  もうこれ以上細かいことは述べません。
  宇野氏がいったいどのような状況でティントナーを聴かれたのかは分かりませ
 ん。きちんと再生をした上で、あのような評価をされたのなら、今後彼の評論は一
 切信用しません。
  何故なら、あれほど軽蔑に満ちた、愛情の一片も感じられないような評論を受け
 る演奏だとは、到底考えられないからです。

  もし、私のような大ボケをかましてあのような評論をされたのなら、それこそ評
 論家の資格はないと言わざるを得ません。今すぐ、評論家の看板を下ろして引退す
 ることをお勧めします。

 上の「大ボケ」というのは、(音楽を聴くときには必要不可欠の手続きである)ボリューム調整を怠っていたことを指している。(それにしても、素人に引退勧告されてしまうとは!)けれども、こういうことを書いていた人がそんな大歩危かますかねぇ、と私は思った。以下は「クラシックの名曲・名盤」から。

 最後にCDの聴き方だが、「四季」のような小編成の音楽は小さなヴォリュームで
 聴かないと、その味がわからない。逆に大編成のオーケストラなどは大音量にすべ
 きだ。こういう当たり前のことが意外に守られていないので一言つけ加えておきたい。

ちなみに、私が「異例なほど録音のレベルが低い」で真っ先に思い浮かぶのは、ヴァント&NDRによるブルックナーである。特に6番95年盤が著しい。私は普段WaveRadioのヴォリュームを70前後にして聴いているが、これらは80でも「まだ小さい」と感じるほどなのである。これらのディスク中には、宇野が解説を執筆し絶賛しているものが何点かある。やはり彼は自分で書いた通り、批評に臨む際に「当たり前のこと」は守っていると考える方が妥当ではないか。ということで、作成者が挙げた最初の可能性の方を私は支持する。つまり、宇野はきちんと再生をした上で酷評したのだ。(「マイナー・レーベルでしか録音できないような指揮者&オケによるブルックナーなどどうせ大したことないに決まってる」といった偏見を持って聴いていたのではないか、と私は考える。)そして、その酷評に対しては私も異を唱えたい。 ティントナーは立派なブルックナー指揮者である、と。(その「たちの良くない冗談」を読むまで作成者が一部でも宇野の評論を信用していたとしたら、それは私にとって驚きである。)

追記
 先日、隣町の図書館で久しぶりに「レコ芸」を読んでいて驚いた。ディスク月評の交響曲を金子建志が担当していたからである(小石忠男はそのまま)。「これ以上老醜を晒すのが耐えられなくなったのでとうとう降板したのか、代わって新たなエッセイ連載を始めたみたいだし、内心ではホッとしているのかもしれない」、などと思ったのだが、たまたまその号を休んだだけのようで翌月からはしっかり復活していた。サイト作成中の当方としては、新鮮なネタの供給源が存在し続けてくれるのはありがたい。

戻る