交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
ゲオルク・ティントナー指揮ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団
98/08/27〜28
Naxos 8.553454

 「ブルックナーの3番と4番、演奏時間の長いのはどっち?」という問いに対して、もし当盤の存在を知らなければ「そんなの決まってんじゃん、4番に」と即答してしまうところである。もちろん巷に出回るディスクの平均値を取れば4番の方が長い。が、当盤は数ある3番のディスク中ではおそらく最長の77分32秒で、これより長い4番演奏というのもチェリビダッケ他に辛うじて何種類かが存在するだけである。(また、ロジェストヴェンスキーの4番初稿盤よりも少し長い。)あるサイトでは当盤が「信じがたいほどドロドロしたブルックナー」と評されていたが、徹底的にシェイプアップした第3稿(特に終楽章で大幅カット)と比べれば、ウィーン・フィルに演奏拒否されたほど長大な第1稿はまさに贅肉タップリである。だから、「サラサラ」よりは(今にも高脂血症や動脈硬化を起こしそうなイメージのある)「ドロドロ」した演奏スタイルの方が相応しいと私は思う。インバル盤のページにも書いたが、皮下脂肪除去手術を施される前の初稿ならばこの位の演奏時間になるのはむしろ当然なのだ。
 ということで、ここでもトラックタイムをノヴァーク3稿時間に換算してみる。

 第1楽章:30:34 × 651/746 = 26:40
 第2楽章:20:37 × 222/278 = 16:28
 第3楽章: 6:47 × 276/268 = 6:59
 第4楽章:19:22 × 495/764 = 12:33
 トータルタイム:62分40秒

 さて、私が所有しているディスク中、ノヴァーク3稿、あるいは小節数がほとんど同じ改訂版使用の演奏で60分を超えているのはチェリビダッケ(MPO87年盤)、クナッパーツブッシュ(62年&64年盤)、そしてザンデルリンク(63年盤)あたりであるが、いずれも堂々とした演奏である。「演奏不能」とまで言われたこの第1稿を堪能するには、インバルのような「スタスタ」ではなく、やはりこのような悠然たる(ノロノロ)テンポが必要ではないかと思う。  それにしても第1楽章の30分強というのは絶句である。ブルックナーの全交響曲を見渡してもチェリビダッケによる7番2楽章、8番3&4楽章、9番1&3楽章ぐらいではないか?(と思ったら、どうやらシュタインの5番4楽章もそうらしい。繰り返しになるが、実際に聴くまで絶対に信じない。)作曲当時、交響曲の単一楽章が30分超というのは前代未聞だったはずで、VPOが演奏する気になれなかったのも無理もないという気がする。(仮に演奏されることになったとしても、リハーサル途中で嫌気がさした楽員が帰ってしまったのではないか?)インバル盤とのトラックタイム差が最も大きいのがこの楽章で、何と約27%増量になっている。(次が終楽章の19%で、第2、第3楽章はそれぞれ9%、11%の差に留まっている。)なにゆえにここまでの違いが生じたのだろうか? 使用楽譜に違いがあるという話は聞いていないので、インバルが反復を省略し、ティントナーが律儀に行ったということでもない限りちょっと考えられないのだが、両盤をジックリ聴き比べたことがない(し、今後もそのつもりはない)私には分からない。
 などと、まさに初稿1楽章のようにダラダラと書いてしまったが、こんな駄文とは異なり、当盤の演奏に冗長さは感じない。「ドーーーーシラソ#、ラーソーファミレ」が出てくるまでの序奏に1分22秒かかっているが(3稿のスクロヴァチェフスキ盤ではわずか54秒)、決して長ったらしいとは思わないのである。その後も同様である。この初稿では、後の改訂稿のようにフォルティッシモのピークに向かって勢いよく突進するということはない。第1楽章や第2楽章では楽器を少しずつ重ねながらゆっくりゆっくり上り詰めていくのであるが、それが聴いていて非常に楽しいのである。(滋賀と岐阜との県境にある国見峠、あるいは滋賀と福井との県境にある栃ノ木峠に喩えたら、滋賀県側からのチンタラ登りが初稿、他県側からの急傾斜の上りが改訂稿という感じである。)また、4番初稿のような(関節をはずされたような)ギクシャク感もない。4番初稿の第1楽章冒頭部分は、第2稿とオーケストレーションこそ違っても小節数は同じで、途中から(大きく盛り上がって以降)だんだんと「何か変だな」と感じるようになる。一方、この3番初稿は最初からメロディが後の稿とは違っていると判るため、いわゆる「基礎免疫」のようなものが作られるのかもしれない。
 なお、インバル盤のページで散々ほじくり出した欠点をひっくり返せばそのまま当盤の長所になるので、他の特徴についてはそちらを参照されたし。(←手抜き)

3番のページ   ティントナーのページ