クルト・ザンデルリンク

交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
 バイエルン放送交響楽団
 ベルリン放送交響楽団(東)

交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
 バイエルン放送交響楽団(94)
 バイエルン放送交響楽団(96?)

交響曲第7番ホ長調
 バイエルン放送交響楽団
 シュトゥットガルト放送交響楽団

 ザンデルリンクといえば他の東欧系指揮者と同様、レーグナーのマーラー36番初発盤(3枚組)のブックレット末尾に載っていた徳間のCD一覧にて名前だけ知っていたという程度であった。Kさんへのメールでもたった1度(1999/08/11付)しか出てこない。彼のサイトにおける最重要コンテンツがマドレデウス(ポルトガルの音楽集団)に関係するものであることは既に述べたはずだが、一時期その掲示板の常連として出入りしていたH氏について語った部分で登場する。とはいえ、氏のサイト(あるファド歌手のファンサイト)中にあった自己紹介を読んでの感想として「ザンデルリンクが好きだとは実に渋い!!」と書いているだけであった。(その記述を確認しようとして久しぶりに氏のサイトを訪問しようとしたが、既に移転されており内容もガラッと変わっていた。)要はザンデルリンクも地味で玄人好みの指揮者の1人に過ぎないと思っていた訳である。したがってディスクを1枚も所持していないどころか、購入を検討したことすらなかった。
 このような状況が許光俊の「クラシックを聴け!」を読んで一変する。そこでは星の数によって音楽家の評価が行われていたが、最高ランクの★★★が与えられた指揮者はヴァント、チェリビダッケ、C・クライバーの3人で、ザンデルリンクは(今月採り上げるもう1人の)ジュリーニと並んで★★(★)=2つ半という高評価であった(ちなみにカラヤンは1つ半)。そんなに凄い実力者(ジュリーニと同格)とは夢にも思っていなかった私は仰天した。その後ブルックナーのCD蒐集にのめり込むことになったが、当然ながら星の数の多かった指揮者の演奏を最優先して聴くことにした。丁度その頃発売されていたザンデルリンク&SDRの7番(99年ライヴ)を東京出張時にタワーレコード渋谷店でゲット。(音飛びが頻出するという噂がネット上に流れていたため嫌な予感がしなくもなかったが、既に初期のプレス不良品は回収された後だったらしく、私が買った品は大丈夫だった。)これが「まさに自然体の極み」とでも言いたくなるような滋味溢れる演奏で、現在に至るまで7番ランキングにおけるトップの座を譲っていない。その直後に3番LGO番を通販で購入。また「悪魔の店主」による「鐘」レーベル大量発掘の報を受け、34番BRSO盤を注文した。さらに2001年にNHK-FMで聴いて大いに感銘を受け、何としても聴き直したいと思っていたベルリン放送響との3番も、ようやく4年後の今年にネットオークション経由で入手に成功した。いずれも素晴らしい演奏である。(追記:このページの執筆中、94年にBRSOと演奏された4番のライブ盤が8月10日にリリースされるという大ニュースが飛び込んできた。もちろん購入するつもりであるが、同時注文を考えている他の品が入荷するまで待つことになるかもしれない。9月のなるべく早い時期にこの指揮者のディスク評をアップしたいのだが・・・・ →追記の追記:輸入盤ではよくあることだが、発売が当初の予定よりも1ヶ月遅れる見込みとなったため、ザンデルリンクのページ公開も延期することにした。というのは大嘘で、私事により8月はとても執筆どころではなくなってしまったというのが本当の理由である。 →さらに追記:件のCDが既所有の「鐘」盤と同一演奏であることが判明した。ガッカリである。初の正規盤リリースであるから音質向上の期待はあるものの、やはりダブり買いは御免こうむる。即刻注文をキャンセルしたのは言うまでもない。→ドンデン返しにより追記:英語版ディスコグラフィサイトの新譜情報を見たところ、今回初リリースとなる正規盤は「鐘」とは別演奏というではないか! 慌てて注文を入れ直したが、「犬」通販ではいつの間にか200円以上も値上がりしてしまっている。大損したし、せっかく作成した4番「鐘」盤のページも書き直しだ。畜生め! →これで終わりにするはずだったのにやむを得ず追記:全く困ったものだ。このディスクは第1楽章の第21&22小節が欠落しているらしい。曲の冒頭でいきなり編集ミスとは! そのせいか、国内通販の「犬」や「塔」では一度は入荷したもののいつの間にか姿を消している。私は先述した事情で海外通販から買うことにしたのだが、後日「注文が殺到し在庫切れのため入荷次第発送する」とのメールが来た。もし修正されないままの品が届いてしまったらどうしよう。返品できればいいが、最悪の場合は他盤の断片を挿入することになるかもしれない。考えただけで鬱だ。それよりも一体いつになったらザンデルリンク関係のページを仕上げてアップできるのか不安になってきた。当分埒があきそうにないので、とりあえず書き終えた分だけでも上げることにした。 →顛末:注文した業者から一向に連絡がないため問い合わせたところ、直後に「既に発送しました」との返事が来た。あーあ。まあ、再プレスされずにそのままお蔵入りになってしまったら、貴重な録音を聴く機会が永久に失われてしまった訳だから良しとするか、と虚しいながらも自分を慰めてみる。→後日談:2006年2月に件の欠落部分を修正した良品が入荷するという情報を得たが、もちろん買い直す気は起こらなかった。)
 ブルックナー以外ではブラームスの交響曲全集(ベルリン響との新録音)も大の愛聴盤である。(かなり遅いテンポであるが、チェリやジュリーニとはスタイルが違っていると聞こえる。今は上手く言えそうにないけれども、いつかブラームスのページに取りかかることになれば徹底的に聴き比べて何か書きたいと思っている。)しかしながら他は全く持ってない。ベストセラーの16枚組ボックスはブル3(LGO盤)が既所有だし、異演奏を持っていたいとまでは思っていないショスタコやシベリウスのディスクが大量にかぶってしまうので気が進まない。また、許が繰り返し絶賛している(批評中に初めて「奇跡」という言葉を使ったらしい)ザンデルリンク最後の演奏会が収録されている「ベルリン交響楽団 記念BOX」(5枚組)にしても、それ以外の曲に魅力を感じない。コンサートだけの2枚組として出ないかな?

おまけ
 上の許による星2つ半という評価についてもう少し書いてみる。既に人に譲ってしまったため詳細はあやふやだが、「クラシックを聴け!」では「与えられた環境の中でベストを尽くそうとするタイプ」という理由でザンデルリンクをヴァントやチェリビダッケほどには評価できないと書かれていたと記憶している。確かにヴァントもチェリも自分の望むような条件(十分なリハーサル時間が取れるなど)が整えられなければ、高ギャラのメジャーオーケストラから依頼されても常任指揮者には就こうとはしなかったようだ。(後者の場合はベルリンの「帝王」への対抗意識もあっただろうが。)つまり、許はザンデルリンクの姿勢に「妥協」の匂いを感じ取っていたのだろう。しかしながら、「何が何でもベストを」という執着心のあまりない私の目には、常に「究極」「至高」を追及する「頑固」「わがまま」タイプよりも好ましく映ったりするのである。既にピーンと来た人もいるだろうと想像するが、ここでいきなり漫画「美味しんぼ」に話を飛ばしてしまう。
 浅岡弘和は自身のサイトに「マンガ『美味しんぼ』の海原雄山のモデルは北大路魯山人と言われているが、少なくとも相貌は実はチェリビダッケなのではあるまいか」と書いていた。某掲示板では某新興宗教の教祖Fとソックリと言われていたが、確かにチェリは雄山とも似ている。さて、その雄山先生の運営する「部楽倶食美」(←看板)について会員の京極万太郎(京都の億万長者)は、「同じ重さの純銀よりも高価なマグロの大トロを惜しげもなく使う」などと紹介していたと記憶している。が、私に言わせれば「そんなもん美味いのは当たり前やないか」である。もちろん食材を台無しにするような味付けをすれば別だが、普通に食せば十分美味と感じるのは間違いない。(怪しい手つきから調理の経験はおろか包丁を握ったことすら滅多にないと思しき女性タレントをわざわざキッチンに立たせ、その外観も味もおぞましい料理を試食するという趣味の悪いテレビ番組があるが、小麦粉と間違えてベーキングパウダーを天ぷらの衣に用いるような阿呆が一向に後を絶たない。もはや怒りを通り越して情けなくなってくる。観なきゃいいんだが。)現に雄山は、東京に進出したフレンチ・レストランの鴨料理に対し「わさび醤油で食べた方が美味い」とケチを付けたではないか。後に山岡に意趣返しされる羽目に陥ってしまったが・・・・(「懐石料理にはフランス料理のような曖昧さがない」と豪語したものの、カツオの刺身は生姜醤油でなくとも士郎が示した醤油マヨネーズを付けるという漁師の食べ方でも同様に美味しかったのだ。ここで余談としてまたしても浅岡だが、彼のサイトにはこんな記述もあった。「最近は御大を洋食呼ばわりする本場物志向のお気楽な人もいるが、固定観念に反し鈍感な西洋人が作るフランス料理より繊細な日本人の作る洋食の方が遙に上ということも多々ある。ツールダルジャンの鴨に山葵醤油をつけて食った魯山人の気概を朝比奈もまた持っているのだ。」 このエピソードを知っていたからこそ雁屋哲も「美味しんぼ」で使ったに違いない。)
 ところが安い食材となるとそうはいかない。私は土曜日の午後6時頃に平和堂(勤務地の滋賀県彦根市に本店があるスーパーマーケットで、店舗93のうち64が県内)長浜店に行く。魚売場の一角には中落ちやアラの安売りコーナーがあり、そこで最近私がよく買うのがマグロ、ただしスジが多くてそのまま刺身では食べられない部位である。価格は48円/100gと十分安いが、夕刻に半額シールが貼られるのを待ってカゴに入れるのである。(我ながらセコい。)ここからが腕の見せ所である。煮物が最も簡単だが、そればっかしでは飽きてしまう。加熱すればスジは柔らかくなるのでステーキのような焼き物にする、スジが気にならないよう包丁で細かく叩いてヅケ(醤油と味醂の混合液に一晩浸ける)にする、あるいは手間はかかるけれども赤身を包丁で削ぎ取り、細かくすり潰したアボカドや納豆を加えてネギトロ風にする(テレビで紹介していた)等々あらゆる料理法を試みた。こんなことを書くのは僭越だという自覚はあるが、ザンデルリンクの「与えられた環境の中でベストを尽くそうとする」は私の工夫に近いのではないかと思ったのだ。
 やはり料理漫画ということでは、「新・味いちもんめ」の桜花楼(老舗料亭)とSAKURA(創作料理店)で使われる食材の違いに喩えられるかもしれない。リーズナブルな価格で美味しい料理を提供するため常日頃から工夫が求められるのは後者の従業員である。(そういえば「味いちもんめ」時代でも、料亭「藤村」の近くに大衆食堂を開いた元花板の横川が、安い値段でいかに客に満足してもらえるかについて伊橋に語っていた。)もちろん最高級品を扱う前者の板前にしても、素材の良さを生かし切るという意味で高度なワザが求められるのは言うまでもないが。結局のところ、両者に求められる技量のタイプが全く異なるということであり、決して優劣の問題ではない。私はそのように考えたいのである。

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