交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
クルト・ザンデルリンク指揮ベルリン放送交響楽団(東)
01/09/09
GNP-115

 NHK-FMの「日曜クラシックスペシャル」で聴き、大いに感銘を受けた演奏である。それゆえ正規盤での発売を心待ちにしていたのだが、どうも実現の見込みがなさそうなので、ネットオークションに出品されていた当盤を仕方なく入手した。(それにしても青裏製造・販売業者には「RE! DISCOVER」「Treasure of the Earth」という大仰なものから「Rare Moth」「En Larmes」という訳の分からんものまである。「稀少蛾」はともかく、「涙」の方はあの人面デザインも全く意味不明である。そして今度は「国民総生産」と来たか。最近は「国内総生産」の方がよく使われているようだが・・・・それにしても何の略だろう?)
 私とは嗜好が約135度違うクラシック総合サイトでは、お気に入り指揮者の1人としてザンデルリンクが挙げられて(特集「この指揮者たちで、真髄を聴け!」にジュリーニ、P・マーク、C・デイヴィスと共に名を連ねて)おり、2種のブル3(63年盤と当盤)を比較して「その差40年!(註:厳密には38年) この時間的隔たりを経てなお、その解釈に大きな違いがない」と述べられていた。さらに「『なーんだ。ザンデルリンクって、成長しねーな。』と思うか、『40年間確固たる信念をもって、この解釈を貫き通した。』と見るか。どちらをとるかは、皆さんにおまかせしましょう。」と続けられているが、確かにそれをどのように(肯定的 or 否定的)評価するかは聞き手次第だと私も考えている。(ここからは余計なことだが、そのページでは「3番も4番もつまらない」「5番から形を成し始めたらしいが大したことはない=ベートーヴェンの1番に相当」「7番が重要な三曲目=『英雄』に相当」といったブルックナーの交響曲に対する見解が載っている。しかしながら、新曲作曲の合間に旧作の改訂をも行っていたブルックナーの場合、ベートーヴェンのように一直線上に並べて曲の完成度を論ずるのはあまりに単純であり、そのため説得力にも欠けると感じられるのが残念である。例えば既に浅岡弘和が述べているように、4番は一般的に演奏されるのが第2稿であるから実質的に5番以降の作品だし、3番もザンデルリンクが使用したのは1989年版だから、8番の第1稿から第2稿への改訂作業と同時期、つまり後期の作風が採り入れられているのだ。)それはさておき、解釈不変は概ね当たっている。ただし、指揮者が(2002年5月19日のコンサートを最後に)引退する前年に録音された当盤からは旧盤と大きく異なると感じられた箇所がいくつかあるため、それらについて書いてみたい。
 まずは第1楽章中間部のクライマックスの手前。旧盤もここでジックリ腰を落としていたが、当盤のノロノロはそれどころではない。ほとんど止まりそうである。11分59秒からのしみじみ感が筆舌に尽くしがたいほどに素晴らしい。そして、その後は旧盤のような加速はせず、ほとんどインテンポでピーク(12分51秒)を迎える。先の超スローテンポやピークで微妙に間が空くことによって音楽の流れは旧盤よりやや悪くなっているのだが、スケールの大きさでは圧倒的に上回っている。そして終楽章。トラックタイムが17分29秒(約30秒が拍手)というのは空前絶後であるが、それはコーダのテンポが極端に遅いことによる。15分43秒からのニ長調による足取りをサポートする金管の3拍子のリズムの凄みは、ここでもチェリ&MPOによる「ロマンティック」の「ザンザンザン」に匹敵する(4番ページ参照)。そして最後の「ラーーーーミーーーミーラー」の巨大さはクナ最晩年(64年盤)をも上回っている。(通販サイトの宣伝文には「テンポを極限まで落とした終結部の圧倒的な存在感には言葉がない」とあるし、ここを「まるで異次元に突入してしまったような錯覚を抱かせる」と評したサイトも見つけた。前者はまさにその通りだし、後者も言い得て妙だと思った。)
 この演奏が放送された後、某掲示板には「ユルユルでどうしようもない」といった投稿があった。その評価はあながち間違いではない。先に挙げた第1楽章中間部の乱れ以前に、アンサンブルの甘さは既に冒頭から聞かれるし、ジックリ耳を傾ければ至る所で確認することができるだろう。が、ザンデルリンクほどの大指揮者が手をこまねいて弛緩しただけの演奏を垂れ流しているはずがないではないか。この種の演奏からはその奥(先?)にあるものを感じ取らなければならないと私は言いたい。(それができない人間にとっては、確かに全く価値を見い出すことはできないだろう。もしかするとヴァント最晩年の4番01年盤と同じく、それだけをいくら一所懸命聴いていても仕方がないのかもしれない。)既にこの時点で引退を決意していたであろう指揮者にとって、おそらくブルックナーを振るのもこれが最後という予感はあったはずである。(転倒事故によって結果的にそうなってしまったが、「ラスト・レコーディング」のブル4以降もBPOとの録音を続ける意欲を示していたヴァントとは、この点で事情が全く異なる。)当然ながら並々ならぬ決意を抱いてコンサートに臨んだに違いない。つまり、彼はこの演奏に思い残すことが何もないよう全身全霊を注ぎ込んだのだ。構造を多少犠牲にするのは覚悟の上で。終演後は万感胸に迫る思いだったであろう指揮者のことを考えると、私の目にもいつの間にか涙が浮かんでくるのであった。・・・・などと想像の赴くままに書いてしまったが、完成度では最高レベルに達しているとは言い難いことを認めつつも、辞世の句のような当盤を私は敢えてトップの座に置きたくなったのである。要は私の「わがまま」であるが、「私の、私による、私のためのサイト」だからこれでいいだろう。当分=気が変わるまでの間そうしておくことにする。(→2007年1月追記:ようやくにして気が変わった。)
 なお、当盤の音質は極めて良好だが、曲が始まる前の拍手をカットしたせいか立ち上がりがちょっと不自然なのが残念である。クナの例もあるし、ちょっとばかし重なったって別に構わないじゃないかと言いたい。

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