交響曲第7番ホ長調
クルト・ザンデルリンク指揮シュトゥットガルト放送交響楽団
99/12/16
haenssler CLASSIC CD 93.027

 ブルックナーのディスク蒐集を始める以前から、私は国内盤、輸入盤に関係なくとりあえず職場の生協に注文するようにしていた。(まだ通販はそれほど利用していなかった。)2割引(現在は15%引き)という組合員価格が魅力だったからである。ラテン音楽はカタログに掲載されているものは輸入盤でも大抵入荷したが、クラシックはメジャーレーベル以外はほとんど「取り扱いなし」という返事だった。当盤も注文してもそれっきりで「ダメならそれでもいいや」という気分だった。結局は待ちきれず、目次ページに書いたように渋谷の「塔」で購入したが、生協には案の定入荷せず、ダブり買いにならずに済んだ。
 7番目次にあるごとく、この演奏には大満足し長らくトップの座を保ってきたが、苦労の末ようやく今年(2005年)入手したチェリの85年盤(METEOR)も大変素晴らしい出来映えで甲乙は付けがたい。とはいえ、ディスク評アップとともに順位の見直しを行っているので、否が応でも決着を付けなくてはならない。そこで両盤を聴き比べてみた。その結果については、またしても、で恐縮だが、ふと思い出した「美味しんぼ」のストーリーを引き合いに出して述べることにした。
 唐山陶人(人間国宝の陶芸家で海原雄山の師匠)の喜寿の祝いの席で士郎と雄山が対決することになる。材料は明石の最高級の鯛。(「鯛は素人がどうにかできるようなものではない」という雄山の言葉にカチンときた士郎が「オレの素人料理を食ってもらおう」と言い返したのである。)一流料亭の主人(雄山側)が次々と出してくる技巧を凝らした料理に対し、士郎が用意したのは何と鯛のひらきの干物! 嘲笑う雄山。だが食べてみるとこれが美味い。仰天した主賓=唐人の問いかけに対し、士郎は塩を塗っただけと答える。(ただし明石の塩で濃度は海水と同じに調整してあると補足説明が後に入る。)他の出席者も口々に賞賛する。が、雄山は認めようとせず、「技巧に溺れてはいけないが、技巧を否定しては料理そのものが意味がない!」と怒鳴る。睨み合う親子。ここで「わしは雄山も士郎も両方とも間違っていると思うな」として唐人が仲裁に入る。士郎の干物も何の工夫もしていないように見えて細心の注意が払われており、これも技巧の極致といえるのではないか。お前達のやったことは見かけは正反対でも根底では同じである、と。(唐人は反目し合っていた親子の和解をも試みたのである。結局は成功しなかったが。)
 目次ページにてチェリと雄山の容貌の類似に触れていることからも、読者には私がどのような喩えをしたかったのかは既にお分かりのことと思う。チェリの85年盤は紛れもなく「技巧の極致」と呼ぶに相応しい演奏で、手間と暇を惜しみなく注ぎ込んでいることは誰の耳にも明らかである。これに対して当盤は実にさりげなく、「自然体の極致」と言いたいほどである。ただし、聴き手にそう感じさせるような演奏は桁外れの実力を備えた指揮者でなければ実現できないものである。
 ここで一旦クラシック関係の書物に話を持っていく。許光俊は「世界最高のクラシック」にて、「ザンデルリンクは、クラシック音楽をもっとも自然な形で、つまり過剰な意識によって再構築しているというわざとらしさを感じさせないで、聴衆を納得させることができたほとんど最後の指揮者」と評していた。また、「クラシック音楽全体を相対化してしまうような距離感を持っていたチェリビダッケ、あるいは「徹底した合理主義によってクラシック音楽を非常に限定的なものとして捉えたヴァントのように過剰な手法や意識を感じさせることなく、素直にすばらしいと思わせるベートーヴェンやブラームスを演奏することができた」とも述べている。この辺りは私が士郎の干物から感じたことと何となくだが近いような気がする。(2005年11月追記:「クラシックCD名盤バトル」のマラ9の項では、「オケの技量が超一流でなくても、指揮者が言いたい要点を実現できる」の理由として「フレージングの力学に通じ、どうすれば音楽が自然に流れるように聞こえるか」について熟知していることを挙げている。この分析は非常に説得力がある。)
 ということで、完成度としては「根っこは同じ」などと唐人の真似をして逃げを打つことにしたいのだが、好き嫌いでいえばザンデルリンク盤を採りたい。チェリ盤は緊張感が極限状態にまで張りつめており、体調が優れない日に聴くと疲れるだけである。よって、棚から取り出して聴くことが圧倒的に多い(チェリ盤は2枚組というのも痛い)こともあり、当盤が1位を堅持することとなった。

おまけ
 私は格式張ったものが大の苦手であるため、やはり懐石よりも手づかみでムシャムシャとかぶりつける干物の方を好む。フレンチのフルコースは言うに及ばず、何年か前の名古屋出張時に誘われて入ったイタリア料理店ですら非常に居心地が悪かった。窮屈さを感じるあまり(実際私の体格に比して椅子は小さかったが)身体を捩った際、ワイングラスに肘打ちを喰らわして見事に割ってしまった。以来、この手のレストランには足を踏み入れていない。酒類にしても繊細なガラス細工ではなく、300mlほど入るマグカップ、それも面倒なのでワインも日本酒も、時には私の最も好きな蒸留酒であるテキーラも同じ器でグイグイ飲みたいのである。私が当盤に軍配を上げたのも、そういう類の人間であることが多分に影響しているはずである。なお、当ページでは料理の喩えばっかしで演奏に対するコメントを全く書かなかったが、(マタチッチ&チェコ・フィル盤と同じく)「ここが素晴らしい」と具体的に指摘することが自分の力では不可能と判断し、最初から匙を投げてしまったからである。とりあえず、ハース版によるものとしてはこれ以上ないほど理想的な演奏とだけ言っておく。何か思い付けば「おまけ2」を書くかもしれないが、あまり期待せぬよう。

おまけ2
 3番01年盤ページにて、フィナーレのコーダに対する「まるで異次元に突入してしまったような」という評を紹介したが、その執筆者(ブルックナー&マーラーのサイト作成者)が当7番正規録音を「不出来」と断じていたのには驚いた。彼によると「低弦が弱くのっぺりした演奏でよくない」とこのとで、代わって「スケールが大きくしなやか」という理由で推していたのはバイエルン放送響との海賊盤。当盤の2ヶ月前の演奏らしいが、「最高の素晴らしさ」とまで書かれているとさすがにちょっと気になる。

おまけ3
 2005年10月、ヤフオクにて上記「涙」レーベル(En Larmes)のBRSO盤(ELS 02-288)の入手(出品価格1000円にて無競争落札)に成功した。

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