ロリン・マゼール

交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 バイエルン放送交響楽団

交響曲第5番変ロ長調
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

交響曲第7番ホ長調
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

交響曲第8番ハ短調
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 バイエルン放送交響楽団

 最近こればっかりだが、マゼールも比較的早い頃から親しんでいた指揮者である。「音のカタログ」では何といっても「惑星」から「木星」の冒頭、および「悲愴」の第1楽章第2主題が忘れられない。(「運命」第1楽章冒頭も収録されていたのは憶えているけど、他にあったっけ?)前者は後に触れるとして、後者もあのニ長調による美しくも切ないメロディが2度目に登場するところは何度聴いても胸が締め付けられるように感じた。CBSソニーの看板アーティストだったため、最初の「ベスト・クラシック100」では何と14点が選ばれており、断然トップである。(ちなみに2位以下はバーンスタイン11点、メータ10点、オーマンディ8点と続く。次のシリーズでは少し減るものの、それでもマゼール盤は12点でトップの座を守っていた。)多すぎて全部書く気がしないほどであるが、そのうち私は半分を買った。チャイコフスキー5番、同6番、マーラー2番、同5番、「1812年」ほか「戦争もの」管弦楽曲集、「ドン・ファン」などR・シュトラウス管弦楽曲集、および「惑星」の7点である。(ただし最後の3点はその前に出ていた廉価3枚組を所有)。このうち圧倒的に素晴らしいと思うのが(ムラヴィンスキーの目次ページでも触れた)クリーヴランド管とのチャイコフスキー5番、およびフランス国立管との「惑星」である。このうち後者はCD購入以前からNHK-FM昼の「名曲ギャラリー」から録音したテープをそれこそ飽きるまで聴いていた。いや、何度聴いても飽きなかった。
 当サイトで数え切れないほどゲスト出演していただいているKさんが特に贔屓にしてきた指揮者だけに、彼と90年代終わりからやり取りを続けていた私信での登場回数は非常に多い。送信記録を調べてみたところ、手元に残っている40通ほどのメール中、実に20通に「マゼール」が出てくる。実はKさんが傾倒する切っ掛けになったのも「惑星」なのだ。(私も大好きな曲だけに「惑星」が話題になった回数も多い。)私と彼の仲であるから無断掲載してしまおう。

>>  ぶっちゃけた話、私はオーケストラ曲はマゼール以外殆ど聴かないので
>> す。
>>  というのは、その昔聴いた試聴版CD(100曲収録)の中で、オーケ
>> ストラの一体感が印象的な「惑星」の演奏に耳が止まり、その指揮者がマ
>> ゼールだったのです。
>>  その後、マゼールのCDが必ずしも最大級の評価を受けているとは限ら
>> ないことを知って、カラヤン、デュトワ、ジュリーニといった指揮者の演
>> 奏も聴いてはみたものの、のめりこめず仕舞でした。

長くて恐縮だけれども、私の付けたレスをそのまま載せる。(ただし最初だけアルファベットの頭文字に変えた。)マゼール盤の支持者がいると判ってとにかく嬉しかったのである。

>  Kさんの耳、正確ですよ!僕も「惑星」はマゼール盤です。今でもこれを
> 超えている演奏は見当たりません。「惑星」を買う時、エアチェックして気に
> 入っていたマゼール盤か雑誌が推薦していた新譜のプレヴィン&ロイヤル・
> フィル盤か迷ったのですが、結局200円安かった前者にしました。(もし後者
> にカップリング曲でもあれば後者を買っていました。)大正解でした。あとで
> FMでプレヴィン盤を聴く機会がありましたが、スカタンの演奏でした。イギ
> リスのオケがやると、どうしてもこの曲はローカル音楽になってしまうんで
> すよね。木星の中間部、民謡調の所は非常にいいのですが、他の所ではあの
> ややモッサリした音色では宇宙の拡がりを感じさせてくれません。その点、
> マゼールは自分の手兵オケ、クリーヴランド管でなく、フランス国立管を選
> んだところが彼の凄さ、曲に対する理解の深さを示しています。演奏の質の
> 高さでは、たぶんカラヤン&ベルリン・フィル盤が1番なのでしょうが、ベ
> ルリン・フィルの重厚な響きは惜しいことに曲には合っていません。(昔付き
> 合いのあったパリ管などで録音すれば良かったのに・・・・・・)他に聴い
> たことのあるのはショルティ、デュトワ、レヴァイン、メータなどですが、
> いずれもマゼール盤に一歩も二歩も及びません。特に出てから比較的間もな
> いレヴァイン盤は、あれほど絶賛される理由がどうしてもわかりません。何
> 年か前に買ったレコ芸別冊の「オーケストラ名曲名盤300」中の評論家陣によ
> る「惑星」の人気投票では、カラヤン盤やレヴァイン盤が上位にきており、
> マゼール盤に1点も入っていないのには唖然としました。とにかく、こうい
> う人気投票では、センセイ方は大巨匠の名盤にしがみつくか新しいものに飛
> びつくという二極分化に走る傾向があるようです。     (98/11/19)
(ちなみに、評論家から黙殺されている感のあるマゼール盤であるが、Kさんに
 よると出谷啓が「レヴァイン盤がなければ1、2を争う資格充分」と評価して
 いたとのことであるし、許光俊も「クラシック名盤&裏名盤ガイド」にて本命
 盤のカラヤン&VPO盤に続いて「いかにも浅薄だけど、効果を狙った演奏とい
 うことなら」と注釈を付けながらマゼール盤を挙げている。いかにも許らしい
 屈折した推薦文である。)

指揮者の好みが一致したということもメール交換が長く続いた大きな理由であると思う。次はこんなやり取りをしていた。

>>  この所ウィーン・フィルともベルリン・フィルとも盛んに演奏・録音を
>> しているマゼールには、ぜひ「惑星」を再録してほしいと思っています。
>> (特にウィーン・フィルで!)
>>  いずれにしても、「惑星」でマゼールをすっかり気に入ってしまった私
>> はマゼール指揮のCDばかりを聴くようになりました。
(以降のKさんがマゼールの他のレパートリーについてのべた部分は端折る。)
>  マゼール指揮では、他にチャイコフスキーの大序曲「1812年」などの入っ
> たアルバムも非常に楽しめます。とくに「1812年」の最後に合唱(ウィーン
> 国立歌劇場合唱団)が入っているのが気に入っています。(他に合唱入りバー
> ジョンを聴いたことがありません。)あと、R・シュトラウスの「ドン・ファ
> ン」と「ティル・オイレンシュピーゲル」の演奏も白眉です(ただし3曲目
> の「死と変容」はイマイチ)。シュトラウスでは「家庭交響曲」(VPOとの旧盤)
> も名演です。やはり、彼はどちらかと言えば標題音楽を得意としているよう
> ですね。
>  しかし、何と言っても素晴らしいのはCBSソニーから出ていた(廃盤らし
> い)クリーヴランド管とのチャイコフスキーの後期交響曲でしょう。とくに
> 5番は超名演です。NHK-FMの「海外クラシックコンサート」でのウィーン・
> フィルとの演奏が良かったのでCDを買ったのですが、ウィーン・フィルとよ
> りもさらに思い切りの良い演奏をしており(かなりテンポが速い、ムラヴィ
> ンスキーほどではないが)、しかも不自然さを感じさせないので愛聴盤の1つ
> として君臨していました。6番「悲愴」もかなり速めのテンポで進められて
> います。最近ではアバド&シカゴ盤が、かなりドライな演奏ということで支
> 持されているようですが、その何年も前にマゼールは同じことをしており、
> 完成度もはるかに高いと僕には思えます。4番もいい演奏です。ただしアナ
> ログ録音のせいか、終楽章のシンバルのクラッシュの所で音が割れてしまっ
> ています。彼はクリーヴランドと同曲を2年後にテラークにも録音していま
> すが(残念ながら聴いたこと無し)、やはりそのことが気になっていたのでし
> ょう。(ところで、CBS盤の解説を書いていた評論家D氏は、テラーク盤のこ
> とを書きながらも演奏については一言も触れておらず、それを聴いていない
> ことは明らかで、大いに不満を覚えたことを思い出しました。)ところで、彼
> がチャイコフスキーの交響曲ですぐれた録音を残しているのは、これらの曲
> が絶対音楽とはいいながらも、かなり表題音楽的要素が強いためではないか
> と考えています。                    (98/11/19)

ということで、私は「惑星」とチャイ5だけでもマゼールには名指揮者と呼ばれる資格があると昔も今も考えている。(ところで、ネット上では後者が「買ってはいけない」CDの1枚に加えられていたのを見たことがある。結構捜すのに時間がかかったけれど何とか見つかった。「こりゃあ,今まで聞いたプロのCDの中でワーストひどい。全く起伏に欠け,平板な演奏。ワグネルとか早稲田響などのアマチュアの方がよっぽど上手いかも? クリーブランド管がかわいそう。(以下略)」それにしても、あのサイトに入ったのは久しぶりだが結構オモロイなあ。私は別に何とも思っていない。一方こんな評もあった。「個性的な演奏です。(中略)また、引くべきところ、きちんと金管が抑え、よく調和がとれています。セルの頃からの楽団の特徴である、非常にアンサンブルバランスのとれた名盤ではないでしょうか?」同じ演奏を聴いてもこれほどまでに印象が違うからクラシックは奥が深い。)
 その後もマゼールについて何か書かれているのを見つける度に、それをKさんに書いて送っていた。その中からいくつか紹介することにする。まずは吉田秀和の批評から。

>  マゼールのバッハといえば、かつて吉田秀和氏は「世界の指揮者」でマゼ
> ールの「ブランデンブルク協奏曲」を非常に高く評価した上で、「マゼールに
> とっては、バッハこそ、彼が安心して、彼のすべてをありのままに託して悔
> いることのない、ほとんど唯一の音楽であり・・・・」というように、彼を
> バッハ演奏に向いている指揮者であると述べていました。最近マゼールは全
> くバッハを録音していないようですが、(古楽全盛時代ではありますが)再録
> すれば名盤となる可能性が高いのではないかとも思います。
>  さらに吉田氏は「ミサ・ソレムニス」と「フィデリオ」の演奏を挙げて、
> 彼のベートーヴェンも「すばらしい!」と褒めていました。
>
>   私は、この「ミサ・ソレムニス」について、いまだに何も書く気がしない
>  のである。どうもうまくできそうもない感じがするのである。読者に申しわ
>  けないが、省略させていただく。ただし、私がマゼールを現代を代表するに
>  たる指揮者の一人と認めたのは、この「ミサ・ソレムニス」の演奏に接して
>  以来のことである。

「世界の指揮者」の書かれた時期から明らかなように、上は60年代のマゼールについて述べられたものである。その後の指揮者について、ある評論家が以下のように執拗なまでに否定的コメントを繰り返していた。それにカチンと来ていた私はそれをKさんにぶちまけている。

>  これで思い出したのが「名曲名盤300New」での吉井亜彦氏です。氏はマゼ
> ール盤を単独で何枚か挙げていたのですが、「60年代のマゼールは評価してい
> たのに最近はどうもなぁ」という口調です。いくつか例を挙げると・・・・
>
> 「マゼールにはウィーン・フィルと録音した'83年盤もあるが、それよりも約
>  14年前に録音された本盤を比較すれば、彼の変貌の意味がわかるかもしれな
>  い。新盤は世故にたけた指揮者の手になるものであるのに対し、旧盤は情熱
>  ある芸術家の手になるものと形容できようか。(「指揮者」と「芸術家」の上
>  にルビ)」(マーラー、交響曲第4番、69年)
> 「このころの彼は、現在のように大向こうを意識しすぎるようなことなく、
>  ひたすら対象に向かって切っ先鋭く踏み込んでいく。」(メンデルスゾーン、
>  交響曲第4番、60〜61年)
> 「若きマゼールがたいそう大胆な取り組みをしている。(中略)現在きいても
>  スリリングなバッハが再現されている。」(バッハ、管弦楽組曲、65年)
> 「こうしたスリリングな演奏をきいていると、現在のマゼールがなんだか手
>  持ちぶさたのような状態に思えてきてしまう。」(バッハ、ブランデンブルク
>  協奏曲、65年)

上の「これで」であるが、CDジャーナルの「徹底聴きまくりシリーズ」のチャイ5の回で平林直哉がマゼールの新盤について「何の変哲もないあっさりした演奏」という理由で無印の評価を付けたことを私が書いたのを受けて、Kさんが「平林氏は『昔のマゼールはよかった』式の人なのでしょうか」とコメントしたことを指している。平林はさておき、吉井は某掲示板でも「吉井亜彦みたいな昔は良かったしか言わない30年前から時間が止まってるようなやつを21世紀になってまで起用するなよ」とボロクソに叩かれているような評論家である。(今思うにKさんも暗に彼のことを指していたのではないか。)もちろん私も彼の批評はまったく信用していない。
 これに真っ向から対立するような見解が「クラシック名盤&裏名盤ガイド」でマゼールの項を担当した竹内貴久雄から出されている。

 昔は良かったなどと言って、最初のマゼールのイメージから一歩も
 動かないでいると、完全に置いてきぼりを喰ってしまうことになる。

あるいは吉井を意識しての発言であろうか? そのページについてもKさんに紹介していたのは言うまでもない。

> 「時代の先端の感性が絶えず変化するのに比べると、一人の演奏家の変貌の
>  振幅は決して大きなものではない、しかし、マゼールは数少ない例外だ。
>  マゼールは自身の過去を否定しながら、大きな振幅で別人のごとくに変貌
>  する。それが彼の天才たる所以だが、それが、ことさらに、マゼールの変
>  貌の真意を分かりにくくさせている。」
>
>  このように始まっています。そして彼が既に3回の変貌を通り越して、昨
> 年あたりから4度目の変貌が始まっている(次々と別の場所にワープしてい
> る)と続いています。以降も部分的に抜粋します。
>
> 「マゼールの最初の変貌は70年代、『ロマン派的叙情精神の再構築』という
>  命題に、最も先鋭にチャレンジしていた役割にピリオドを打ち、(ラディカ
>  ルな演奏スタイルから)バランスの取れた響き(クリーヴランド響)の中
>  での、新たな普遍性の獲得を模索する世界にワープしていった。」
> 「次の変貌は80年代のVPO就任を機に始まり、NYコンサートの7回連続出
>  場や、マーラー全集の完成によって明らかとなった。叙情精神の断裂の執
>  拗なまでの強調だ。」
> 「3度目の変貌は、新しいシベリウス全集をピッツバーグ響とで開始した90
>  年代。現代の叙情精神の内向性を深めて、精神世界の分裂にまで追い込ん
>  でしまったが、それをまた自らの手で収束を図りつつあるのが最近の活動
>  だ。クリーヴランド時代の半ば頃から芽を出していたオーケストラの自発
>  性との折り合いの付け方が、以前のように先回りせず、オーケストラの行
>  方を待つスタイルに変わってきているのだ(この文章、とくに見事と感服)。」
> 「再びヨーロッパのポストを得て、誰よりも磨き込んできた指揮棒の技術を
>  捨てたとき、この戦後の演奏史の変遷をひとりで先取りしてきた天才が、
>  戦後50年の演奏芸術のキーワードで在り続けた『叙情精神の復興』の方法
>  に解答を見出すだろう。」
> 「マゼールを聴くこと、聴き続けることは、マゼールが自らに課した自己革
>  の道程を受け入れることでもあるのだ。」         (99/03/05)

 これに対してKさんは「正直の所、全ては理解できませんが、『70年代以降のマゼールはつまらない』とあっさり斬り捨てる人が多い中、彼を評価し、芸術家としての変遷をしっかりと理解している(あるいは理解しようとしている)人がいるというのは嬉しい限りです」とコメントしていた。ちなみに「全ては理解できませんが」は私も同様である。何にせよ、上のマゼール論を力作と認めるのは吝かではない。竹内が「究極!クラシックのツボ」にも使い回し(内容ほぼ同じ)していたのは感心できないが。
 後日チャイコフスキーの交響曲45番を話題にした際にも同著から抜き書きしていた。ムラヴィンスキーの後期交響曲集(DG)に夢中になっていた頃である。

>  まずは今村亨(すすむ)氏によるマゼールの4番の変遷。氏は同じ曲を繰
> り返し録音する指揮者の代表格としてカラヤン、(後にも出てきますが)そ
> の逆にマゼールを挙げ、こう続けています。
> 「そのマゼールがこの曲を4回も録音しているという事実は決して偶然では
>  ない」
> そして、各録音を以下のように特徴づけています。
>  まずBPOとの最初の録音は「重いベルリン・フィルの音を容赦なく鳴らし
> た、力強い演奏にきこえる」、しかし「既に彼の追求する方向が示されてお
> り」、4年後のVPOとの再録では「この曲にまとわりついた泥臭い感情の澱
> を取り去り、この頭の大きな、バラバラの個性を持った楽章が並ぶ異色の交
> 響曲に、完成された『形』を獲得するという試みが見られる」そうです。さ
> らに15年を経たクリーヴランド管との録音では、「室内楽的透明さと明晰な
> 構成で、古典的交響曲と言っても過言ではない『形』を獲得していた」と述
> べていました。(僕もかつてCBS盤を持っていたのですが、その特徴を的確
> に表現していると思います。なお、氏が触れていたのは最後のテラーク盤で、
> 一度聴いてみたくなりました。シンバル音の割れるCBS盤はもういい。)
>  そして、以下のように結んでいました。
>  
> 「もはやここにはロシアの大地も運命に苛まれる人間もいない。純度の高い
>  結晶のように輝き、感情の入る隙を与えない。そうすることがこの曲にとっ
>  て必要なのかは疑問だ。また正直なところ、この演奏が気楽に楽しめるとも
>  思わないが、これは一つの課題を極限まで追求した一人の指揮者の解答
>  
として、同じ方向を目指した者がたどり着く終点として、いつまでも色
>  褪せないだろう。」
>  
>  続いて阿佐田達造氏による5番。金管を控え目に吹かせるインバル盤を本
> 命に挙げた後、「正に対照的に吹かせている」マゼールの旧盤(VPO)に触
> れています。
>
> 「音楽にタメをつくらず、フレーズをはしょらせ、なんとも無感動な歌に終
>  始する。ほの暗いVPOの音色を生かして、鬱々としたチャイコの世界に埋没
>  しているのかと思わせて、突如としてシベリウスばりの無機的な金管の爆発
>  が襲ってくる。なんじゃ、こりゃあ?天下のウィーン・フィルが、よく我
>  慢していたものだ
。変なことでは、ダントツの「と」(註:「とんでも」
>  の略)盤。チャイコフスキーなんて、カマっぽくて寒気がするという方には、
>  かえってオススメ!」
>  
> ご覧のようにこの人は「アホ系」に属します。それはともかく、そんなに
> 「と」盤ならこちらも聴いてみたくなりました。(確かKさんはお持ちでし
> たね。)
>  ちなみにムラヴィン盤は確かに素晴らしい演奏で、「凍り付くような美し
> さ」というのがまさにピッタリでした。ただ流石に一部速すぎの感もあり、
> マゼール&クリーヴランド盤の方が総合的には優れていると思いました。(一
> 方、4番は驚異の名演としか言いようがありませんでした。)なお、クリー
> ヴランド盤では金管が無機的に爆発していたという記憶はなく、切れ味の鋭
> さと非常に均整が取れていることが印象に残っています。   (00/03/13)
(註:上では2箇所がボールドになっているはずだが、これは原文中で太字に
 なっていることを示すため、無効であることを承知でメール中にhtmlタグを
 書き加えていたからである。ここへの再掲ではそれが有効となってしまった
 という訳だ。これからも私は基本的には本文中にタグは付けない。)

阿佐田のアホ批評は毎度のことであるし、他ページでも触れているためスルーする。一方、今村は竹内と同じく、決して同じ場所に留まらないマゼールをちゃんと追っかけて書いているのが偉い。吉井もこういう真摯な態度を見習うべきであった。
 前後するが、竹内の批評を採り上げた日には続けてこんなのも紹介していた。マゼールに対する見方は少々異なっているようにも思うが、なかなかに興味深い。

>  他に高畑直文氏は、メンデルスゾーンの「イタリア」の本命盤にマゼール
> &BPOの1960年盤を挙げ、「若くして鬼才と呼ばれた彼の原点を見る一枚であ
> る。」と評していました。さらに、「最近のマゼールは、バイエルン放送響の
> との仕事の中で少しずつではあるが、かつての才気が狂気に姿を変えて出て
> きたように思うので、この盤を聴きながらその(以下太字)ハルマゲドン的
> な才能の最期の開花に大きな期待を寄せているのである。」と書いていました。
>  この本では、マゼール&VPOのドヴォルザーク後期交響曲(80年代はじめ)
> も結構評価されていました。僕は「新世界」を聴いたことがありますが、第
> 2楽章の中間部のテンポが普通の演奏の倍で、何てヘンテコな演奏なんだと
> ひっくり返ったことを思い出します。
>  ちなみに、この本の執筆者にはやはり異端者が多いため、権威崇拝的な傾
> 向の強い音友系評論家よりもマゼールへの評価、期待、さらには反感も大き
> いという印象を受けました。               (99/03/05)
(「ヘンテコ」というほどではないが、「悲愴」新盤の第2楽章中間部も独特であ
 る。テンポを全く落とす指揮者が多い中、マゼールは「哀歌なんかに用はない
 ぜ」と言わんばかりにスタスタと通り過ぎてしまっている。解説によると「ア
 レグロ・コン・グラツィア」というテンポ指定の「アレグロ」が意識されてい
 るとのことであるが、「つまらない」と感じる聴き手は少なくないだろう。)

ここで注目したいのは、BRSO時代について書かれた部分である。これに近いのは鈴木淳史かもしれない。「クラシック名盤褒め殺し」では3枚がその被害(?)に遭っている。まずはピッツバーグ響とのサン=サーンス交響曲第3番「オルガン付き」で、場面は警察での取り締まりである。「マゼールなんて盛り上げるために、どうせ激しく下品にやっているんだろうが」という追及に対して、「自暴自棄になっていたのです」と語る容疑者が「一番酷いことを平気でやってそうなマゼールの演奏を選んでみたのです」「さすがヘンタイのやることは違いますね」「普通の指揮者では目につかないような部分へのイロモノ的偏愛が見られたのですが」といった発言を連発する。そして、まとめの文章がコレである。

 マゼールがイロモノのシンフォニーを振る時、そこにはイロモノの王様
 としてのプライドが、作品の構造的な側面を照射することになったのか
 もしれません。

次のBPOとのスラヴ舞曲集では、小学校での教師と生徒(低学年?)の会話中に「らんぼう」「やばん」「ぼうりょくてき」といった単語が見られ、奇を衒った演奏に驚きを隠せない生徒の気持ちが表現されていた。しかしながら、VPOとのラヴェル管弦楽曲集はかなりニュアンスが違っている。以下は明らかに肯定的な評価である。(まさか皮肉ではないだろう。)

 冒頭から最後の一音まで厳格にコントロール、寸分の隙もない高密度の
 ラヴェル。

 あの有名な「ボレロ」の最後の最後に、テンポをカックン落とす、天地
 驚愕の足踏み作戦も健在だ。

 この人の最近の密度が高いラヴェルやドビュッシーの演奏を聴くと、こ
 の人なら何をやっても許される、という最近の言説も現実味を帯びてくる。

 すんばらしい統率力と集中力で、わがままいっぱいのウィーン・フィルを
 やすやすと自らの手中に収め、とんでもない音楽を生み出す圧倒的なエネ
 ルギー。

まとめがオチャラケ(「彼の才能が人類救済に使われなかったのは残念」みたいな)になっていたのは残念だが、この本の執筆目的を考えればそれも仕方がない。ここで脱線。マゼールの「ボレロ」は「惑星」と並んでよく話題になった曲目なので、その一部を載せておく。

>>  マゼールは「ボレロ」を3回録音しており、なんと私は3つともCDを
>> 持っているのですが、彼の「ボレロ」は本来のボレロ像とはかけ離れて
>> いる(らしいです)、実に躍動的な「ボレロ」なんですね。
>>  やはりと言うべきか、「個性的で魅力的」という評価と「工夫がまるで
>> 見られない」という評価に二分されているようです。
>>  最新のウィーン・フィル盤のラストには度肝を抜かれました。
>
>  あの最後のコーダでハ長調からホ長調に変わる直前、テンポをググッと落
> とすところではないですか?僕もFMで聴いていてひっくり返るほど驚き、
> 終わってから暫く笑い転げてしまいました。うるさ方の多いVPOのメンバー
> がよくもまああの棒に従ったものですね。それだけマゼールに風格が出てき
> たことを意味しているのでしょう。10年ほど前にFMで聴いたVPOによる
> チャイコフスキーの5番は、クリーヴランド管との録音に比べると随分とお
> となしい演奏だな、と思っていたのですが、解説の金子建志氏は「ウィーン・
> フィルはいわゆる緩衝作用というようなものを持っていて、指揮者の奇抜な
> 解釈であっても聴衆にそう感じさせないような演奏にしてしまう」というよ
> うなことを述べていました。今ならマゼール&VPOの演奏が「緩衝作用」抜
> きで聴ける訳ですから、チャイコフスキーの5番がどうなるか非常に興味が
> あるところです。                    (98/12/18)

 閑話休題。とにかく70〜80年代(CBS時代)のマゼールは、それ以前(DECCA時代)と比べたら急につまらなくなったという意見が大勢を占めていた。(後述するように、私はVPOとのマーラーにはそういうところ無きにしもあらずと思っていたが、「惑星」やチャイコフスキー56番新盤、あるいはR・シュトラウス集など名盤の数々を聴いていたから、もちろん同調などしなかった。)「名演奏のクラシック」での宇野功芳の評価にもそれは反映されているように思う。

  バレンボイムは音楽の才人だ。
 全身これ音楽というか、簡単なものから複雑なものにいたるまで、ありと
 あらゆる音符が彼の体内に入り、完全に消化されている状態というか、と
 にかく音楽のことならいくところ可ならざるはない。
  マゼールも同様だ。
 バレンボイムといい、マゼールといい、この種の才人は日本には存在しな
 い。クラシック音楽の伝統の長い西欧だけに生まれるタイプで、単なる小
 器用な職人とはまるでちがうのである。
  彼らがリハーサルをしたり、ピアノを弾いたり、楽譜を読んだりしてい
 る現場を見たら、恐らく人間業とは思えないだろう。イタリアの教会の門
 外不出の秘曲を、たった一度聴いただけで暗譜してしまったモーツァルト
 にも近い才能が、彼らにはあるような気がする。
  マゼールなどはあまりにも才能がありすぎるため、他の音楽家が全く信
 用できないらしい。名門ウィーン・フィルハーモニーでさえ、マゼールに
 とっては子供同然で、四拍子のやさしい曲でさえ、きちんと四つ振ってか
 ら音を出させるという。
  それでは彼らの音楽が感動的かというと、けっしてそうではない。マゼ
 ールはとくにそうだ。
(ちなみに上は第2章ピアニストに収録されていたバレンボイムの項の
 冒頭部分で、マゼールは独立した項すら設けられていなかった。セル
 ですらそういう扱いだったのだから当然かもしれないが・・・・)

 それが90年代(BMG時代)に入ると状況は変わり、特に「洋泉社系」や「アホ系」評論家の間ではマゼールを「変態」「色物」「際物」のようなキーワードとともに語る傾向が次第に顕著になっていた。(思い出したが、「クラシックCD名盤バトル」共著者の許光俊もそうだった。例えば「ローマ三部作」の項ではスヴェトラーノフ盤に対抗する「西の横綱」としてマゼール盤を挙げていたが、その推し方は先述した「惑星」以上に屈折している。「こんなめちゃくちゃにうるさい演奏をする人間、録音する人間は頭がおかしいのではないかと思わせるほど」(それも芸術的狂気ではなく、単に頭がバカという感じ)で、さらに「グロテスクな音、怪しい音がこれでもかと強調されている」ため「究極の悪趣味演奏ワースト・テンに間違いなく入るだろう」としながらも、「私は愚弄しているのではない。感心しているのである」と書いていたのである。以降「こんな強引な音楽はなかなかない。これでもかと異常な精力で音の酒池肉林にふけるさまは、もはや惨劇とまでいってよい。(中略)これはぜひとも一度聴く価値がある」などと妙な理由が述べられていた。)しかしながら、その一方では上の鈴木も含め、押しも押されもせぬ大巨匠の域に達するのではないかという期待も次第に高まりを見せつつあるように思われた。
 ということで、ここからは「マゼール巨匠への道」についてKさんに書いたことをいくつか掲載しよう。

>  ところで、東尾修に続いて北別府学が「最後の200勝投手」と言われなが
> らもおそらくそうはならないように、ヴァントが「最後の巨匠」ということ
> には決してならないだろうと僕は思っています。(この点については許氏とは
> 意見が分かれています。)そして、現在それに最も近い位置にいるのがマゼー
> ルとハイティンクではないかと考えているのです。(かつてのヴァントのよう
> に、頑固に自分の道を歩んでいるホルスト・シュタインを「候補」に挙げて
> いる人もいます。)ですから、彼らには絶対に80歳まで現役を続けてもらい、
> 素晴らしい録音をなるだけ多く残してもらいたい。     (99/12/24)
 (蛇足ながら、工藤公康が続いたのは周知の通りである。山本昌広と桑田真澄
  はちょっと厳しいか? ただし、2005年6月には変則的ながら野茂英雄が日
  米通算で200勝に到達した。今後はこのパターンが増えてくることだろう。
  次は上原あるいは松坂?)

>  前回、巨匠候補の1人に彼を挙げましたが、ヴァントのような頑固型では
> なく、クレンペラーのようなクセが強いというかちょっと屈折したタイプの
> 巨匠になるのではないかと最近考えています。そういえば、クレンペラー最
> 晩年の「マタイ受難曲」「ミサ曲ロ短調」「ミサ・ソレムニス」(3曲とも数多
> い録音中で屈指の遅さを誇る)は、今でも決定版に挙げる人が少なくない超
> 名演ですし。                       (00/02/14)

このような但し書きを付けたくなったのは、上で触れたように吉田がマゼールの「ミサ・ソレムニス」を絶賛していたからである。捜したらもっと前にこんなことを書いていたのも見つかった。(それにしても、当時はろくに聴いていなかった朝比奈を持ち出すという知ったかぶりには恥じ入る以外ない。)

> ・・・・・・・・一方、「交響曲中の交響曲」というか、「交響曲の三大B」
> とも呼ばれるベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーということになる
> と、彼の演奏にはそれほど定評があるとは言えません。現役盤自体が少ない
> し、人気投票でも上位には入っていないと記憶しています。僕も彼のベート
> ーヴェンとブルックナーを少し聴きましたが、それほど印象には残りません
> でした。しかし、最近は円熟味を増し巨匠への道を歩んでいるという声が高
> まりつつある彼だけに、新録音ではどうなのか(どうなるのか)興味はあり
> ます。(そうなると一部を除いて評論家連はもろ手をあげて推薦ということに
> なるのでしょうね。)ただ僕は何となく、マゼールは巨匠になるとしても、も
> ちろんショルティとは違い、ジュリーニ、ヴァント、朝比奈など(何か祈り
> というか宗教性を感じさせる)とも違うタイプになるだろうと予想していま
> す。                          (98/11/19)

 さて、指揮者の目次ページとしては最長(最多文字数)になりそうな勢いであるが、いよいよ本題のブルックナーに移る。これも全部採り上げたら相当な分量になるので、ウンザリされないように(もうなってるわな)1通から抜粋するに留める。私が「およそ14年の時を経て入口に戻ってきた」としてブルックナーに回帰したことを書いた。それに対するKさんのレスから始める。

>>  「ロマンティック」の一節(1分くらい)は随分前にサンプル盤で聴い
>> て気に入っているのですが、なんとなくまだ一度も聴かずにいます。
>>  ところで、ブルックナーの交響曲にはかなり出来不出来のばらつきがあ
>> ると聞いています。
>>  マゼールがいまだ全曲を録音していないのも、好きでない曲があるから
>> だとか。
>
>  僕自身の評価は、(習作のニ短調交響曲→)0番→1番→2番と段々良くな
> るものの、まだまだ聴くに値するレベルに達していない。3番以降は全て傑
> 作。ただし、3番と6番はやや落ちる。4番と9番が最高傑作、また7→8
> →9と、次第に人間を離れて神の境地に入っている。こんなものです。多く
> のブルックナーファンが5番と8番を最高と考えている(含宇野氏)ような
> ので、僕は異端かもしれません。
>  いずれにせよ、マゼールの言う「出来不出来のばらつき」というのは、お
> そらく3番以降を指してのことだと思うので、僕には理解しづらいところで
> す。やはり彼はマーラーほどブルックナーに共感することができないのでし
> ょう。これはやはり「血」に由来することなので、どうしようもないことか
> もしれません。
>  なお、少し前になりますが、NHK-FMでマゼール&バイエルン放響の9番を
> 聴きました。遅いところを思いっきり長く伸ばす辺りはどちらかといえばマ
> ーラー的であり、いわゆる「ブルックナー指揮者」のやり方とは違う「どこ
> となくヘンな」解釈でした。が、非常に堂々とした正攻法の演奏だったこと
> は間違いなく、所有しているクレンペラーの「マタイ」に通ずるところがあ
> るようにも思いました。(ある掲示板ではこんな投稿を目にしました。「2/11
> に放送されたマゼルの演奏ですが、普段ブルックナーをあまり聴かない私に
> も異質な演奏だと感じられました。オケもついて行けなくなっていたよう
> な・・・。この録音テープは記念碑として残しておきます。いやー驚いた。」)
                            (00/03/13)

 ここで少し飛ばすようだが、「クラシック名盤&裏名盤ガイド」にて「ロマンティック」のページを担当した吉田真は、「クーベリックは必ずしも、いわゆるブルックナー指揮者として評価されているわけではないが、定評あるマーラーよりもはるかに適性があるように思われる」と述べていた。クーベリックの目次ページに書いたように、私は彼のマーラーは5番しか聴いていないので「適性」うんぬんについては何ともいえない。一方、それがマゼールについては見事に当てはまっていると今では思っている。彼のVPOとのマーラー全集録音のうち何点かについてはCDもしくはFMで聴いたことがあるが、ある程度は客観性が求められる5番は別として、作曲家との距離を感じさせる演奏はどうにも物足りなかった。私が「狂気」などを感じさせるような演奏を求めるから仕方がないのだろう。結局持っていたものは全て手放し、バーンスタイン盤などが取って代わることになった。一方、ブルックナーも初めて買った5番(同曲のCDとしても初購入だった)は上述したようにピンと来なかった。しかしながら、ヴァントのBPO盤に大感激した後、改めてマゼール盤を再生したところジワジワ来たのである。今考えるに、彼の演奏はあまりに真っ当すぎるため、渋いところのある5番に開眼するにはヴァント盤を聴くまで待たなければならなかったのである。
 思い出したが、かつて人里離れた施設(とはいえ近くを中央自動車道が通る)で一緒にスペイン語を習っていた同僚とクラシック談義をしていた際、話題がブルックナーに移って私が5番はマゼール盤を持っていると言ったところ、「マゼールが珍しく巨匠みたいに堂々と演奏しとるやつやな」と返されたことが記憶に残っている。私より3歳年長の彼にとっては「跳ねっ返りの若造」程度の扱いだったのであろう。ついでに書くと、私と同じ農業分野だったこともあって、某ページに記した音楽の専門家のように不愉快な思いをさせられたことはなかった。後に野菜栽培指導のため任地のペルーに赴いた彼からの手紙を受け取った。日本から毎月「レコード芸術」を送ってもらっているとのことで、「なんちゅうゼイタク」と自分で書いていた。クラシック業界のニュースもいくつか教えてくれたのだが、1つを除いて全部忘れてしまった。その「1つ」とは他でもない。「カラヤンの後任としてベルリン・フィルの常任指揮者に選んでもらえなかったため、マゼールのオッサンが絶縁状を叩き付けた」で私はそれを読んで「マゼールらしいな」と苦笑した。けれども、そのせいでブルックナーの交響曲録音が78番だけでストップしてしまったのは残念という他はない。(今になって気が付いたが、8番が録音された89年6月というのは、まさに私たちが西語を学んでいた真っ最中ではないか。この際ついでに書いておくと、当時休職中の公務員だった彼は笛の製作と演奏が趣味の範囲には収まり切らなくなったため後に退職、現在は工房を所有するとともに演奏家として日本各地で公演活動を行っている。ウェブサイトも開設されており、捜せばすぐ見つかるだろう。→ 2005年11月追記:最近その長野県に在住するKさんにメールを送ったところ丁重な返事を頂いた。ちなみに彼はチャイコフスキー第4交響曲の膨大なコレクションを所有しており、現在その数は5番専門の某サイトにも肩を並べているようだ。いつの日かそれらの評を読んでみたいものである。ブルヲタぶりも相当なものと拝見したが、既にそちらのページは公開されている。)それらはケレンこそ時に聴かれるものの、5番と同じく「巨匠の風格十分」と言いたくなるような正攻法の演奏で、「変態」「際物」とは似ても似つかない。少し戻るが、作曲もするマゼールは音楽雑誌のインタビューで、「作曲家としての自分はマーラーよりもブルックナーの方に親近感を覚える」というようなことを話していたと記憶している。マゼールの自作自演を聴いても特にブルックナーとの共通点は聞き出せなかったものの、彼の指揮による両作曲家の交響曲演奏を聴いてきた今の私にはその言葉にも十分納得がゆく。よって、上の「マーラーほどブルックナーに共感することができないのでしょう」はもちろん取り下げる。(たった今思ったのだが、指揮者としてはあくまでマーラーの方に親近感を覚えているのだろうか?)
 ところで、上でKさん(註:ややこしいが、こちらは例の横浜在住ネット知人)が書かれている「マゼールがいまだ全曲を録音していないのも、好きでない曲があるからだとか」であるが、彼にとってのブルックナー初録音は67年にベルリン放送響(西)と入れた3番のようだ。トータル51分台というテンシュテット盤以上の快速演奏らしく、若きマゼールによる快演が聴ける可能性も大である。是非CD化を望みたい。また、海賊盤CD-R販売業を営んでいた「悪魔の店主」から一時期届いていたメールマガジンにて、マゼールの3番が紹介されていたことがある。これでもかと自分の才能を見せつけるような演奏に対し、店主が「めっちゃムカつくー」と少々ヘンな言い回しながら絶賛していたので気になっている。(追記:2005年8月にネットオークションにて3番2種を入手。)さらに上記「異質演奏」の9番も改めてジックリ聴いてみたいと思わせる。何となくであるが、3番以降でマゼールの好みから遠いのは4番ではないかという気がする。(他の曲と較べたら構成がルーズにも感じられるため。)あるいは私と同じく6番を「つまらない」と思っているのかもしれないが。しかしながら、今年(2005年)になって知ったことであるが、99年にはBRSOと全曲(0番以降)が演奏・録音され、非売品ながらボックスが出ているようだ。となると、たった今触れたばかりの3番と9番の演奏が収録されている可能性もある。どこかに横流し、いや版権を買い取って廉価で正規盤を出してやろうという気概のを持ったレーベルは現れないものだろうか。(もしEMIがやってくれたら、これまでのことは全て水に流してもいい。)
 自分としては一応オチを付けたつもりなので前段落で終わっても良かったが、もう少し続ける。少し前に「苦笑した」とあるのは、もちろんマゼールが84年に文部大臣と大喧嘩をやらかし、全権委任されていたウィーン国立歌劇場の監督を突如辞任したばかりか、翌年振るはずだったニューイヤーコンサートもキャンセルしたという事件のことが頭にあったからである。実はこんなことも書いていた。

>  僕はマゼールは喧嘩してこそマゼールだと勝手に思い込んでいるので、彼
> が帝王の椅子を狙っているにせよ、それにドッカリと座っているのは似合わ
> んなぁと思ってしまいます。悪役レスラーや将棋でいえば田中寅彦九段(「や
> ってりゃ良かった、公文式」で羽生四冠王と一緒に出ていた人、谷川浩司棋
> 聖に異常なまでのライバル意識を燃やす)のように、常に何かに噛みついて
> いる方が彼の真価が発揮されるような気がするのです。ただ、チェリビダッ
> ケにとって噛み付かずには済ませられなかったカラヤンほどの対象が、今の
> マゼールには存在しないかもしれませんね。怠け者クライバーがやる気を出
> して二大オケのどちらか、あるいは両方を掌中に収めてマゼールと対立する
> という図式になったら絶対に面白いんですけど・・・・・・ (99/09/02)
 (残念ながらそういう時代は来なかった。)

 ところで、BRSO時代は特にスキャンダルはなかったようだが、NYPの常任指揮者就任が決まった時は「大丈夫かいな?」と危惧感を抱かずにはいられなかった。しかしながら、その後「9・11」が起こった。(その2年半後にはマドリードの "once eme" もあったし、とにかく不吉な数字だ。ちなみに私は事件発生時チューリヒに滞在していた。当然であるが、スペインTVEは48時間ぶっ通しでそのニュースだけを放送していた。)街中が悲しみ打ちひしがれていたまさにその時に赴いたのだから、おそらく相当な決意があったはずである。マゼールがフランス生まれのユダヤ系米国人ということは知っていたが、NHK-BSで観た「テロ被災者救援チャリティコンサート」におけるスピーチにて、彼の両親が共にNY出身であると聞いて「そうだったのか!」と膝を打った。その数日後にはKさんにこんなことを書いている。

> 音楽以外の様々な困難とも立ち向かわなくてはならないであろう彼の健闘を
> 祈らずにはいられません。同時に彼の音楽活動によって市民が元気づけられ
> ることも願って止みません。(私は「世界の警察犬」国家は正直嫌いですが、
> 市民レベルの問題となるともちろん話は別ですから。)    (01/10/02)

また、メータ、マズア時代には泣かず飛ばずだったNYPを鍛え直してもらえると嬉しい。VPOとの全集録音から(一部を除いて)既に20年が経過したマーラーなど、何かまとまったプロジェクトでも立ち上げられないだろうか? (ただし、中断してしまったブルックナーは欧州のオケとやってもらいたい。マズアの47番新盤を聴く限り、イマイチ相性が良くなさそうだから。もちろん先述したBRSOボックスの正規リリースも大歓迎だ。)

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