交響曲第7番ホ長調
ロリン・マゼール指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
88/02
EMI 7243 5 73748 2 8

 鈴木淳史のページでは、彼が「こんな名盤は、いらない!」に書いた「ハッキリ言ってチェリビダッケのものまねである」というコメントが許光俊による「遅いテンポはチェリの模倣」の模倣であると指摘した。(わざとややこしく書いている。)その許のCDジャーナル連載エッセイでのマゼール評は、Kさんがバックナンバーからスキャナで取り込み、JPEGファイルとして送ってくれたものである。彼はそれを「マゼール全否定に近い内容」と受け取ったようだ。私はそうは感じなかったけれども、「どうせならチェリとマゼールの相違点について論じた方がずっと優れた批評になっていたのでは」などと、許の姿勢に対する否定的なコメントを返信に記したと記憶している。実際トータル73分台の当盤とMPO時代のチェリの録音のいくつかとの間には、遅いという共通点こそ見られるものの、結局はそれだけであり、全く違うとまでは言わないまでも両者の演奏スタイルには相当な隔たりがあるのではないかと考えていたからである。表面的な類似点に拘泥するなど許らしくもない、とすら思ってしまった。(しつこいようだが、他の5番や8番は既にテンポ設定からして相当異なっているし、ジックリ聴き比べずとも芸風の違いは明らかである。だから、たまたま時間が近かったからといって、それをわざわざ「模倣」などと論うほどのものだろうか、と正直疑問を抱かずにはいられない。これはラトルの7番を「ものまね」と決めつけた鈴木にも当てはまる。)もし誰かが「チェリの遅いテンポは朝比奈の75年盤の模倣」などと書いたとしたら彼もあまり気分は良くないだろう。(実際70分超えは朝比奈の方が先なのだが・・・・)あるいは、88年に当盤の録音が行われたからこそ4年後のあんなノロノロテンポが拒絶されずに済んだのだ、と言ってみたらどうだろうか?
 論より証拠、トータルタイムやトラックタイムがチェリの7番中では最も近い85年盤を取り出し、当盤と聴き比べてみた。そうすると、時に「美音派」「磨き系」などと評されるチェリの演奏は常に折り目正しく進められるため、全体的としては表現が淡泊であるという印象を受けた。弱音の使い方は絶妙である。その一方で、盛り上げるべき時にはあの掛け声でオケに気合いを入れている。(スタジオで収録された「シェエラザード」でも同じことをやっていたから、ライヴゆえということではなさそうだ。)一方、マゼール盤の音量差はさほどではなく、終始一貫して濃厚な表現を心懸けていることに気が付いた。前に使ったかもしれないが、塩ラーメンと醤油(濃口)ラーメンぐらいは違っていると喩えられるだろうか。インディカとジャポニカライスでもいい。もう十分だという気がしたのでこれ位にする。(思い出したが、チェリの89年盤は85年盤とは打って変わってかなり濃厚な演奏である。しかしながら当盤の緑音はその前に行われている。)
 マゼールのブルックナー正規録音としては約14年ぶりである。5番ページに書いた「緩衝作用」もBPOはVPOほど大きくはないだろうから、あるいは彼の意図が裸電球のように照射されているのではないかと思いつつ聴いた。(何せチェリに86分演奏を許してしまうようなオケである。)しかし当盤の解釈は至極真っ当で、5番のような仕掛けを期待していた私は肩すかしを食ってしまった。粘るところは粘る。(例えば第1楽章17分59秒〜18分43秒や第2楽章16分40秒〜17分02秒などで後者は間もタップリ取る。シューリヒトほど露骨ではないが、ここでは「部分こだわり派」が顔を覗かせているといえるかもしれない。)しかし、突如駆け出したりするようなことは決してない。後半楽章に入るとテンポの揺さぶりもほとんど聞かれなくなる。それぞれ10分半、13分というのはやや遅めだが、何せ前半が相当なスローテンポなのでバランスはちゃんと保たれている。とにかく全曲を通じて基本テンポは遅いけれども、音密度が極めて高いこともあって間延びしていないのは立派、5番以上に巨匠らしい演奏であるといえる。ただし、これが指揮者の円熟によるものか、それとも曲の特性によるものであるのかは同曲異演奏の聴き比べを行っていないため判断できない。

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