交響曲第5番変ロ長調
ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
74/03/28
LONDON F50L-28055〜6

 既に他ページにも書いたが、私が初めて買ったブル5のCDである。カラヤン盤やショルティ盤も発売されていたと思うが、ともに2枚組の「F66G」「F66L」だったので最初から候補にも挙げていなかったはずである。また、レンタル屋から借りてテープにコピーしたマタチッチ盤は、1枚もので安かったにもかかわらず買う気にならなかった。たぶん指揮者の名前に抵抗があったからであろう(マタの8番84年盤ページ参照)。87年秋に「ロンドンCD名盤2800」という廉価盤シリーズが発売された。業界最高値レーベルのポリドールとしては破格値(1枚2800円、2枚組5000円)だったので、私はベームの3番と同時に当盤を入手した。実はR・シュトラウスの主要な管弦楽曲も集めていたので、カップリングの「ドン・キホーテ」に目を付けたのだ。要は「一石二鳥」だった訳である。とはいえ、もちろんブル5もお目当てだった。「ON BOOKS SPECIAL 名曲ガイドシリーズ 交響曲(下)」(音楽之友社)で(マーラーとともに)ブルックナーの項を担当した金子建志は、「対位法の巨匠としてのブルックナーの卓越した技術が最高度に発揮された作品で、ゴチックの大建築を思わせる威容を誇っている」という書き出しで5番の曲目解説を始めていた。それを読んで、「なんかようわからんけど、とにかくデカい曲なんやろな」と思っていたのである。けれども、先述したマタチッチの演奏からは「威容」など全く感じられなかった。今でこそ慌ただしいテンポや改訂版の一部採用による両端楽章ラストが騒々しさが災いしたと解釈できるが、当時は「小物(あるいは三流)指揮者だからしゃーないな」と考えていた。それが天下のウィーン・フィルとマゼールというコンビの演奏で聴けるというのである。夢のような話の実現に、当然ながら発売日が待ち遠しくてならなかった。
 ところが、いざ聴いてみたら目次ページに書いたようにもう一つピンと来なかった。よって3番以降のディスク中では5番を再生する回数が最も少なかったと思う。(その後に買った6番で一通り揃ったのであるが、そのショルティ盤は面白かったので結構よく聴いた。それがいけなかった。)ディスク交換が面倒な2枚組という不利も大きかった。トータル75分半は今なら1枚に収まってしまう時間なので、廉価再発盤を買い直す(ただし廃盤らしい)、あるいはCD-Rに焼くことも検討すべきかもしれない。ところで、この初発盤であるがケース裏にミスが2点ある。まず「ドン・キホーテ」の録音が「March 1986」と表記されている。どう考えても1968年の誤りだろう。それはまあ良いとしても、DISC2では最初のトラック(ブル5の第4楽章)の番号がお目出度いことに「4」になっている。これは問題が比較的少ないが、本当はトラック2から始まる「ドン・キホーテ」の「序奏と主題」が「5」とあるから何度も間違えてしまった。また特定の場面から聴きたいという場合には、表記された番号からとっさに3を引いて、そのトラックから再生しなければならない。まあ、このCDは格好の暗算トレーニングにはなる。簡単な四則演算でも脳の老化防止には役立つという話だから、これからも活用させてもらうとしよう。(こういう屈折した褒め方は鈴木淳史みたいだな。)
 ここで本題のブル5に戻ると、評論家の間での人気はもう一つのようであり、「名曲名盤300」(93年版)では、1人が3点入れただけである(ちなみに5年後の獲得ポイントはゼロ)。それは他でもない、見事なマゼール論を書いた竹内貴久雄である。ついでに書くと、彼はクレンペラーの67年スタジオ盤も推薦していた。あるいは私がクレンペラー型の巨匠になるのではないかと考えるようになった遠因かもしれない。(目次ページを参照のこと。)

 ブルックナー的な全休止を強調し、その度ごとに表情づけを変え
 て曲想に変化を持込むマゼールの演出がかなり前面に出た演奏だ
 から、ブルックナー信者を自認している聴き手には我慢ならない
 ものがあるかもしれないが、バッハ研究家でもあったマゼールの
 確信に満ちた解釈は、傾聴に応える部分も多い。
(上の「バッハ研究家」であるが、レオンハルトのように論文でも書
 いていたのだろうか? 検索しても全く出てこなかった。とはいえ、
 目次ページでも述べたようにマゼールのバッハは吉田秀和、そして
 あの吉井亜彦ですら高く評価していたのだから、相性が良いことは
 どうやら確かなようだ。)

上の「マゼールの演出がかなり前面に出た演奏」であるが、私は長い間そういうことを意識したことは特になかった。ヴァント盤を買うまで他の演奏と聴き比べることが全くといっていいほどなかったので、それもやむを得ないという気もするが。かつては目次ページで触れた元同僚の「巨匠みたいな演奏」という評価を額面通りに受け取り、マゼールが真っ向から大曲に勝負を挑み、極めて正統的スタイルの演奏を繰り広げていると認識していた。カップリングの「ドン・キホーテ」ほど派手ではないのも、両作曲家の作風だけでなく録音年代の違い、つまり60年代のような刺激的な演奏からの脱却を図っていたからではないか、と考えていた。
 しかしながら、今回のディスク評作成のために改めて聴いたところ、いきなり最初からやっていることに気が付いた。第1楽章冒頭2分間のスケールがとにかくデカい。上の竹内による「全休止を強調」のためだが、間を大きく取るだけでなく休止直前あるいは直後の音を引っ張ったり強奏させたりというように自己流の味付けも加えている。主部のテンポは速めで静かな部分も歯切れ良く進めているが、指揮者はまだ40歳代だったのだからこういう若々しさがあって当然だ。コーダ(18分30秒〜)のテンポ設定はまことに絶妙。老境に入ってすら、ここから忙しなく走り出してしまう指揮者もいるというのに、この落ち着きぶりはどうだ。必要のないところでは余計な解釈をしない。つまり勢いだけの指揮ではない。さすがである。
 第2楽章は冒頭からキビキビとしたテンポで進められ、若々しさが全面に出た演奏である。しかし、約4秒の間を置いて開始されるハ長調の旋律の堂々とした歩みは既に大家のそれである。あまりの美しさに溜息が出てしまった。ヴァント盤購入直後に聴いた時は「緩いなぁ」と思ったのだが、あのギチギチと比べたら大抵の演奏はそう感じてしまうだろう。他指揮者のディスク評ページには「VPOは70年代に入って急速に劣化してしまった」などと書いたはずだが、今当盤を聴いてもそんなことは微塵も感じない。指揮者の統率力は大したものである。第3楽章もテンポ良く進められる。これで主部の長調部分がもう少しゆっくりだったら私の好みとピッタリだったのだが。トリオは申し分なし。
 終楽章も素晴らしい。序奏での管楽器ソロの物憂げな音色、弦の刻みの見事なまでの揃いっぷり。この時点でもう魅了されてしまった。美しい部分を挙げていったらキリがない。主部は力強さに欠けず、しかも全く粗くなっていない。そういえば、当盤も複数指揮者起用によるVPOのブルックナー全集録音の一部だったが、他のようにホルンがやたらと耳に付くということがない。パートバランスは完璧だ。第1楽章同様ここでもマゼール流の味付けは聴かれるものの、突如乱心したかのように駆け出したり暴れたりしない。指揮者のバランス感覚も見事だ。ここでもコーダはオーソドックスそのものである。やはり下手なことはしない方が良いと判断したのだろう。フルオーケストラによる響きの美しさは比類がない。(最後のティンパニは少々喧しいが。)ここを聴いた後の耳にはBPOのバリバリ鳴るブラスが粗暴に感じられてしまう。一流のオーケストラと指揮者が手を組めば特に変わったことをしなくても名演になるという見本である。
 なお、上述の竹内のコメントの前にはこうも書かれている。

 オケがウィーン・フィルなので、そのしなやかさと柔和さが、
 マゼールの意図をむき出しにせず、大きな広がりを添えること
 ともなっている。

つまり目次ページに書いた「VPOの緩衝作用」がプラスに働いているということである。それは本当であるが、同時に剥き出しの演奏も聴いてみたいとも思った。あの「ボレロ」のようなケレン味タップリのブル5、想像するだけでワクワクするではないか。また、80年代終わりの78番録音から聴かれる充実ぶりからも、この曲の再録音に対する期待はいやが上にも高まるところである。

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