交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
85/05/16
Lucky Ball LB-0017

 目次ページで触れたマゼールの3番については、「悪魔の誘い」を受けた直後に(手元に文書は残っていないものの)「私は最近ブル3にはまっているので手を出すかもしれない」などとKさんに書き送った記憶がある。ただし当時は青裏購入を封印していたため、結局そのまま数年が経過することになってしまった。ようやくにして今年(2005年)8月に当盤とBRSO盤(2000年)をヤフオク経由で入手した。(以前何度か取り引きしたことがある人だったため、まず後者のみ落札し、連絡時にお願いして入札がないまま流れてしまった当盤も同価格=出品価格で譲ってもらった。)
 いやはや、実に熱い演奏である。最近正規リリースされたテンシュテット&BRSO盤以上だ。「80年代のマゼールはつまらない」という風評が実にいい加減であったかを如実に示している。既に第1楽章冒頭の盛り上がりからして尋常ではないが、中間部ピーク(11分42秒)への入り方が凄まじい。そして、音楽の流れは二の次と割り切ったかのごとく思い切ってテンポを落とし、途方もない巨大スケールを表現している。中でも最強打を繰り返すティンパニに圧倒されてしまった。やり方は全く違うが、この部分のインパクトはヴァント&NDR盤と双璧をなすと思う。第1主題が再現して再度盛り上がる15分50秒頃、そしてコーダ直前から楽章締め括りまでの火の玉のような燃えっぷりも相当なものだ。
 中間楽章は隙が全くない。なので書くことも特にない。終楽章は一筋縄ではいかない。曲想に合わせてテンポはめまぐるしく変わる。が、走らないので不快感は覚えない。指揮者がブルックナーを解っている証拠である。長調部分の飄々とした歌い回しが特に見事である。そして、ここでもコーダが凄かった。チェリ級のノロノロテンポで引っ張っておいて、最後はクナばりの「これでもか!」で締め括る。聴衆の大ブラヴォーも当然である。
 オケもよく付いていったなぁ、というのが正直な感想。しかも相手はVPOなのだから、もはや恐れ入るより他はない。再び目次ページからであるが、かつて私は1996年録音の「ボレロ」について「うるさ方の多いVPOのメンバーがよくもまああの棒に従ったものですね。それだけマゼールに風格が出てきたことを意味しているのでしょう」と書いた。鈴木淳史が指摘していたように、あの曲の録音のあたりからマゼールは「何をやっても許される」の域に入っていったと考えていたのだが、その10年以上前から既にその兆しが顕れていたとは! そういえば少し前に買ったザンデルリンクの01年盤にも第1楽章中間部と終楽章ラストで明らかな逸脱行為が聞かれたのだが、当盤はとてもそんなものではない。まるでタイガー・ジェット・シンあるいはザ・シーク(←どっちも古いな)を彷彿させる「反則」オンパレードである。そういうのはサンデルやクナのような最晩年の巨匠にのみ許される行為であるはずなのに。何にせよ参りました。
 ここで思い出したが、あるクラシック総合サイトをKさんに紹介したことがある。以前は「我流」という言葉が冠されていたそのサイト内には「マーラーの森」(特に別ページが設けられた9番ディスク評が充実)「ブルックナーの森」「シベリウスの森」といったコーナーがあり、交響曲CDに対する率直な(=当サイトのように屈折していない)感想が掲載されている。当時も今も私のお気に入りサイトである。ところで、好きな指揮者の1人にマゼールを挙げている管理者は、シベリウス7番ピッツバーグ響盤のコメントを以下のように締め括っていた。

 <さすがマゼール!!やるときはやる>

その言葉は当盤にもピッタリ当てはまるように思う。ちなみに、私が送ったメールの8日後(01/09/25)に届いたKさんの返信にはこう書かれていた。「マゼールの良い面と悪い面が凝縮された言葉ですね。やるなら『いつも』やってくれい。」 全く同感である。
 惜しまれるのが録音の悪さ。ヒスが結構耳に付くし、リミッターによる調整が頻繁に行われているためヘッドフォンで聴いていると気分が悪くなる。プチプチノイズ(電源のオンオフによる?)数カ所の他、「ボコッ」という大きな雑音(何者かによるマイクの衝突音?)も1発入っている。また、テープの保存状態も相当悪かったようで転写が起こってしまっている。さらにドロップアウトも少なくとも2ヶ所(かなり気に障る)確認しているが、もしかするとプレス行程での不具合かもしれない。(BRSO盤の断片を用いて修復を試みるつもりである。)ということで演奏自体は大変素晴らしい出来で、トップ3を脅かすのではないかと思ったほど気に入っているのであるが、やはり録音が「それなりに」である分だけ評価を下げざるを得ない。本当に残念!(音質良好の正規盤が出ないだろうか?)

おまけ
 マゼールが3番に適性を示すことは当盤を聴いて十分すぎるほど解った。そうなると、やはりブル初録音となったベルリン放送響との演奏(67年)が聴きたくてウズウズしてくる。ところで、クナ&バイエルン国立管(54年)ページにも書いたが、カルロス・クライバーがもしブルックナーをレパートリーに入れていたならば、やはり3番を最も得意にしたに違いないと私は考えている。何となくではあるが、ケレンを発揮するには最適であり、「天才型指揮者」に合っていそうな曲という気がするからである。ここで余談だが、ネット掲示板にて両指揮者の仲が良かったことについてやり取りしたはずなのに(「2人の会話は常人には理解できないのではないか」などと書いた記憶もあるのだが)、捜しても出てこなかった。ただし、yahoo.co.jpでの検索結果に「クライバーとマゼールとでは指揮者としての品格が違う」が出てきたので、それについてコメントすることにした。その執筆者によると「クライバーが横綱ならば、マゼールはいいとこ前頭筆頭」ということだが、それには異を唱えたい。クライバーが時に他を全く寄せ付けないほどの快演を成し遂げていたのは認める。が、突出した部分によって指揮者の力量を評価するのはいかがなものだろうか? あくまで総合的判断にこだわりたい私としては積分すれば、つまりレパートリーごとの演奏水準を積み上げた合計値で比較すればマゼールに軍配が上がると考えている。作物収量にとって重要なのが生育期間における(もちろん上限を超えない範囲での)最高気温ではなく積算気温(ただし下限以上の「有効積算気温」)であるのと同じだ。(とは言ったものの相当なコジツケだな、こりゃ。)

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