ジョージ・セル

交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
 シュターツカペレ・ドレスデン
 クリーヴランド管弦楽団

交響曲第8番ハ短調
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 クリーヴランド管弦楽団(ライヴ)
 クリーヴランド管弦楽団(スタジオ)

 今月(2005年6月)は予定を少々変更し、クリーヴランド管弦楽団の常任ポストに就いた3人の指揮者のページを作成することにした。(ただしマゼールのブルックナーはVPOおよびBPOとの演奏であるが。)
 「クラシック遍歴」ページに書いたように、最初期にはCBSソニー所属の指揮者に親しみを持った。今はもう手元にないけれども、カセットテープ版「音のカタログ」にはセル指揮の演奏が何種類かピックアップされていたはずである。確実なのは「新世界より」「イタリア」「ジュピター」およびマーラーの4番で、このうち最も気に入ったのは終楽章冒頭が収録されていた「新世界」である。映画「ジョーズ」を彷彿させる(実際似ていると言われることもある)ドラマティックな旋律に戦慄を覚えた。(←しょーもな)後に吉田秀和著「世界の指揮者」にて、「これはもうアメリカ・インディアンの新世界ではなくて、セルの居住しているクリーヴランドか何か、アメリカの大工業地帯の工場の高性能の工作機械の精密さが、同時に唸りをたてて日夜をおかず巨大な工業製品を産みつづけている、そういう新世界のものと呼びたくなる」というのを読んで、「なるほど、うまいこと言うなあ」と感心した。CDで全曲を聴きたくなったのはもちろんだが、あいにくカラヤンの来日公演記念盤としてBPOとの77年盤が廉価再発されたので、そっちを買ってしまった。(けれども、このディスクは後に手放してしまう。演奏が気に入らなかったからではなく、ダイナミックレンジが極端に広いせいで下宿では聴けなかったためである。かなり後に中古屋で購入したVPO盤も同じ理由で逆戻りする運命となった。)惜しいことに「ベスト・クラシック100」で発売されていたセル盤は200円高かった。(ちなみに、その最初のシリーズとして、セルの演奏はドヴォルザーク78番、同9番+「モルダウ」、ブラームス2番+大学祝典序曲、同3番+ハイドン変奏曲という4枚が選ばれている。ブラームスは14番がワルターであるが、これは後述するように妥当なセレクションだと思う。ついでに書くと、次のシリーズではブラが14番のみ採用となり、「新世界」もバーンスタイン盤に取って代わられたため、セルのディスクはドヴォ78の1枚だけになってしまう。この乱暴狼藉、いや冷遇ぶりには「何考えとんのや」と叫びたくなった。)
 ということで、ブラームスの交響曲全集(64〜67年)が最初に買ったセルのディスクとなった。年に1度の割合で発売されていた3枚組廉価盤シリーズで、1枚当たり2200円という当時としては驚異的な安値だったのである。ところが23番は気に入ったものの14番の印象がイマイチだったので手放してしまうことになった。とにかくこの全集は「箱庭録音」といいたくなるほど貧相な音で、それが特にこれら2曲では災いしたのかもしれない。(それに対し、23番ではスケール感の小さいことが「精緻な演奏」という印象を強調したと考えられる。)大学生協のCDコーナーに置かれていた「クラシックCDカタログ」(音友社)の録音に対する採点もステレオとしては最低ランクの85点だった。(実際のところ、85点のディスクはほぼ例外なく音質に不満を覚えたので敬遠するようになった。)ワルターのステレオ録音(50年代終わりから60年代始め)よりも点が低いのは不可解だったが、聴き比べても明らかに劣っていた。もしかすると(真偽のほどは知らないが)60年代中頃以降は4チャンネルで録音されたテープを2チャンネルにトラックダウンする過程で音質劣化していたのではないかと以前は考えていたのだが、最近HMV通販サイトにてベートーヴェン交響曲全集のレビュー中に「当時のCBSがバーンスタインに肩入れして、あまり売れなかったセルをエピックという子会社で録音させたのでこんな音。不遇だったんです。」というコメントを見た。それが本当だとしたら酷い。とはいえ、レーベル名がSONY CLASSICALに変更された(ディスクやケースの色が青から赤へと基調を変えた)後にリリースされたセルのディスクはそんなに酷くないので、単にCD初期のマスタリング技術が未熟だったためかもしれない。後にワルターの全集を中古で買ったけれども、今度は逆に23番のテンポ設定がどうしても許せなかったため出戻りとなった。結局、ブラームスの交響曲は両指揮者の「ええとこどり」という形、つまり単品で4曲を所有することになった。(セルは23番を "ESSENTIAL CLASSICS" シリーズの廉価輸入盤を中古で入手した後、1番も大全集 "The Great Collection of Classical Music" のバラ売りがブックオフの250円コーナーで売られていたので買い直した。どちらも上記の全集のような抜けの悪さは感じず、音質は改善されているようである。ワルター盤のアッサリ風開始とは異なり、やや遅めのテンポでネットリ進められる4番も演奏自体は決して悪くないと考えているので、安価な中古を見つけたら購入するつもりである。→ amazon.co.jp にて "ESSENTIAL CLASSICS" シリーズが安売りされていたので、4番+大学祝典序曲+悲劇的序曲を購入した。セルの4番を聴くのは約15年ぶりだったが心底から驚いた。こんなに凄い演奏だったとは! 凡百の演奏を聴いて初めて解る凄さで、ヴァントとも通ずる世界である。ちなみに、カップリングのハイドン変奏曲が名演で忘れがたかったため、既所有の1番も買ってしまった。何と無駄なことを・・・・)懸案だったドヴォルザークも7番(+スメタナ序曲)および8&9番を没後30周年記念として2000年に再発された「ジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団の芸術」シリーズで揃えた他、レンタル落ちのスラヴ舞曲集も格安で手に入った。どれも愛聴盤である。許光俊が「クラシックCD名盤バトル」で「秘蔵中の秘蔵CD」として推していたチャイコフスキーの5番は、私にとっても大のお気に入りとなった。(後に読んだ「世界最高のクラシック」のセルの項でも、チャイ5について「これほどまでに美しい演奏は他にない」と言い切っている。)一方、LSOとの4番の印象はイマイチで、セルにしては詰めが甘いように感じる。録音されたものの発売が許可されなかったというのも何となく肯ける。ベートーヴェンは38番と9番をともに中古屋で買った。3曲とも完成度が極めて高いことは疑えないけれども、もうちょっと潤いのようなものが欲しいと思った。それで他の曲にまで手を伸ばそうという気にはなれないでいる。あと忘れていけないのは「ライヴ・イン・東京1970」で、どの演目も大熱演&超名演である。(2004年に「ベスト・クラシック100」として再発されたのは喜ばしいことであるが、それが同シリーズ唯一のセル盤というのは悲しい。)ただし、シベリウス2番だけはカラヤンの新盤に毒されているので感動しきれない。
 ところで、その2枚組やベト38番のブックレットには吉田秀和が記した「ジョージ・セルの音楽」という文章が掲載されている。「世界の指揮者」では「色彩が欠けている」などと一部に問題点も指摘していた吉田であるが、そこではこれ以上はないという賛辞をセルに送っている。ところが、もう一方の雄である宇野功芳はといえば、私は彼がセルについて何か書いているのを目にしたことがない。あれだけの実力者だから、褒めるにせよ貶すにせよ何か言うことはあるだろうにと思うが、関心が全くなかったのだろうか。この沈黙は不気味ですらある。あるいは「セルのことは、ずっと前から、日本でも吉田秀和さんが高い評価をしている。(中略)だから、ぼくがいまさら書くまでもないといえよう」ということだろうか?(もちろん月評で触れない訳にもいかなかったであろうから、要は私が知らないだけのことである。とはいえ、彼が自著で積極的に採り上げてこなかったのは確かである。カラヤンとの関係は良好だったし芸風もどことなく似ているので、宇野好みの指揮者とはちょっと考えにくい。)
 さて、特にハッキリした理由はないのだけれども、「新世界」やブラ23で聞かれたセルのキッチリした音楽作りが私にはブルックナーとはどうしても結びつかなかった。ゆえに録音を残していると知って驚いた程である。マーラーにしてもイメージから遠いという点では似たり寄ったりである。(モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスはピッタリ来るのだが。)これほどの大指揮者ともなればブルックナーとマーラーの交響曲は、少なくともいずれかを得意なレパートリーとして(全集完成とはいかなくとも)多くを録音するのが常であると私は考えているのだが、セルは両方とも一部に留めている。それだけ好き嫌いが激しい、いや指揮する曲を厳選していたということだろうか?(よく考えたらトスカニーニもそうだ。)何はともあれ、セルのブルックナーとして私が持っているのはここに挙げた3枚だけである。他にもSKDとの3番およびVPOとの7番というライヴ盤がCBSからリリースされていることは知っている。(また8番はスタジオ録音と同年=69年のクリーヴランド管とのライヴも出ているようだ。)というより、実は7番はかつてネットオークションで取り引きした方から「ブックレットがないから」という断り付きでオマケとして貰ったのであるが、モノラルだったので一度聴いて人に譲ってしまった。当時はステレオ音源にしか関心がなかったためであるが、特に後悔していない。3番も名演として評価されているようだが欲しいとは思っていない。(2005年11月追記:例によって気が変わった。)

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