交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団
66/01/28〜29
SONY Classical SB2K 53519

 当サイトのあちこちで「クラシックCD名盤バトル」の鈴木淳史の批評についてイチャモンを付けまくっている私だが、「英雄」の項はなかなかの力作として評価している。「完璧な手本を示してくれる」セル盤は「スマートにこなされているのがすごい」が、「そのスマートさが鼻につくことがある」そうだ。「なんだが居心地が良すぎて、気味が悪い」も正直で良い。(彼は下手に理屈をこね過ぎて破綻してしまうことが多いから、最初からこういう不条理評論というか少々矛盾を抱えた文章を書いていた方が身のためではなかったかという気がする。最後の「セルみたいなスマートな答えは出してくれないものの、じつにしっくりくる」というヴァント盤の感想にもウンウンと肯いてしまった。)私がセル盤に抱くイメージというのは、綻びどころか毛羽立ち一つすらない織物である。あまりに隙がなくて窒息しそうである。ここで倉林靖が「クラシック名盤&裏名盤ガイド」にてトスカニーニの「ジュピター」ついて述べていたことを思い出したので、該当ページを開いてみた。「わたしはいまだかつて、こんなに楽しくない、拷問のようなモーツァルトを聴いたことがない。」(ちなみに私はその「ジュピター」は未聴だが、トスカニーニのブラ1を目当てに買った「未完成」「モルダウ」等ごちゃ混ぜ2枚組に収録されていた40番は聴いたことがある。確かに「拷問」という形容がピッタリくる演奏だった。)作曲家の名前を「ベートーヴェン」に変えたら、そのままセルの「英雄」に対する私の印象となる。(「オンガクハドノヨウナバアイニモタノシクナクテハイケマセン」と書いていた評論家にとっても到底受け入れ難い演奏であろう。それでもカラヤンのように表立って叩こうとしないのは、まさか周囲の反発が恐いからではないと思うが、セルを絶賛している大長老を意識してのことではなかろうか?)同レーベルから出ているオーマンディ盤は、同じく整理整頓の行き届いた演奏ながら潤いやスケール感にも不足していないため、そちらの方が私ははるかに好きである。
 さて、同じ3番でもブルックナーは違ってくれれば良かったのが、残念ながらベト以上に窮屈さを感じる演奏である。(ドレスデンとのライヴは名演らしいが、モノラル録音であるし、運悪く極道コンビのクラウス&アイヒンガーによる旨味除去マスタリングのようなパサパサ音質だったら目も(耳も?)当てられないので、未だに手を出す気にはなれないでいる。)第1楽章のピーク前後の処理がスクロヴァチェフスキ同様、私の大嫌いな1型であるのはヴァント盤ページに記した通りであるが、以降のセカセカした進行にもイライラさせられる。それ以前に2分17秒の「ジャン」の見事な揃いっぷりには脱帽せざるを得ないが、開放感がまるでない。他には5分34秒からのイラチ進行も気に障るし、再現部17分14秒では不可解なほどセカセカと走り出す。それも曲想が変わる前で。つまりフルトヴェングラーのような「フライングテンポいじり」である。コーダも速いテンポでさっさと終わってしまう。そもそも基本テンポがよく判らない演奏で、この点でもスクロヴァと同じである。これほどの指揮者がブルックナーのブロック構造を理解していないはずはないと思うのだが。(ブルックナー総合サイトに「セルなんかクズ同然」というコメントが寄せられたが、この楽章に限り同感である。)  第2楽章でもテンポ揺さぶりは聴かれるものの、フライングではないため苛立たされることはなく、後任のドホナーニのように途中で浮き足立ったりもしていないので、ドライな演奏として聴ける。リズムに寸分の狂いもない第3楽章も聞き物だ。とはいえ、これほど厳しさが感じられるスケルツォも滅多にあるまい。舞曲と言うより軍隊行進曲のようだ。終楽章も神経質な立ち上がりに嫌な予感がするが、落ち着いた基本テンポを設定し、逸脱もほとんどないのでホッとした。これでこそ正確無比なアンサンブルを評価しようという気になろうというものだ。(前にどこかで使ったな、この言い回し。)したがって、イライラの連続だった第1楽章を除き、私の好みとは少々離れてはいるものの立派な演奏であることを認めるに吝かではない。ただし、指揮者がこの曲を本当に好きで録音したようにはどうしても聞こえないと最後に言っておく。こんなに楽しくないブルックナーは聴いたことがない。

2005年10月追記
 65年のSKDとのザルツブルク音楽祭ライヴをamazon.comにて試聴した。第1楽章序奏は機関車の突進のごとき凄まじい勢いである。が、熱いというよりは誰かあるいは何かを轢き殺しても構わないといった血も涙もない演奏に聞こえる。第2楽章も甘さを徹底的に排除したかのような厳しさが感じられた。何にせよ各楽章の冒頭1分では正確なことは何も解らない。とはいえ入手は容易ではないだろうな(追記:2005年10月にAndanteから再発されたため入手)。

Sony SB2K 53519 - Bruckner Symphonies 3 and 8 When this release came out in 1995 (a pairing of two George Szell / Cleveland Orchestra performances), it suffered from an incredible defect in that the dacapo of the scherzo (from bar 59) to the Symphony No. 3 was missing. It sounded terrible and it is hard to imagine how anyone with any musical sensitivity could have heard this and not known that something was missing. Sony eventually corrected the error. When the corrected copies were released, Sony stayed with the covers that posted the timing of the scherzo at 5'53". The corrected scherzo times out at 7'18".
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