オトマール・スウィトナー

交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
交響曲第5番変ロ長調
交響曲第7番ホ長調
交響曲第8番ハ短調(スタジオ)
交響曲第8番ハ短調(ライヴ)
(全てシュターツカペレ・ベルリン)

 スウィトナーといえば、私がクラシックを聴き始めて間もない頃はまだNHK交響楽団の名誉指揮者としてバリバリに活躍していたので、サヴァリッシュやブロムシュテットとともに馴染みが深い指揮者である。(なぜかシュタインだけはさほど記憶に残らなかった。あの顔を見たら二度と忘れられないはずであるが、テレビに登場する回数が少なかったのだろうか?)芥川也寸志、木村尚三郎、なかにし礼という今となっては懐かしい三人組によるN響アワーにてスウィトナーの映像を何度も観たが、モーツァルトの交響曲を指揮していた時のぶっきらぼうな棒の振り方が妙に印象に残っている。
 そして、スウィトナーといえば何といってもベートーヴェンの「第九」である。クラシックCDを集めだした当初はマーラーとブルックナーを優先し、ベートーヴェンは後回し(および人任せ)だったが、ある日レンタル屋でスウィトナー&シュターツカペレ・ベルリンによるCD(DENONの初発盤で定価3800円だったはず)を見つけたので何気なく借りてみた。非常に感動した。もちろんカセットテープにコピーして繰り返し繰り返し聴いたのだが、心配していたようにテープがヨレヨレのワカメ状になるというようなことはなかった。(かつて一緒にスペイン語を習っていた同僚に、「凄い名演」という触れ込みでバーンスタイン&BPOによるマーラーの9番のエアチェックテープを貸してもらったことがある。バスの車中にてウォークマンで聴いたが、演奏よりも音揺れの凄まじさのため、普段は乗り物酔いしない私が途中で気分が悪くなってしまった。)既にその頃は品質がかなり向上していたためかもしれない。それはさて措き、この曲は当時農学部図書館で読んでいた「音楽の友」の特集「クラシック・ベストテン」の総合部門で1位に輝いていたが、なに故にそれほどの支持を集めているのかが初めて解った気がした。高校時代の音楽の授業では、毎年12月の最終回に「第九」全曲をレコードで聴くのが慣例になっており、だから私は3回聴いた訳だが、なにかバカ騒ぎをやっているという印象を持っただけで、ちっともいい曲とは思えなかった。当時はクラシックに対する関心がまるでなかったというのがおそらくは最大の理由だろうが、もしかしたら凡演を聴かされていたからという可能性も完全には否定できない。3年間とも同じレコードだったのか、あるいは違う演奏だったのかも今となっては全く解らない。当時の非常勤講師(臨時採用)に会って、指揮者とオーケストラ名を訊いてみたいところだ。
 さて、その後中古屋でバーンスタイン&VPOのベートーヴェン全集を買った(傷物でもなかったのに5800円という当時としては破格の安値で、価格設定ミスとしか考えられない)のだが、それに収録されていた「第九」はどうもしっくりこなかった(理由は後述)。もっとも、その頃は「1曲1枚で十分」と考えていたこともあって、それでも我慢していたのだが、別ページに書いているように、かなり経ってからベートーヴェンの面白さに目覚め複数の全集を購入するようになると、当然ながら「第九」のコレクションもそれなりの数に上った。(とはいえ現在も30種類には達していない。)にもかかわらず、演奏、録音ともにスウィトナー盤を超えるものは見つからなかった。(録音を除外すれば、あるいはフルトヴェングラー盤のいくつかはトップに立つ資格を有しているのかもしれないが、私はブルックナー同様に、つまり方針ページに書いているように演奏だけで最高の評価を与えるということができない人間である。)
 まず録音だが、適度な残響があって柔らかな音は聴いていて非常に心地がよい。東ベルリンのキリスト教会での録音ということだが、ベルリン・フィルハーモニーができる前にカラヤンが録音に多用していた西ベルリンの方と同様、音響特性に優れていたのであろう。また非常にクリアーな音質だが、耳当たりがきつくないのも嬉しい。かなり早くからデジタル録音に取り組んでいたこともあってか、DENONレーベルの録音技術には定評があるようだが、(たぶんそのディスク評で触れるはずだが、ごく一部に変な音と聞こえるディスクもあるものの、)私は不満を覚えたことがほとんどないように思う。音質についてはこれくらいにするが、この点ではスウィトナー盤に匹敵するものは他にもある。問題は演奏である。
 当然といえば当然だが、私はオーケストラ、ソリスト、合唱が全て揃っていないと満足できない。そして、どれも合格点を付けられるのは今でもスウィトナー盤だけである。とはいえ、オーケストラ部分については、どれもプロが演奏したものだけにそんなに差は付かない。(ノリントンの旧盤とかベームの新盤のような)極端なテンポを採用していなければとりあえずは満足できる。次のソリストだが女声はあまり気にしない。オケと同様に下手でなければ、プロとしての水準をクリアしておれば十分である。(別にシュワルツコップやルートヴィッヒのようなトップスターでなくとも構わない。)けれども男声には注文を付けたいのである。バリトンはバリトンらしく太く重い声で、テノールはテノールらしく明るい声で軽快に歌ってくれなければ。要はコントラストにこだわっているわけで、両者にあまり違いがないのはガッカリである。ヴァント盤やワルター盤はその点で失格。ちなみに、バーンスタイン盤はその点ではOKだが、バリトンのモルの声は籠もっていて、この祝祭的正確の強い曲には不向きだと思うし、逆にコロの軽薄な歌い方には「いくらお祭りだからといっても少しぐらいは真面目にやれ! 偉い人(シラー)の詩なんだぞ」と怒鳴りつけたくなる。これほどミス・キャストの「第九」演奏を私は他に知らない。(モーツァルトの「レクイエム」カラヤン&VPO盤のソリスト起用に疑問を呈した批評をFM誌で読んだことがあるが、それが些細に思えるほどである。)そして合唱。ここでもバーンスタイン盤が槍玉に挙がってしまうのは申し訳ないのだが、この曲で初めて合唱が声を出す所の "Freude" に私は仰天してしまった。何とも気味悪く聞こえたからである。マイクがすぐ近くに立てられているせいか、残響なしに飛び込んでくる合唱は妙に生々しいが、それは慣れれば気にならなくなった。けれども、合唱がちっとも美しく聞こえないのはどうしようもない。ウィーン国立歌劇場合唱団のおどろおどろしい歌唱は、ヴェルディのオペラなどで勝利の雄叫びを挙げたり敵を威圧するような場合には適性を示するのかもしれないが(実際に聴いたことないのであくまで推測)、厳かなこの曲には少々場違いという気がする。(宗教曲でもヴェルディのレクイエムなら良いかもしれないが、モーツァルトの同曲、あるいはベートーヴェンの「荘厳ミサ」などとはミスマッチではないか?) 同じウィーンでも楽友協会合唱団はもっと酷い。ストレートに「汚い」と思ってしまうのである。この合唱団については、ネット上でも悪評をあちこちで読むことができる。例えば「第九」の比較試聴サイトでは「はずれの合唱団」とまで書かれていたし、あるクラシック総合サイトでも「ここでもウィーン楽友協会の合唱団が下手で・・・・」などと繰り返し糾弾しているのを目にした記憶がある。そういうことを書いていたのは、学生時代に合唱団に入っていた、あるいは今も歌っていたり指導している人達である。どうやら彼らの耳には本当にそう聞こえるらしい。合唱経験者でない私は、さすがに「ヘタクソ」とまで言うのは畏れ多いが、全く美しく響いてこないのは事実である。私が考えたのは、団員の声が十分に溶け合っておらず、バラバラなのが不快感と結びついているのではないかということである。小麦の穀粒を挽いて麩(ふすま=皮のくず)を除いたものが小麦粉だが、目の大きなメッシュで篩った粉は「粉もの」(お好み焼き、タコ焼き)や天ぷらの衣に使う分には問題ないけれども、うどんにすると舌にザラついた感じが残る。まさにそれである。要は「我らは兄弟、世界は一つ」(なかにし礼による"Alle Menschen werden Brueder"の和訳)と融和を呼びかけるこの曲には、このような粒の粗い合唱は相応しくないのではないかと思ったのだ。(少々こじつけか?)カラヤンが数々の「第九」録音に(あるいは上記「モツ・レク」のVPO86年盤はおろか61年や75年のBPO盤までも)この団体を起用したのが不可解でならない。他所からスウェーデン放送合唱団などを招いていたアバドは誠に慧眼であり、この点では私は彼を断固支持したい。
 スウィトナーそっちのけで長々と書いたが、言いたかったのは超名演の「第九」を聴いてこの指揮者の並々ならぬ実力を知ったということである。それを凌ぐような「決定盤」には遂に出会えなかったため、後にそのCDを所持するようになったのは自然の成り行きである。私が買ったのは「デンオン・ベスト・マスターズ」シリーズ(税抜1700円)だったが、現在ではこの超名演が「CREST 1000」シリーズで手に入る。「『第九』は誰のを買ったらいいか?」と尋ねられたら私は躊躇なくそれを薦めることにしている。実は昨年末もこの曲を集中的に聴いたのだが、やはり当盤の印象は群を抜いていた。(余談だが、黒田恭一によるNHK-FM日曜朝の「二十世紀の名演奏」12月26日に放送されたトスカニーニの演奏は非常に面白く聴いた。)最近はクレンペラーやテンシュテットの優れたライヴ盤も登場しているので、(それらから感じられる熱気が入っていないこともあって)スウィトナー盤が断然トップということはなくなったが、スタジオ録音では相変わらず「マイ・ベスト」である。また、完成度だけで順位を付けるならやっぱり不動の第1位だ。(ここでも書けるだけ脱線話を書いてしまうつもりだが、最初にスウィトナー盤を聞いたため、バリトン独唱の "O Freunde, nicht diese Toene !" では、"Toe" から "ne" に至る間に音を下げてくれないとどうにもしっくりこない。つまり「G→F」なのだが、私が持っているうちでこうやっているのは既に挙げたスウィトナーとバーンスタインの他にケーゲルとベームの新盤ぐらいと極めて少数派であり、ほとんどの演奏では「F→F」と芸がないのは大いに残念である。)ベートーヴェンでは他に36番を「My Classid Gallery」というシリーズのバラ売り品(ともにBOOKOFFで250円)を、「未完成」と併録の5番を「The Classics 1200」という廉価盤で所有している。このうち3番は「つまらない」、5番は「まあまあ」、そして6番はワルター盤に次ぐ(ベーム盤と並んで同点の)2位という評価である。(2005年6月追記:スウィトナー&SKBによるベートーヴェン交響曲全集の国内廉価盤が今月末発売されるということだが、紹介文によると「英雄」はレコード・アカデミー賞を受けたということである。信じられない!)あとはブラームスのハンガリー舞曲全集を上記「CREST 1000」で持っているが、コレクションとして一応そろえただけなのであまり聴いていない。この曲ではレンタル屋から借りたアバド&VPO盤がとても良かった。
 さて、やっとのことでブルックナーに移る。手を伸ばしたのはCD蒐集が三桁に乗ってからだったので比較的遅かったといえるが、国内廉価盤(徳間)をまとめて購入することにした。(さすがに1番だけは外した。そういえば以前の通常盤は8&1番のカップリングだったはずだが、再発盤では1番が「TKCC-15011」として切り離されてしまった。両曲を欲しい人にとって、これでは廉価盤のメリットが全くない。)実力派の指揮者なので注文を入れるに際して不安は全くなかった。レーグナーの目次ページに書いたように、"Deutsche Schallplatten 25th Anniversary" は限定盤ながら、そして発売後7年が経過していたにもかかわらず、注文した品は全て入荷した。(よっぽど大量にプレスしたのか、それとも売れ行きが悪かったのか、いずれにしてもありがたいことだ。「ムラヴィンスキーの芸術」シリーズをサッサと生産中止にしてしまったBMGには見習ってほしかった。)そして、概ね期待した通りの名演奏を聴かせてくれた。(そうでなかった所は各ディスク評ページに書くことにする。)なお、他に8番にはベルリン・シュターツカペレとのライヴ盤が存在するようだが、安くないしスタジオ盤に満足しているのでたぶん手は出さない。
 またしても余談だが、ある通販サイトのデータベースでは、かつては2枚組の8番までもが(税抜きで)「971円」と表示されていたことがある。CD番号が「TKCC-15015」と1枚物(しかも次の15016は別の品=ワルツ・ポルカ集に割り当てられている)なので、作成者が勘違いしたのだろうか。それを見逃さなかった私はすかさず注文を入れてみたが(ヤな客)、やはり5割引では買えなかった。(店側が素直にミスを認めたのでゴネるのは止めた。)その後も誤った価格のままだったのだが、今日見に行ったら正しく(税込で)「2039円」になっていた。もしかしたら、2004年4月の(消費税を含めた)総額表示義務化を機に訂正したのだろうか。何にせよ、誤りをあんなにも長いこと放置しておくという神経はちょっと理解できない。生産中止の品をいつまでも検索結果に表示させるのもそうだが・・・・(とはいえ、そのような怠慢データベースも当サイト作成のための資料収集に利用するなら却ってありがたかったりする。)
 最後になるが、レーグナーと同じく私がブルックナーを買い揃えた直後に Berlin Classicsから「オトマール・スウィトナー・ボックス」が出て地団駄を踏んだ。まったくツキに見放されているとしかいいようがないが、ブル以外に全くそそられる品が入っていなかったためダメージは少なかった。

おまけ(一応はシュターツカペレ・ベルリンに関係したことであるが、徹頭徹尾どーでもいい話を書き連ねたので、なるべくなら読まれない方がよろしかろう。)
 ヨッフム4番ACO盤ページに、私の生涯唯一のヨーロッパ(ドイツとスイス)滞在について触れていたが、終わりの方で「ベルリンのフィルハーモニーで演奏会を聴いた」などと遠回しに書いた。「を」ではなく「で」というのがミソであるが、聴けたのはBPOではなく実はこのオーケストラだった。滞在中に思いもかけず日程に余裕ができたので、「せっかくここに来たのだからベルリン・フィルを聴いてみよう」と思い立ち、チケットを買いに行った。何せそういう事態は全く想定していなかったので、その日の演目が何なのかも知らなかったが、建物内の売り場にてバレンボイムの指揮&独奏によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第234番という非常に意欲的な、というか胃にもたれそうなプログラムであると判明した。窓口のあんちゃんに「当日券はないか?」とたどたどしいドイツ語で訊いたら、英語で「今日のチケットが欲しいのか?」と呆れたような顔つき&口振りで答えてくれた。(聞き取りはダメだが、独語で意思表示は何とかできると解ったのは大きな収穫だった。)それでも「キャンセルがあるかもしれないので15時にもう一度来なさい」と言ってくれたのでそれに従った。が、やはり「完売」ということでキッパリ諦めた。日本では、特にネット上ではバレンボイムの評価はさほど高くないので、あるいはと考えたが大甘だったようだ。何でもバレンボイムとBPOの40年記念コンサートらしかったが、おそらくドイツでは非常に評価も人気も高い彼(ネット掲示板でそのような投稿を目にしたことは多々ある)を満員の聴衆が称えたに違いない。
 さて、ならば翌日(正真正銘のラストチャンス)のをと思ったのだが、BPOの公演予定はなく、代わってシュターツカペレのコンサートが行われるということだった。それでも構わないので席を取ろうとしたら、「BPO以外の団体による公演のチケットは、ここでは前売り券以外は扱っていない(既にその発売期間を過ぎてしまっていた)ので、直接歌劇場に行ってくれ」という返事。で、足を運んでみたらまだ結構空きがあった。(ただし、当日はほぼ満員だった。)まずチケットのカテゴリーを訊かれたので、値段を尋ねてみたところ、最も高い席が38ユーロ(当時のレートで約5000円)だったので躊躇なくそこにした。(海外オケの来日公演と比べたらバカバカしいほどの安値である。)次の「場所は?」に対して「できるだけ前」と答えたら、数字の「2」が印字されたチケットを渡してくれた。
 で、当日中に入って自分の席と思った位置(中央から向かってやや左の2列目)に座っていたら、「ここはあなたの席か?」と尋ねられた。椅子の番号と照合してみたら確かに違う。実は舞台の中央が少しせり出しているため、「1」はその外側の席にしか与えられていなかったのだ。つまり中央寄りの席では「2」が一番前だった。(図を見たら一発で解るのだが)筆力不足なので上手く言えてない。とにかく私は勘違いしていた。思いもかけず最前列に座らされる羽目になりちょっと焦ったが、右隣の数席には何やら数百年も前の学生服みたいな古風な格好のオジサン達が座っており、互いに挨拶を交わしている。非常に由緒ある名門校の偉いさんであろうか。自分がちょっと場違いなところにいるように感じてしまった。ちなみに、大ホールに入る前に建物内を探索してみたのだが、私以外にも東洋人(おそらく大部分は日本人)が結構来ていた。その多くは比較的カジュアル服装だったが、私はその中に混じってもかなり目立つようなラフな出で立ちで、下がジーンズで上はセーター、3月でも最低気温が0℃を大幅に下回る寒さなのでその上にパーカーを羽織っていた。(それは開始直前に丸めて座席の下に突っ込んでおいた。)要は私が彦根市内で開催されるコンサートを聴きに行くのと同じスタイルを貫き通しただけなのだが、あるいは日本人のイメージを悪くしてしまったかもしれない。私はもうあそこを訪れることはたぶんもう二度とないので、まあどうでもいいのだが、常連さんやこれから行く人には悪いことをしてしまったのかもしれない。スマン。ただし、演奏中のプログラム閲覧、居眠り、咳くしゃみ、あるいは終演後のフライング拍手and/orブラヴォーといった迷惑行為は一切しなかった。
 最初に演奏されたのはショーソンの「愛と海の詩」作品19。彼の作品は「詩曲」ぐらいしか知らない私にとって、タイトルすら耳に馴染みのない曲であったが、どうやら管弦楽と女声独奏のための音楽らしいと判った。ソリストは顔も名前も憶えがなかったが、結構上手かった。これほど近くでプロの歌を聴くのは、ザ・シンフォニー・ホールの前から10番目位の席に座ったカナワのリサイタル以来じゃないか、などと記憶を掘り起こしていたが、そのうちに音楽に引き込まれていった。実はこれを執筆するために、会場でタダでもらってきた"Berliner Philharmonie Alle Veranstaltungen 2003.2004"という小冊子をさっき取り出してきたのだが、改めて当日(3月10日)のページを開いて驚いた。"Waltraud Meier MEZZOSOPRAN"とある。現在わが国でも人気上昇中の歌手ではないか。もしかしたらメチャクチャお得なコンサートを聴くことができたのかもしれない。後半はベルリオーズの「幻想交響曲」作品14。そんなに好きではないのでミュンシュ&パリ管盤があれば十分、いや、それすらも滅多に聴かないという曲であるが仕方がない(以後しばらく脱線)。そういえば、南米から帰ってしばらく諸手続きや健康診断などのために東京に留め置かれた時も、暇つぶし的にサントリーホールに行ったのだが(今のところ東京でクラシックの演奏会を聴いたのはそれが最初で最後)、その時もこの曲がメインだったので、よくよく縁があるのかもしれない。オケ名は忘れてしまったが指揮者は高関健だった。当日券を買うために並んでいたら、大学生らしき人物が「学生席のチケットが余っているので買ってほしい」と持ち掛けてきたので定価で譲ってもらった。入ってみると向こう正面の席で音響的にはあまり良くなかったのかもしれないが、ステージには結構近かったのでまあ満足した。演奏会前半の「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」(バルトーク)が(まあ元々そういう曲だが)大変スリリングで愉しめたが、「幻想」はあんまり面白くなかった。ホールを出る時にまたしても学生らしき二人組が前を歩いていたが、「『弦チェレ』は熱演だったけど『幻想』は手抜き」というようなことを話していたので、あるいは私の曲との相性の悪さだけではないのかもしれない(以上で脱線終わり)。このフィルハーモニーで演奏された「幻想」にも感動することはできなかったが、熱演であったのは確かだ。書き忘れていたが指揮者はミッコ・フランク。私は名前を知っているだけで写真も見たことがなかった。(ちなみに、帰国直後に購入したCDジャーナル2004年4月号では、「今月の注目盤」の輸入盤評を担当している鈴木淳史が、「バンベルク交響楽団といえば、ミッコ・フランクの妙にこましゃくれた指揮にも不平も洩らさず懸命に弾いている姿を思い出す」などと書いていた。)北欧出身の指揮者は何となく長身でスラッとしているというイメージを持っていたので、登場した小太り男(身長150cmほどに見えた)には拍子抜けした。(そういえば、ここでも童顔で小男というのが高関と一緒だな。)指揮の間ずっと椅子に腰かけており、「休暇中のサッカーでアキレス腱でも切ったのがまだ完治しとらんのかい」などと思っていたが、実は元から脚が悪いということは後で知った。(大変失礼した。)それでも終楽章のラストでは立ち上がり、全身を使っての派手な棒振りで締め括った。満場の大拍手とブラヴォー連発も当然だったと思う。(これも余談で、ミュンシュが「ダフニスとクロエ」第2組曲を指揮する姿をNHK教育テレビの「二十世紀の名演奏」で観たことがあるが、「全員の踊り」ラストの立ち回りは衝撃的だった。彼の「幻想」エンディングもさぞかし壮観だったに違いない。)
 もしブルックナーの交響曲を聴けたのなら間違いなくこの数倍書いていたと思うが、とにかくいい思い出にはなった。とはいえ、これを機にコンサートを聴くためにヨーロッパまではるばる出かけるということは絶対にない。ウルトラ出不精の私の行動範囲は、あくまで「自転車で行ける所」までなのだ。

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