クルト・マズア

交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
 ニューヨーク・フィルハーモニック

交響曲第7番ホ長調
 ニューヨーク・フィルハーモニック

交響曲第9番ニ短調
 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

 今年(2006年)最初のディスク評執筆を誰にしようか迷ったが、少々思うところ(教えない)があってマズアにした。
 来日時にふざけて「振るとまずい」と日本語で言ったらしい。(別に「来るとマズイ」でも良かったような気がするが・・・・)総帥が自著に「真実なのが恐ろしい」と書いていたことからも判るように、「許光俊グループ」からは徹底的にバカにされている。一方、ケーゲルの「運命」来日公演盤(Altus)ブックレット掲載の「二人のヘルベルト カラヤンとケーゲル」(「クラシック辛口ノート」からの転載)を執筆した渡辺和彦も「マズアをカラヤンと同列にするのは、いくら何でも二人のヘルベルトに失礼だ」に留まらず、「カラヤンには抜群の音楽的才能があったからまだ救われるものの、旧東独の指揮者クルト・マズアはどうか」の直後に「世の中には世渡りのうまいひと、機を見るに敏な人間というのが本当にいるものだ」と記すことで間接的ながらも容赦なく糾弾していた。
 どんなに評判の悪い指揮者であっても大抵は1人ぐらい擁護する批評家が付き、御用評論家としてライナーを執筆したりするように思うだが、マズアについてはそういう存在が全く浮かばない。サンドバッグのように一方的な非難を浴び続けているのは気の毒なほどである。やはりケーゲルを陥れてのし上がったというダーティ・イメージが強いせいだろうか。そういえば、私が持っている4番旧盤のブックレットに載っている白黒写真もどことなく謀略に長けていそうな風貌ではある。人相の悪さではマゼールといい勝負かもしれない(失礼)。

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