交響曲第9番ニ短調
クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
75/04/28〜30
BMG (RCA) 74321 29247 2

 東京出張時に新宿の「組合」で購入。「300円均一」と黒マジックで書かれた段ボール箱の中に発見したが、そうでなければ十中八九手を出さなかったであろう。トータル54分ジャストという快速演奏である。東独系指揮者としては他にレーグナーやケーゲルも相当速いが、彼らと互角に渡り合うことができているだろうか?
 そう思って聴き始めたのであるが、最初の数分で「ダメ」の烙印を押してしまった。0分55秒からは地面を踏みしめて(リズムをしっかり刻んでいる)歩んでいる感じだが、1分22秒からフワフワと浮き足だってしまう。どういうスタンスで行くのか自分でもハッキリしないまま演奏に臨んだのではないかと疑いたくなる。こうなると以降の弦の刻みやオーボエの旋律など全てが気に障ってくる。インフレーションでの加速と響きの混濁は言語道断である。ビッグバンを軽く扱っているのはさらに許し難いし、晴れ上がり直前の相当あざといフレージングも実に嘆かわしい。要は作為が耳に付いて仕方がないということに尽きる。(ブラインドで聴いたら、そして彼のブルックナーを知る前であればシノーポリと断定してしまったことだろう。)
 晴れ上がってからもリズムに自己流アレンジを施し、音楽をサラサラ流していく。つまり、指揮者にしては4番と全く同じアプローチを試みたに過ぎないのだが、それがこの曲では完全に裏目に出た格好である。それでもリズムさえ正確であれば何とか聞けるものにはなっていたであろうが、9番演奏でそれが甘々なのは致命的である。少しは持ち直したと思ったのも束の間、9分57秒や12分07秒からの尻軽加速には耳を覆いたくなる。かと思えば13分12秒からはヨロヨロテンポ。私にとってはまさに「禁忌」の集大成というべき演奏である。(朝比奈の94年および96年盤といい勝負だ。)もはや拷問に等しいと感じたため、ここで再生を止めた。評執筆は決して難行苦行ではないのだから。
 基本テンポ設定こそ似ているけれど、それぞれ透明感と厳しさを突き詰めたレーグナーおよびケーゲルの演奏とは全く比較にならない。ここでも許光俊の言葉を拝借すれば「速めにスルスル作戦」は大失敗(9番とは相性最悪)だったということである。これだから適性というのは恐い。

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