ヘルマン・アーベントロート

交響曲第5番変ロ長調
交響曲第7番ホ長調
交響曲第8番ハ短調
交響曲第9番ニ短調
(全てライプツィヒ放送交響楽団)

 アーベントロートといえば宇野功芳が「名演奏のクラシック」で採り上げてはいたけれども、モノラル録音しか残っていないため完全に無視していた。かなり経ってからであるが、初めて注目したのはDisques Refrainから発売されたブラームスの交響曲第1番(バイエルン国立管との56年1月16日の演奏)に対する海老忠のコメントを「クラシックの聴き方が変わる本」にて読んだ時だったかもしれない。次の通り。「いくらライヴとはいえ、ここまでやって良いのか、こんなことが許されるのか、とでも叫びたくなるような狂暴なフォルム破壊、壮絶な効果狙いは、禁則アゴーギグの集大成でもある。」以下余談。私はアーベントロートの代名詞ともいえる「アゴーギク」(速度法)の意味を長いこと全然知らなかった。あんまり独語っぽくないので、そうであることすら知らなかったし、それどころか「アコーギク」だと思い込んでいたほどであった。そして、何となく語呂が蚊取り線香の原料(除虫菊)っぽいこともあって、兵庫県南部でのみ生産されるChrysanthemum 属植物(赤穂菊)を勝手に連想していたのであった。
 閑話休題。その後買った「こんな『名盤』は、いらない!」でも鈴木淳史が採り上げている。「本一冊書けそうな『情報量』をもち、それがまったく意味のないものであるという、常軌を逸したゲテモノ中のゲテモノ。あまりにものヤリたい放題に、恥ずかしさを超越、聴く者を爆笑の渦に引き込むという魔術。」ここまで書かれるような演奏を聴かない手はない。ところが先述のDisques Refrain盤やTahra盤(TAH 141/142)が入手不可だったので、代わりに別演奏(ライプツィヒ放送響との49年10月20日の演奏)と知りつつドイツシャルプラッテンの1000円廉価盤(TKCC-15053)を入手した。その際、先述の宇野本で推薦されていた「悲愴」と「第九」も併せて注文した。(「CDベスト3」として「V字」も挙げられていたが、ハイドンはそうそう聴く曲ではないし、既にクナ、フルヴェン、ドラティ盤を持っていたためスルーした。)いざ聴いてみたらそのオマケの方はさすがに録音こそ古めかしいものの結構楽しめたのだが、肝心のブラ1は全くの期待外れで間もなく人に譲ってしまった。(あるアーベントロートのサイトには「解釈も晩年に較べるとややおとなしめか」とあるが、やはり他の2曲に比べて印象が弱かったのは否めない。)その後も上記56年ブラ1の仰天演奏を入手する機会を窺っていたのだが、ようやくにして2003年「廃盤CD大ディスカウントフェア」の輸入盤コーナーに出品されていたTahraの2枚組(ベートーヴェンの「英雄」「エグモント序曲」、シューマン「春」がカップリング、TAH 490/491)をゲットした。(最初の注文時には見逃していたが、件のブラ1の収録を知ったため慌てて追加購入した。送料2度払いになって少々損した。)ちなみに、「犬」通販の宣伝文には「この交響曲への既成概念を完全に叩きのめす自由自在で豪快な想像不可能な個性派演奏」「この演奏にはまったらもう最後です」とあるし、別の通販サイトにも「アーベントロート地獄のブラームス1番ついに復活」「そのあまりの異常性に聴く人みんなが卒倒しかかった」「その後その演奏はアーベントロートについて語るとき絶対に引き合いに出されることになる」というコメントを見つけた。しかしながら、実際聴いてみると確かに爆笑ものではあるけれども、そこまでショッキングな文字を並べたてる必要があるのかという疑問を禁じ得なかったというのが正直なところである。ましてや鈴木の「まったく意味のない」は、著者がどういう意味で「意味」という言葉を使ったのかが判らない以上、読み手に何の意味も伝わりはしない。
 上記「悲愴」他のブックレット巻末に掲載されていたリストより、この人のブルックナーも459番が徳間の廉価盤で手に入ることは知ってはいたけれども、やはり音質に期待できないこともあって食指は動かなかった。ところが、楽天フリマで何か(忘れた)を買おうとした際に同じ店が安く売っていた5番(TKCC-15066)も出来心で買い物かごに入れてしまった。当該ページに書くつもりだが、このディスクには少なからぬ問題があったものの、演奏自体は立派なものでそこそこ満足できた。2005年6月にARIOSOという耳慣れないレーベルから上記5789番収録の激安4枚組(約2200円)が出たため、5番のダブりは承知で買った。(その重複盤も買った店がまずまずの値で取ってくれたので大して損はしなかった。)4番が残っているが、第1楽章が相当なイラチテンポのようなので聴いてみたいとは思わない。

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