ディアマンテス/アルベルト(Diamantes/Alberto)
 沖縄つながりという訳でもないのだが、今年(2007年)に入ってからアーティスト2者のディスク評執筆を並行して進めてきた。(実は両者の曲を同じMDに入れて車内で聴いていたりする。)もう一方の女性歌手(石垣島出身)については説明の要なしだろうが、ディアマンテスについては一応補足しておく。メイン・ヴォーカルのアルベルト城間は日系(三世)ペルー人。演歌歌手になるという夢を叶えるべく来日したはいいが一向にその目処が立たず、移り住んだ沖縄で出会った仲間達とトリオ・ディアマンテスを結成することになる。(念のために記しておくと、メキシコではTrio Los Panchosと肩を並べる実力派グループのLos Tres Diamantesが1948年の結成以来メンバー不動で活躍していた。ついでながら、1960年にはパラグアイ人のCelso Duarte Gonzálezら3人組が同名で音楽コンクールに参加したという話だから、城間達は三代目ということになる・・・・・・のかなぁ?)そのいわば前身時代を経て1991年にデビューしたディアマンテスは、沖縄ラテン(沖縄音楽とラテン音楽との融合)というスタイルによって地元民の支持を集めることに成功し、着実にヒットを重ねていった彼らはやがて活動を全国的に展開するようになった。かねてからこの音楽集団を高く評価されている横浜のネット知人Kさんは、ご自身のサイトに独立したセクションを設けておられる。そこで一通りの情報は手に入るから、本ページにこれ以上の解説を記す必要もなかろう(と逃げる。というより、ここに書いた経歴はかなりいい加減なはずだから決して鵜呑みにしてはいけない。)
 Kさんとの私信やり取り中にその名が何度も登場していたから存在は知っていたし、城間が長寿テレビ番組「徹子の部屋」に出演した際は留守録して帰宅後に観たりなどした。そこで聴いた音楽にそこそこ感心したことが当時のメール文からも窺える。が、CDを買ってみようという気にはならなかった。そういうものである。そういえばKさん主催のBBS(汎用)にて、彼と札幌のSさんがそれぞれ愛好しているミュージシャンを互いに薦め合う(KさんからSさんへはマドレデウス、SさんからKさんへはキング・クリムゾン)という光景を目にしたことがある。しかしながら、その後しばらくやりとりが続いたものの、両者あるいはどちらかが実際に購入するに至ったというようなことは結局なかったはずだ。これもそういうものである。音楽に対する嗜好性というのはまったく個人的なものであるし、その感動というのも畢竟のところは言葉では伝えることができない(パクリだが「音楽でしか伝わらない」)ためである。(追記:Kさんはクリムゾンのアルバムを2枚試聴されが理解不能であったとのこと。またSさんにマドレデウスの「ムーヴメント」を贈呈されたが何も反応は返ってこなかったそうである。やっぱりそういうものである。)だから別の切っ掛けが絶対に必要となる。
 それが私に訪れたのは1999年の秋だっただろうか?(2000年1月にアルバムの感想をKさんへのメールにしたためているから多分そうである。)その年の9月から始まったNHKラジオスペイン語講座(応用編)の新シリーズが「中南米の音楽をスペイン語で聴こう」という趣旨だったため、当然ながら興味津々で週2回(金土)の番組を聴いていた。その何回目かで採り上げられたのが "El cóndor pasa"、言わずと知れた名曲「コンドルは飛んでいく」であるが、流れてきた音楽を聴いて私の方がぶっ飛んだ。何という力強い声! 歌っているのはアルベルト城間だという。翌日早々にKさんのBBSにて同曲を収録しているCDについて問い合わせたと記憶している。そこで教えていただいた1stアルバム "Okinawa Latina" が初めて聴いたディアマンテスのディスクである。その満足度がかなり高かったため、続いて推薦してもらったベストアルバム "Lo Mejor de Diamantes" も日を置かず購入することとなった。
 今気が付いたが、当サイトで紹介しているアーティスト中、私が唯一生で聴いたことのあるのがディアマンテスである。実はKさんから「チケットが1枚余っているからどうですか?」と誘っていただいたため2000年秋(9月23日だったっけ?)に聴きに出かけたのであるが、それが日比谷野音(日比谷野外大音楽堂)でのコンサートだった。初めてKさんにお目にかかったという記念すべき日だったにもかかわらず当日はあいにくの空模様。その後も私がオフ会に参加すると半分近くは雨に祟られているから、出不精の私が遠方まで出かける日は要注意ということかもしれない。それはともかく、あの日を境にディアマンテスは生まれ変わった。つまりメンバー4人のリストラ、いや「卒業」によって、歌も踊りもありという大所帯(一時は8人にまで膨れ上がったらしい)から一気にスリム化を図り、翌日からトリオとして出発することになったのである。(あるいは原点に立ち返ろうという意図があったのかもしれない。)それを機に音楽から沖縄の要素が後退し、新生ディアマンテスは必然的にラテンの特徴を強く打ち出すようになる。(Kさんによれば、編成と音楽性の変更はファンの間に賛否両論を呼び、どちらかといえば否の声の方が強いということだが、私は転向後の曲を全くといっていいほど聴いていないからノーコメントとせざるを得ない。)また、城間はソロ歌手としても本格的に活動を始めることとなった。彼が「アルベルト」名義でリリースしたアルバムのうち、私は第2作 "Habanera" および第3作 "Mona Lisa" を所有している。ここで断っておくが、まずまず好印象を抱いた前者とは対照的に後者は全く気に入らなかったから、ディスク評ページにも相当辛口のコメントが並んでいる。そういうのを読んで気分を害したくない方は間違ってもリンクを踏まれないよう予めお願いしておく。(なお、アルベルト城間の表記については次のように使い分ける。ディアマンテスのヴォーカリストとしては「姓のみ」という原則に従い「城間」とするが、ソリストの場合は「芸名を尊重」によって「アルベルト」とする。)

スペイン語圏の音楽のページに戻る