Habanera(ハバネラ)
2002
M&I MYCD-30129

 あの「暴君」で有名になった激辛トウガラシ品種のことではない。(←分かってるって。)キューバの民俗舞曲のことである。(ついでながら、ブックレットにもあるように西語式に読めば「アバネーラ」である。)それを歌劇「カルメン」の作曲者ビゼーが主役の歌うアリアに採り入れたが、フランスのコントルダンスに源流を求めるならば、この時点でもハイチを経由してキューバに入ったハバネラを「逆輸入」したといえる。(この辺りは岡本郁生の解説にも詳しい。)それを再度ラテン風に戻してアルベルトがカヴァーしたという次第。(綱引きかい?)では本題に入る前に前置きを。(実は次作評の伏線にもなっている。)
 紹介ページで触れた野外コンサート以外にも私は生でアルベルトの歌を聴いている。2002年5月25日のことであるが、場所は何と長浜市(私の居住地)に隣接する山東町(現米原市)のルッチプラザだった。(席数310という小ホールだが、町名に引っ掛けたのは明らかで「駄洒落かよ!」と言いたくなる。)人口13000人ちょっとの町にわざわざ彼が来てくれるとはにわかには信じられなかったが、「もしかして」と思うことも皆無ではなかった。話は先述のコンサート後に参加した「オフ会」に遡る。(ちなみにお膳立てして下さったのはKさんであるが、よく考えたら今に至るまで他の人が企画したオフには一度たりとも出たことがない。)たぶん私の右斜め前方に座られていたYさん(本名の姓はKで始まるが、ややこしいのでハンドルネームの頭文字を使用)という方が何と山東町から来ておられると知り私はビックリした。どうやら彼はディアマンテスのいわゆる「追っかけ」として全国を行脚しているらしい。話を戻すと、そういう地方在住の熱心なファンのためにアルベルトが一肌脱いだのではないかと思ったのである。(実はYさんも同好の仲間から「あんたが呼んだのか?」などと尋ねられたらしいが、彼にとっても全く寝耳に水で仰天したらしい。結局「何でわざわざ」に対する回答は得られず、いまだに謎のままである。)あそこなら自転車でも半時間はかからない。いくら「自転車で行けるところしか行かない」出不精の私でもさすがにこれでは逃げる口実がない。ということで発売当日にチケットを買いに行ったら誰も並んでいなかったので拍子抜け。一番前でも取れたがシャイな私は中ほどにした。当日は6割程度の入りだっただろうか。今に至るまで周囲にディアマンテスやアルベルトを知っている人間の数が2桁に届かないような土地だから仕方ない。ただし、「追っかけさん達」が団体さんで何組も来ていたこともあって、それなりには盛り上がった。(さすがに「とてもいい町なのでまた来たい」は社交辞令だろうが。)新譜リリースから4ヶ月後のライヴだったから、当盤収録曲も何曲か歌われていたし(結構あやふや)、終演後のロビーではサイン会兼即売会も行われていた。その時私は視線の先にあった大きな部屋に吸い寄せられるように入ってしまったが、そこには想像をはるかに上回る「宝の山」があった。ここには書かないが、「GWに関係する何か」で判っていただけるだろうか?(←絶対ムリ)
 閑話休題。結論から言えば当盤は大いに気に入った。その膨大な感想文をKさんのBBSに(当時は字数制限があったため何分割かして)書き込んだ。さらには悪ノリして「アルベルトにカヴァーして欲しい曲目リスト」なる長文投稿まで作成したはずだ。(そのリクエストに応えてもらった形跡は今のところない。まあ当然か。)それらがどこかに残っていれば参考文献にできるのだが、残念ながら見つからなかったので一からしたためるより他はない。
 1曲目 "Quién será"(キエン・セラ)から「当たり」である。「僕を愛してくれるのは誰だろう?」というちょっと寒い歌詞だが、実はそんなに深刻ではない。(これをもっと明るくしたのがモセダーデスの "Las palabras" である。)だからアルベルトの飄々としたアレンジが上手くハマる。タイトル曲のトラック3 "Habanera"(ハバネラ)はさらに良い。煙草工場の女工カルメンが、その美貌ゆえに言い寄ってくる男どもを軽くあしらう(まさに「煙に巻く」)ために歌うアリアである。だから、なるべく人を食ったような感じが出ている方が望ましい。なので、これも合格点。
 面倒なので全部の曲にコメントする気はなくなった。適当に端折る。解説に「筆者には、ある意味で、ものすごくニュー・ヨーク的な作品であると感じられた」という一文がある。そもそも良い印象を持っていない国の都市だし、大して関心もない私ゆえ、「ニュー・ヨーク的」がどういうものなのかは、その後の「ある意味」の説明らしきものを読んでもチンプンカンプンだったけれど、当盤収録曲のアレンジはどれも悪くないと思った。やはり私的には9曲目 "Je te veux"(邦題の「ジュ・テ・ヴー」はペケ、それなら "Je tes veux" やろ)、次の "Se fue/Träumerei"(邦題「トロイメライ」、シューマン「子供の情景」Op.15の第7曲、これも独語原題のウムラウトが欠落するという杜撰さ)、そして12曲目 "Sin Ti/Nocturnes No.2"(邦題「ノクターンNo.2」、ショパンの夜想曲 Op.9-2 変ホ長調)というクラシックの編曲ものが気に入った。シンプルなメロディをラテンに仕立てているが、下手にこねくり回して原曲の美しさを損なったりしていないのが何といっても嬉しい。リズム楽器に節度があって歌を邪魔していないのも良い。一方、ラテンのスタンダードはさすがにお手のもの。6曲目 "Frenesí"(フレネシー)と次の "Noche de ronda"(ノーチェ・デ・ロンダ)はそれぞれプラシド・ドミンゴとフリオ・イグレシアスのディスクで知っていたが、彼らにも決して引けを取らない見事な歌唱だ。ただし、そのイグレシアスの十八番である "Nathalie"(黒い瞳のナタリー)だけは引っかかった。大先輩に敬意を払いつつ歌ったと想像するが、それで終わっているように聞こえたからである。超えるとはいかぬまでも肉迫しようという心意気があったっていいだろう。また、ちょっとやそっとでは言い表せないような絶望感を詞に綴っているはずだが、それを聴き手に伝えようという強固な意志をこのカヴァーから感じることはできるだろうか? (同曲がフリオのベスト盤には十中八九入っているだろうから比較試聴してみればよい。)この軽快な伴奏では困難というなら最初から採用するべきではなかったと思う。とはいえ、他のトラックの仕上がりは上々(90点)だから、あれが「玉に瑕」(60点)だったとしても平均では88点になる。
 上述の感想文に何を書いたのかを執筆中に少しだけ思い出した。アルベルトが当盤の一部収録曲のような編曲もの専門で行くならともかく(それはそれで悪くない)、世界中にそれこそ星の数ほども歌い手が存在するラテンというジャンルに敢えて活動の場を求めるのであれば、今後どういった独自の境地を切り開き、それを音楽として表現できるのかが不動の地位を確立するための鍵となろう。その答えを必ずや次作以降で示してくれるに違いない。そう信じていた私であったが・・・・

追記
 本文中に出てきた「感想文」および「カヴァーして欲しい曲目リスト」であるが、それらを共に保管しておられたKさんが添付ファイルとして送って下さった。うち前者(ソロアルバム&ソロライブ考、2002/09/19投稿)に綴った当盤の感想については、自分でも驚いたほどに現在の印象と違いがなかった。なので再掲する必要もないだろう。ただし、上の最終段落について少し補足できるような文章が目に留まったため、一部手直しした上で抜粋してみる。

 かねてから「自分の望むままにアルバムを作ってみたい」と願ってきたアルベルトであったが、ディアマンテスのメイン・ヴォーカルとして名が知れ渡った今、ようやくそれが実現可能となった。そして完成したのが2枚のソロアルバムである。
 ただ少し気になることがある。他ジャンルからの編曲は別として純ラテンのカヴァーは超有名曲ばかり。そのようなディスクを生粋のラテン音楽愛好家が敢えて手に取ったりするだろうか? 1枚目ならば「ほほう、あのディアマンテスのアルベルトがラテンを・・・・どれどれ」ということはあるかもしれない。しかし、2枚目3枚目も続けて聴いてみようという気になるかといえば、無条件にそうなるとは考えにくい。なぜなら、ラテンの歌手はそれこそ世界中に星の数ほどいるから。同じような路線によるアルバムでは未だ聴いたことのない他の歌手への興味を上回ることは難しかろう。「ハバネラ」が高水準のアルバムなのは間違いないが、果たしてリピーターを獲得するだけのプラスアルファ(アルベルトにしかない何か)はあるのかないのか?
 現時点では保留とする。ソリストとしてのアルベルトは、まだ試行錯誤の段階にあると私は考えたいのだ。先述の夢がとりあえず叶ったので、今後どちらに進むべきかを模索している。だから「自分はこれで行くぞ!」という確固たる方針さえ決まれば、彼にしか表現できない世界、すなわち「プラスアルファ」も自ずと出てくるようになる。そのように予想(期待)している。

 つまり本文の「独自の境地」=直上の「彼にしか表現できない世界」と考えていただいて結構である。(なお、その後も「ソロライブ考」をダラダラ続けていたけれど、要はゲストの招聘について他愛のない意見を述べただけであるから割愛する。)
 この後に執筆した「カヴァーして欲しい曲目リスト」(「リクエスト」という表題で2003/05/24投稿)については赤面の至り的な記述も目立つため、ここはそれを参考にしつつ改めて2007年版を作ってみる。

1.Mujer contra mujer(Mecano)
 いくら男性がカヴァーするからといって "Hombre contra hombre" にはしないでもらいたいと考えているのは当時も今も同じ。

2.El cant del ocells(鳥の歌、カタルーニャ民謡)
 もちろんカステリャーノ(アルベルトの母国語)ではなくオリジナルの歌詞で。(ちなみに「カタルーニャ人に西語で話しかけたら何語で返されたか」という自作ナゾナゾがある。答えは「なーんもカタラン(語らん)」なので呆れられることは必定である。)Maria del Mar Bonetの名唱を上回ることは十分可能だと思う。いや、彼自身の "El cóndor pasa" をも超えてくれ!

3.Hey!(ヘイ!)
 Julio Iglesiasの持ち歌中で私が最も好きな曲だから挙げたに過ぎないが、アルベルトが "Hasta manha" での爽やかスタイルそのままに歌い上げれば成功は約束されたも同然。やはりイグレシアスのカヴァーで知られる "Quiero"が次点。(映画「禁じられた遊び」のテーマと言った方が通りが良いか? ちなみに両曲とも西語詞を付けたのは彼である。)

4.La barca de oro(メキシコの伝承曲)
 4年前の次点から繰り上げる。当時最有力候補として挙げた "Guantanamera" だが、この稀代の名曲が歌手を選ぶということに最近気が付いた。並はずれた実力があってもハマるとは限らないのだ。

5.Gracias a la vida(人生よありがとう、Violeta Parra)
 別に隣国アルゼンチンから "Alfonsina y el mar"(アルフォンシーナと海、Ariel Ramírez)や "Luna tucumana"(トゥクマンの月、Atahualpa Yupanqui)あたりを引っ張ってきても構わない。何にしても、これらの超名曲はもっともっと日本で知られてもいい。

6.Desafinado(ジザフィナード、Antônio Carlos Jobim - Newton Mendonça)
 理由はやはりボサ・ノヴァで一番好きな曲だから。が、もしかすると松田美緒が "Atlântica" で歌った "Canto nenhum"(行き先のない旅へ、Agenor de Oliveira)のような隠れ名曲が他にあるかもしれない。知名度が最も高いと思われるジョビンの "Garota de Ipanema"(イパネマの娘)は熱唱とはなりにくい曲なので、彼にはちょっとどうかと思う。

7.Moliendo cafe(コーヒー・ルンバ)
 飲食物つながりという訳でもないが、"El manisero"(南京豆売り)でもOK。

8.Llorando se fue(泣きながら、Los Kjarkas)
 KAOMAの "Lambada"(無断でポルトガル語の詞を付けダンス風に編曲して発売)のせいで大いにミソが付いた曲である。(おそらく日本人の大部分はあれが盗作だったことを知らないのではないか?)そのマイナスイメージを銀河の彼方まで吹き飛ばしてもらいたい。

9.Yesterday once more
 ただし私が考えるカーペンターズの最高傑作ゆえ、そのカヴァーが "This masquerade"("Mona Lisa" 収録)同様の体たらくだったら間違いなくキレる。

10.Memory(Andrew Lloyd Webber "Cats" から)
 これも "West Side Story"(作曲家Leonard Bernsteinの言わずと知れた代表作)のナンバー "María" あるいは "Tonight" で代替可能。いずれも「三大テノール世紀の共演」(初回=1990年)で聴いたメドレーからの短絡的発想である。

11.You've got a friend(Carole King)
 オリジナルの英語歌詞だけでなく、モセダーデスが "Tienes un amigo" としてカヴァーする際に作られた西語の詞で歌うという選択肢もある。正直なところ私には甲乙付けがたい。

(英語曲が続きすぎ&多すぎという気がするので、かつてリストアップした "Amazing grace" や "Greensleeves" は外す。)

12.Caruso(カルーゾー、Lucio Dalla)
 これは是非とも原語(イタリア語)で歌って欲しい。

13.シューベルトのセレナード(歌曲集「白鳥の歌」から)
 フランスの作曲家(ドビュッシー、ラヴェル、フォーレ)によるピアノ独奏曲や合唱曲、あるいはモーツァルトのピアノ協奏曲の緩徐楽章なども考えてみたが、やっぱりリートを素材とした方が手っ取り早いだろうし、ラテンへのアレンジや西語歌詞の当てはめもスムーズにいく(かな?)

(2003年は次にプッチーニの歌劇「トゥーランドット」第3幕より王子カラフのアリア "Nessun Dorma!" (誰も寝てはならぬ) を選んだのだが、荒川静香によって世間に知れ渡ってしまったため取り下げる。)

14.Subaru(昴)
 かつて海外で最も有名だった日本の歌謡曲「上を向いて歩こう」(Sukiyaki)は既にTrio Los PanchosやSelenaがカヴァーしているということもあり、現在アジアやヨーロッパなどで結構人気が高いというこの曲を。(もう誰かが西語ヴァージョン出してるのかな?)アルベルトには何としてでも「島唄」での汚名(←勝手に着せんなや)をそそいでもらいたい。

ボーナス・トラック:Somos novios(with 夏川りみ)
 4年前には Sarah BrightmanとAndrea Bocelliのデュエットによってバカ売れ(全世界で1500万枚以上!)した "Time to say goodbye" を挙げたのだが、ここは新しい曲を提案したい。また当時はアルベルトの相手を務めるに相応しい女性歌手が思い浮かばず、ミスマッチ覚悟でTeresa Salgueiro(Madredeus)を持ち出したりしていたのだが今は事情が全く違う。これ以上の適任者が考えられるか! 夏川が西語でも見事に歌えることは既に証明済み(折り紙付き)である。(ブライトマンとは比較にならぬほど上手い。というより、あの英語訛り何とかならんか?)ボチェッリの最新作 "Amore" の日本盤(貴方に贈る愛の歌)用として「ソモス・ノビオス〜愛の夢」をLAのスタジオで録音した際、先方から「素晴らしい声の持ち主だった。日本でも機会があったらコンサートをやりたい。」と手放しに絶賛されたらしい。(ただし、それを紹介したZAKZAKの記事がボチェッリと共演した女性アーティストをセリーヌ・ディオン、クリスティーナ・アギレナおよび夏川の3人だけと報じているのは大きな誤りである。ジョルジアとドゥルス・ポンテスを落としているのは何としてもいただけない。)もちろん喧嘩を売ることになるのは承知の上。目指すは沖縄ホットライン(?)による本家越えだ。

ディアマンテスのページに戻る