Lo Mejor de Diamantes(ベスト・オブ・ディアマンテス)1993-1997
1997
マーキュリー/ポリグラム PHCL-5083

 まずカタログ等に記載されている邦題について苦情を述べる。(CupiD等のデータベースを参照されたし。)私は生協ショップで注文しようとして目が点になった。そして直後に怒りが込み上げてきた。

 ディアマンテス/ロ・メジャー・デ・ディアマンテス 1993−1997

西語の "mejor" を 英語の "major" に相当する単語であると短絡的に判断した制作者を廊下に立たせてやりたいくらいだ(←体罰禁止)。もちろん "mejor" と対応するのは "best" であり、一方「メジャーリーグ」の「メジャー」を意味する形容詞は "mayor"(「マヨール」または「マジョール」と読む)である。つまり日本語表記(敢えて片仮名書きするなら「メホール」)および単語の対応関係というダブルエラーを犯している訳だ。この際野球に喩えてみると、内野手と外野手が続けざまにトンネルしてボールがフェンス際まで転々とする間にバッターランナーまでが悠々と生還といったところだろうか。だからお詫びに30%ぐらい値下げしてもバチは当たらんと思うぞ。もちろん製品自体にはこんなトンデモ表記はないから、それは言いがかりだとしても、ブックレット掲載の歌詞も誤植のオンパレードである。現在ならMicrosoft Wordにオプション辞書(英語以外)を組み込むことによって、ミススペルを潰せるようになっているのかもしれないが、当時は手作業で校正していたのだろう。何にせよ「こんな杜撰なチェック体制しか取れないようならオレに回せ! 謝礼なんか要らんから」とすら言いたくなる。腹の虫が治まったところで本題に入る。
 ベスト盤だから当然ながら駄曲は皆無に近い。(と書いたのは、12曲目 "Okinawa latina" (オキナワ・ラティーナ)のみ私的に「ん?」だから。)私の好みではない曲が複数混じっており、それらを時にスキップすることもある。(ちなみにメカーノのページで登場していただいたOさんのお気に入りの1つ "Bajo el sol"(バッフォ・エル・ソル)もその中に含まれる。)それでも完成度が十分高いことは認めている。最初通しで聴いたときは大いに満足した。
 翌日には聴後の感想をKさん主催の掲示板に書き込んだと記憶しているが、それに対するレスに「音楽祭でグランプリを受賞した極めつけの名曲があります」という一文があった。実はそれでピンと来た。特に感銘を受けた曲があったのだ。ところが音楽祭の華やかな雰囲気に相応しいのはやっぱりこっちか、と余計なことを考えて「それは『勝利のうた』(トラック14)ですか?」と間違えてしまった。やはり人間素直が一番である。マニラ世界音楽祭でグランプリに輝いたのは他でもない。トラック6の "Y este cielo azul es para tí"(この青い空を君に)だったのだ。よってコメントはこの曲から始める。
 メロディは申し分ない。例によって力強い声だが時に優しい表情も聞かせている。この甘い歌唱はどことなく尾崎豊と似ているように思った。(日本人歌手には極めて疎い私だけれども、パラグアイでしばらく一緒だった男が傾倒していたので少しは知っている。彼は聴くだけでなく自ら弾き語りまで披露してくれた。ちなみに既に文学のページにも登場してもらったが、三島や太宰を愛読していたあの男である。)たしかBBSでもある程度の同意を得られたのではなかったか? それはともかく、デビュー盤よりも表現に幅が出てきたのは間違いない。ただし不満がない訳ではない。1巡目の日本語歌詞である。城間はテレビ出演した際、自分は作曲時にまず西語(ネイティヴ・ランゲージ)で詞を付けていき、その後で日本語の詞を当てはめていくと語っていた。だから、この曲の2順目に非の打ち所がないのは当然といえる。ところが、後付の日本語の方は(詞自体はOKだが)どうもノリがよろしくない。端的なのが「太陽の笑顔で」や「見えるもの全てが」における低い「ド」から1オクターヴ上の「ド」への8度跳躍。あるいはサビの「ドソファミー」という下降音型で「自由に〜」「はばたく〜」を歌うのもかなり不自然である。とはいえ、こういったイントネーションの問題はやむを得ないかもしれない。(日本人にもこの点で無頓着なライターはいくらだっているはずだ。)けれども「美しく」「傷ついた小さな」といったフレーズの歌いにくさは看過できない。開母音の "a"、"e"、"o" とは異なり、ただでさえ閉母音の "i" と "u" は続けて発音することが難しいというのに、同じ音がいくつも続くこの曲で「イ」や「ウ」の段が隣接していると息が詰まってしまう。これでは声が十分に出ない。(もちろん音程が上下変動さえしていれば多少は緩和される。)この点で "Okinawa mi amor" の2巡目よりもハッキリ劣る。繰り返すように曲は最高傑作の名誉に相応しいものであるから、詞の当てはめ方が十分吟味されていないと感じられるのは余計に惜しまれてならない。(追記:Kさんから指摘されて気が付いたが、この不満はあくまで自分が口ずさむ場合にのみ生じるもの。要はmi madre (我がママ) に過ぎない。鑑賞目的の音楽としては全く文句の付けようがない。)
 次の「VIVA!!夏の色」だが、オリオンビールのCMソングに採用されたのはてっきりこの曲だと今の今まで勘違いしていた。若者が熱々の砂浜をダッシュして冷えた缶ビールに飛び付き、直ぐさま口を開けて一気飲みする。サビの爽やかで元気いっぱいの曲調から、そんなシーンを勝手に思い浮かべていたのだが。(実際には "Gambateando" と "Fiesta" の2曲らしい。)
 ちょっと飛ばして9曲目の "Como un cóndor" は「徹子の部屋」で流れていた。(もちろん作曲者が命名に関与しているはずだから邦題「魂をコンドルにのせて」には問題なし。これまた遅まきながら作詞が宮沢和史と知って驚いた。)伴奏にケーナやチャランゴを使用するなど、アンデスの民族音楽の要素をふんだんに採り入れた名曲である。今に至るまで代表作の1つに数えられているのではなかろうか。城間の名唱ももちろんだが、ここでは間奏部での "Alas de libertad...." 以下の女性歌手の絶唱が極めて印象的だった。欲を言えば途中でアップテンポすることなく最初のフォルクローレ調のままで進めてもらいたいところだが、それでは単調に陥ってしまうとして却下されるであろう。13曲目 "Con el sanshin en la mano"(片手に三線を)も素晴らしいが、この曲については他盤収録の別バージョンのところで改めて触れたい。続く "Cantemos la canción de la victroria"(勝利のうた)は確かにお祭り騒ぎにはピッタリで、コンサートの終盤でこれが歌われると会場総立ちとなって大いに盛り上がるというKさんの説明にも肯ける。が、評を執筆すべくジックリ耳を傾けている人間の受け止め方はもちろん異なってくる。(まして当方は粗探ししようと虎視眈々なのだ。)メロディの前半部にメリハリがないのはデビュー曲(当盤トラック4)と同じ。実は最初なかなか節が憶えられず、途中でいつの間にか "Gambateando" になってしまうのには参った。終盤の「勝利の歌を歌おうよ!」以下のリピートもあそこまで長く引っ張られると最後にはクドいと感じてしまう。交響曲の主題提示部における反復が生演奏の場合は望ましく(逆に不履行だと物足りなく)、ディスク再生では蛇足と感じられたりするが、それと似ているような気がする。
 ラストの "Hasta manha"(アスタ・マーニャ(明日への子守唄)、ちなみに何で西葡ハイブリッドの題名にしたのかが解らない)、そして先ほど飛ばした8曲目 "Como te extrañno Canela"(愛しのカネラ)の2曲が現在では当盤中最も気に入っている。ライヴの聴衆が踊りたくなるような「チャカチャカ系」(今勝手に命名)よりも、こういった「しみじみ系」(Kさんがセクションのタイトルにも使用)音楽の方が私には断然好ましい。また日本語歌詞に対する違和感がほとんどないということも大きい。
 ということで、冷静に考えたら繰り返し聴きたいという曲は実は半分にも満たないが、それらはいずれも大ホームランだし、該当しない曲もほとんどは高水準で少なくとも内野の間は抜けている。長時間収録(74分以上)も大変嬉しい。9割を超えている打率をそのまま採用して94点を付けておこう。(←ええ加減やな。)

おまけ1
 「風の道」と題する名曲がある。"Y este cielo azul es para tí" にも肩を並べるほどの。Kさんからそう聞かされた私はもちろんジッとしていられなくなった。そこで大学生協を通して入手を試みたものの、それを収録したシングルCD2種は廃盤もしくは沖縄限定発売という理由でいずれも入荷しなかった。ネット通販でも状況は同じ。それで諦めていたのだが、2003年4月にリリースされた「琉球詩歌」(りゅうきゅううた)というコンピレーションアルバム(ドリーミュージック、MUCD-1073)に採用されていると知り、早速注文→入手した。(アマゾン通販で見つけたのは全くの偶然であるが、それは発売の少し後だっただろうか?)まずトラック5に収録されているこの曲について述べる。
 最初シンミリから次第に盛り上げていくという構成、およびそれを成立させているオーケストレーションは確かに見事である。またサビの開放感とスケール感は "Y este cielo...." を上回っている。けれど導入部(要は歌の出だし)はといえば・・・・「風はー」(ソミレミー)の最初の2音は6度である。やや意表を衝かれるが、これはまあアリだろう。ところが「誰もー」(ソファファー)は7度。こういう跳躍は上手く使えば効果的であるが、この場合は唐突感が先立ってしまう。(「ドファファー」と4度に聞こえなくもないが、そうだとしても少々セオリーから外れているという点に変わりはない。)小幅&小刻みに音程が変動する直後のフレーズ「知らないけどー」(ドドミレドミー)との接続がもう一つ良くないように聞こえてしまうからである。移行部の「どんなに遠く」以下も悪くはないが、サビの露払いとしては力不足(註:役不足にあらず)の感が否めない。ということで、私は前半のメロディが魅力に乏しいと聴いたため "Y este cielo azul...." ほどは評価できなかった。(せいぜい3/4といったところか? ちなみにKさんの評価は「『この青い空を君に』を10とするなら『風の道』は9.5」とのこと。)が、もしかすると西語歌詞ならピッタリはまるのかもしれない。そのような別演奏があれば是非聴いてみたい。
 実はこのアルバムは副産物の方がはるかに大きな収穫だった。うちトラック3「涙そうそう」(ただし、よなは徹によるウチナーグチ(沖縄語)バージョン)については別ページで述べるとして、ここではまず冒頭に収められている「永遠に響かせたなら」から述べる。クレジットには「しゃかり」とある。そして歌っているのは千秋(元ディアマンテスのメンバー)である。恥ずかしながら本文で触れた "Alas de libertad...." 、あるいは "Hasta manha" 序奏部の爽やかな歌声を私は長いことパティという別の女性メンバーによるものだと勘違いしていた。(後で判ったことにそちらはダンサーだった。)日本人が西語で完璧に歌うなど思いも寄らなかったから。(冷静に考えたら発音はそんなに難しくないから十分あり得るのだけれど。)
 しゃかりについてはKさんから教えていただいたオフィシャルサイトを訪れ、そこに置いてあった音声ファイルを試聴したことがある。全く感心できなかった。「スンズンチャンチャンスンズンチャンチャン・・・・」という耳に煩わしいリズムは歌を堪能しようとする意欲を奪っているようにしか聞こえなかった。「永遠に響かせたなら」にしても幾分マシといったところである。(既にイントロからして節も響きもパッとしないから、本当にプロが作ったのか疑問を感じてしまうほどだ。)何といってもメロディの出来が非常に良くない。その最たるものはサビの処理で、締め括りの「明日に幸せーがー」で一応格好は付いている(解決している)ように聞こえるが、その前に同じ音型で「昨日と喜びーがー」があるから結果として冗長さだけが耳に残る。さらに少し前の「ひとーりじゃない」は言語道断、何という尻すぼみか! プロ野球の選手別応援歌に途中まで同一フレーズを繰り返し、終わりの1小節だけ申し訳程度に変えるというのがあるが、その前半部と同じである。手抜きという以上にまるで締まりがない。そんなんだったら「時は流れ」から「ひとーりじゃない」まで、および「昨日と喜びーがー」を切っちまえ!(シャルクやレーヴェが生きていたら間違いなくそうしたであろう、ってまた訳の解らん話を。)それで足りないのなら違うメロディを作って継ぎ足せばいい。(さらに盛り上げる必要があるから容易ではないが・・・・それが無理だというんなら、やっぱり1フレーズに留めておくべきだった。まだしも救いがある。)こんな粗悪品を千秋が何年もあてがわれていると思ったら泣けてきた。5曲後の歌唱が圧倒的に素晴らしいから尚更である。(それでも沖縄ではそこそこヒットしたらしい。もちろん曲ではなく歌手が秀でているためである。追記:この曲を収めたしゃかりの1stアルバム「言葉のかわりに」の2年後に発表された「かふう」では改善が認められるとのコメントをKさんから頂いている。)
 そのトラック6が「童神(わらびがみ)」である。初代ネーネーズのリーダー、古謝美佐子が作詞を手がけ、NHK朝の連続ドラマ小説「ちゅらさん」で使用されたということだが、その名曲を私は当盤で初めて聴いた。そして固まってしまった。何という鮮烈な歌声であろうか! この衝撃はディアマンテス開眼の契機となった "El cóndor pasa" にも匹敵する。仰天した私は曲目一覧を見て千秋が歌っていることを確認したのである。(実はトラック1は聞き流していたのであるが、言うまでもなく凡庸な曲のせいである。)この伸びやかな歌いっぷりはまさに天衣無縫、水を得た魚である。同曲については夏川りみによるカヴァーも2種持っており、それぞれに良さが感じられるけれども、インパクトの強さで千秋に軍配が上がる。(比較検討は改めて。)夏川が超名曲「涙そうそう」に巡り会って大ブレークしたのは改めて記すまでもないが、その彼女とも五分に渡り合えるだけの実力を備えていながら、ひとえに曲に恵まれないためサッパリ売れる兆しの見られない千秋が私は不憫でならない。(「童神」は佳曲だが、既に知られすぎていたのかもしれない。)なお、千秋およびしゃかりについては既にKさんがご自身のサイトに見事なコラムの数々を掲載されているのを思い出した。「細切れ」などとご謙遜されているが実際には大変な労作である。Vale la pena leerlos.
 このディスク全般についても少し述べておく。沖縄でよく知られている民謡や大衆歌謡に斬新なアレンジを施しているものが結構あったが、この意欲的な試みは買えるし出来もまずまずだった。ただし、ネーネーズの「語(かた)やびら」だけはどうしたことか? 沖縄サミットのCMソングという話だが、沖縄音階を採用しているというだけで曲も歌も全く精彩を欠いている。私はかつて「花」を聴いて「結構いいなー」と思ったりしていたのだが、99年に新たに結成された二代目ネーネーズは古謝が在籍していた団体とは全くの別物と考えるべきであろう。(実際メンバーは全く異なる。)これと1曲目がマイナスではあるが、トラック5&6を筆頭に他がカバーしてくれているお陰で75点はやれる。

おまけ2
 ここではその直後に入手した「美ら歌よ〜沖縄ベスト・ソング・コレクション〜」(テイチク、TECE-25347)について書く。(ちなみにメインタイトルは「ちゅらうたよ」と読むが、好評だったらしく続編が何枚もリリースされている。ただし、私は後述する1曲だけが目的だったので以降は買ってない。)夏川りみの「涙そうそう」を収録したディスクを探しているうちに、どうせなら沖縄の代表曲が他にもたくさん入っている方が望ましいとして白羽の矢を立てたのである。曲目リストに「片手に三線を」があり、1曲ぐらいは重複も仕方ないかと諦めていたのだが、思いもかけないことに既所有のものとは別バージョンだった。これについてコメントする。
 "Lo Mejor de Diamantes" 収録の方(これがオリジナル?)がイントロなしでサラッと始まるのとは異なり、最初にロック調(ただし三線付き)の堂々たる序奏部がある。が、これが取って付けたようでまるで良くない。ふと中学の校歌を思い出した。たしか以前は最初の1フレーズをそのままイントロに転用していたと記憶しているが、「私が新しく作ってきたので、今日からはこれで演奏しましょう」という音楽教師の提案によって首がすげ替えられることになった。ところがその新しい序奏はといえば、確かに軍歌風でやたらと威勢はいいけれども、今になって思えば別にどんな曲の前にもくっ付けられるような代物だった。それと同類である。2コーラス目に別のソロ歌手が登場する。メンバーの誰かなのかゲストを連れてきたのかは知らない。(ブックレットに記載なし。誰やホンマ?)チャゲ&飛鳥の片割れ(まず違うだろうが、本当にそうだとしたらたぶん後者)のようにも聞こえるが、正直いって「お呼びじゃないよ」と言いたい気分だ。ネットリした歌い方があまりにも場違いと聞こえるから。それ以上に問題ありなのが歌詞。最初から最後まで標準語で歌われている。(ただし「にせたーよー」(「二才達よ」=「若者達よ」の意) は除く。)一方、オリジナルのサビはウチナーグチで最後の最後になって標準語になる。これでこそ沖縄で生まれた平和のメッセージを日本全国に、さらには世界に向けて発信していこうという力強い意志が伝わってくるのである。それが完全に台無しだ(怒)。
 不満を抱いたのはこの曲だけではない。(ともに2曲ずつ採用という特別扱いを受けているのに)おおたか静流や普天間かおりの覇気のない歌い方にはイライラのし通しだった。(脱力感タップリが好きな人には応えられないかもしれないが。ボサ・ノヴァのファンには受けるかも?)加藤登紀子の「島唄」もピアノや三線などによる小編成の伴奏が災いし、この曲が本来持っているはずのパワーを十分引き出せていないように思えて仕方がなかった。(彼女が超絶的技巧や人間離れした声の持ち主なら話は違った。)初めて聴く森山良子の「さとうきび畑」には期待していたが、既にどこかに書いているようにこういう重苦しい内容の歌詞が私は大の苦手、しかも演奏時間が10分近くにも及ぶため途中で再生を止めてしまった。結局お目当てのトラック1以外でまあまあ気に入ったのがBEGINの2曲だけというのはあまりにも寂しい。これでは50点でもしゃーないわな。

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