余は如何にして古典音楽愛好家となりし乎
(2005年6月追記:これとほとんど同じタイトルが砂川しげひさ著「なんたってクラシック」に使われているのを見つけてしまった。つまらん。が、向こうの方が先であることと同時に、彼のパロディをパクったのでないことはハッキリさせておく。)

 タイトルを当初予定していた「私のクラシック遍歴」からこのように変えてしまったのは、既に他のディスク評ページに遍歴に類することをかなり書いてしまっているからである。なので本ページの執筆自体を止めてしまおうかと考えたが、とりあえずクラシックにのめり込んだ切っ掛けから書き始め、あとは思いつくまま連ねていくことにした。ちなみに、上のタイトルのオリジナルに当たる書物を私はかつて読みかけたことがあるのだが、いかにも愚民を啓蒙してやろうという偉そうな口調が初めから鼻について仕方がなく、「日本に仏教のような邪教がはびこっているのは困ったものだ」などと書いていたのにとうとう堪忍袋の緒が切れ、あえなく「go to trash の刑」となった。(2006年2月追記:この件に関し、7年前に作成した文章が出てきた。興味のある方はこちら。)

 私は祖父の代に分家した農家に生まれ育ったので、いわゆるクラシック音楽の素養は全くない。レコードは1枚もなかったので、耳に馴染みのあったメロディといえば学校の音楽の授業で鑑賞させられた短めの曲、いわゆる「セミ・クラシック」の類がほとんどだった。クラシックの代名詞である「運命」交響曲も冒頭の「ジャジャジャジャーン」以降は聴いたことがなかったし、「喜びの歌」がベートーヴェンの「第九」の一部であることも知らなかった。さらに、「英雄」交響曲もモーツァルトのト短調も知らなかった。(キリがないのでもう止めるが、)モーツァルトといえば、「ドーソドーソドソドミソー」というおそらくは彼の作曲したうちで最も有名なメロディの1つである「アイネ・クライネ」の冒頭部分を、何たることかヴィヴァルディの「四季」と思い違いしていたほどである。ただし、音楽の成績はなぜか良かった。ピアノで弾かれる簡単なメロディを採譜したり、与えられた主題を変奏させるといった課題は結構面白かったし、それなりにできていたと今でも思う。けれども、嫌な思い出も全くなかった訳ではない。たしか小五の時だが、予め決められた唱歌を教師のピアノ伴奏で歌わされるというテストだった。あいにくと変声期を迎えていた私は、以前の高い声が出なくなっていたため、仕方なく1オクターヴ下げて唄った。そうしたら、もともとヒステリックなところのあった女教師からメチャメチャに怒られ、かつてない低い点を付けられた。(それが現在私がカラオケを好まないことと関係があるのかは分からない。ちなみに、職場の自己紹介ページに載せ続けているが、格好の気分転換になることもあって歌うという行為自体は相当好きである。特に農作業中は。ただし、私のレパートリーを聞いた者はたいてい目が点になる。)まあ酷かったのはその年だけで、中学時代も決して悪い成績ではなかった。高校からは選択科目になった。美術、書道、音楽のうちから1つ選ぶのだが、最初の2つはどうしようもないほどグチャグチャにしか描けない、書けないので消去法で音楽にした。けれども、同級生の多くは楽器を習っている現役組、あるいは習っていた経験者だったので、彼らに混じったらさすがに私も劣等生であり、絶対評価だったためそこそこの点はもらっていたけれども、相対評価ならきっと散々な成績になっていたはずだ。毎週90分の授業はあまり楽しくなかった。そんな体たらくだったので、クラシックへの興味など湧きようがなかった。
 名古屋の大学に進学し、一人暮らしを始めた。(新幹線を利用したら通えなくもなかったが、定期代を知って断念した。ところが、今の私の職場には琵琶湖の対岸はおろか遠く兵庫や奈良からも通って来る学生がいる。片道2.5時間も費やしているらしい。「近頃の若者はひ弱になった」などと安易に決めつけてはいけない。)その時に新しいラジカセを買ったのだが、極めて良好に受信できるFM放送により、生まれて初めて聴いたステレオ音声にビックリした。(それまではNHK-FM大津放送局のモノラル音声しか知らなかった。)左右から別々の音が流れてきて立体的に聞こえる! 凄い!! ヘッドフォンで聴いてさらに感激した。(まさに田舎モン丸出しの文章だが、とにかくこういった感激を今後も味わいたいものだ。)そうして2年以上が経過するが、音楽といえばFM放送のリクエスト番組から流れてくる「歌謡曲」のエアチェックテープをたまに聴く程度で、相変わらずクラシックには無関心だった。(当時は「J-POP」などという洒落た呼び名はなかった。ちなみに私は、クラシックに目覚めてから「J-POP」の類をほとんど一切聴かなくなった。今ではテレビに出演している人気歌手の音楽に私が価値を見いだすことはまずない。ごくたまに良い音楽を耳にすることも全くない訳ではないが、それも数年に1曲という宝くじ並の低確率(註)なので、そういうものに巡り会おうとしてディスクを片っ端から聴くというのはあまりにも効率が悪く、金と時間とエネルギーの無駄だと思っている。そういえば、この10 年間で私が気に入った日本語曲といえばどれも沖縄関係であり、純粋な「J-POP」とは完全に縁が切れてしまっている。とにかく、日本ほど下手な歌手がプロとして活躍している国は他にないのでは、とまで私は考えているのだが、それが誤りであるなら指摘してもらいたい。これに対し、外国語の音楽は出会いの確率がはるかに高かった。やはり最初から優れたものが日本に紹介されている、つまり一次セレクションを経ているからであろう。海外在住中にはBBCのヒット・チャート番組がお気に入りだったし、帰国後はスペイン、ポルトガル、中南米というラテン系のポップスにはまったのは他のページに書いた通りである。)
 ただし例外があった。ベートーヴェンの「田園」交響曲である。そのタイトルが記憶に残ったのは理由がある。私は中学時代、福武書店の添削教育「進研ゼミ」をやらされていたのだが(結局、高校でもやった)、毎月教材と共に娯楽雑誌(よく憶えていないが「Challenge」だったような)が送られてきたが、それに連載されていた漫画に登場したのである。両親を失った少年が一人旅を続け、最終回で天国の母親に出会うという筋だったと記憶しているが、その旅の途中で橋を渡る前にBGMを選ぶという話があった。主人公が選択したのが他ならぬ「田園」で、私は曲を全く知らなかったけれども、「さぞ優雅な曲なんだろうな」という想像だけはできた。それをFM放送からテープに録音したのだが、どういう番組で放送されたのかは全く記憶がない。とはいえ、演奏者だけは自信がある。ワルター&コロンビア響である。番組で紹介されたのを書き留めた訳ではない。次段落で触れるテープに収録されていたワルターによる演奏の第1楽章冒頭を聴いて、第1主題の優しい奏で方、次の絶妙としか言いようのない間、そしてその後の加速のかけ方に「あれだ!」と直観したのである。とにかく、「田園」をたまに聴いていたのだが、それには確固たる目的があった。というのは、この曲が流れているとあまりにも心地よく、そのうちに必ず寝てしまうからだ。つまり眠れない晩の睡眠薬代わりに聴いていたのである。だいたい第2楽章の途中で眠りに就いていたから、私は第1楽章は空で歌えるほど憶えてしまったのに対し、第3楽章以降はほとんど知らないという有様だった。そして、再生トラブルがもとで損傷したのか紛失したのかも憶えていないのだが、そのテープを聴くこともいつしかなくなってしまった。とにかく、こんな風ではとても「クラシックファン」などと言えたものではない。ところが、たった1本のテープが私の人生を変えてしまった。決して大袈裟な言い方ではないと思う。
 大学3年の夏だったと思う。購読していた朝日新聞の日曜版だったか、休刊日の最終ページ(通常ならテレビ番組表が載る所)だったかは定かでないが、CBSソニーファミリークラブの広告にて「音のカタログ」というテープが紹介されていた。クラシック名曲100曲の聴き所を収めたカセットテープがたった1000円なのだという。何となく「面白そうだな」と思って葉書を出してしまったが、もっと深く考えるべきだったのか、そうしないで良かったのかは解らない。とにかく数日後に届いたテープを聴いた。このテープは「Number one」(に始まり、最後は「Number one hundred」)という女声のナレーションの後に音楽が数十秒流れるというものであったが、1曲目の「マドンナの宝石」間奏曲(ヴォルフ=フェラーリ)、2曲目の「ボッケリーニのメヌエット」ですっかり魅了されてしまった。10曲目の「モルダウ」(スメタナ)ではザワザワした感じの序奏に続いて胸を締め付けられるような主題が始まるのを聴いて涙が出た。「こんな素晴らしい音楽がいっぱいあるのを知らずに生きてきたなんて」と心底から思った。ちなみに、テープとともに「紙のカタログ」、つまりファミリークラブが扱っているクラシック音楽の商品カタログも同封されており、そこに掲載されていたのは順に「ホームミュージック大全集」「クラシック大全集」「交響曲大全集」「協奏曲大全集」「バッハ大全集」「モーツァルト大全集」「マーラー大全集」であった。(当時はレコードとカセットテープのみで、登場して間もないCDの全集はまだなかった。「ベートーヴェン大全集」がないのが不思議だったが、今もって理由は分からない。)事情が判ってみれば、「音のカタログ」はそれらからピックアップされた100曲により構成されていた訳である。交響曲はそれまでのホームミュージック(多くは「セミ・クラシック」)よりも劇的で、聴いていてドキドキ&ワクワクのしっ放しだったが、中でも第4楽章冒頭が流れた「新世界」(セル&クリーヴランド盤)が印象に残った。協奏曲では、ともに第1楽章冒頭が収録されていたチャイコフスキーの1番とグリーグのを聴いて、「ピアノ協奏曲というのは随分とカッコイイものだなあ」と思った。(そういうジャンルがあること自体私は知らなかった。ちなみに、演奏はケンペ指揮ミュンヘン・フィルでソリストはフレイレだったか? 自信なし。)次の「バッハ大全集」からの抜粋にも思い出がある。ピアノ独奏曲でヒソヒソ声が聞こえるのである。「さては消去不完全の使い古しテープだな」と私は憤慨したが、後にピアニストの鼻歌だと知った。曲は「平均率クラヴィーア曲集第1巻」と「インヴェンションとシンフォニア」のともに第1番ハ長調で、奏者は書くまでもない。「モーツァルト大全集」は特に思い出なしにつきコメントもなし。「マーラー大全集」については後述する。
 さて、このテープによって私は完全にクラシックの虜にされてしまった。ちなみに、当サイトに数え切れないほど登場していただいているKさんも、クラシックの入口が「音のカタログ」だったという話である。彼の場合はテープでなくCD版だったようだが。(とにかく、良質の入門用メディアがあれば、クラシック愛好家の底辺はもっと拡がるのではないかと私は考えている。ディスクを製作&販売する人達にも考えてもらいたいことである。→2005年5月追記:これは許光俊が「クラシック、マジでやばい話」にて少年時代にレコード店から貰ったおまけについて述べていた部分を無意識のうちにパクっていたと後で気が付いた。ところで「入門用」といえば、後日レンタル屋で借りた「Hooked on classics 2」というアルバムを忘れるわけにはいかない。メチャメチャ気に入り、コピーしたテープを数え切れぬほど繰り返し聴いた。それゆえパート1〜3をセットした定価8400円のボックス(R28P-1003〜5)が発売された時は速攻で買った。この3枚組に収録されていたメロディによって全部通しで聴いてみようという気になった曲は数え切れない。今聴いてもルイス・クラーク&ロイヤル・フィルの演奏は素晴らしい。指揮者自身による編曲も秀逸。かなり経って中古で買った「フックト・オン・バロック」は編曲・演奏とも別人・別団体であったが、あまりの不出来、しかも劣悪録音で音割れもあったため即刻強制送還となった。後にリバイバル盤として出た1トラック1曲の「hooked on rhythm and classics」も小細工に走りすぎた感じで気に入らず。逆に羽田健太郎の「フックト・オン・モーツァルト」は単に繋げただけで全く芸がないと思った。ということで、これらも手放してしまった。やはり完成度はあの3枚が圧倒的に高い。中でも私が借りたパート2が最も優れていると思う。大ヒットしたというパート1よりも洗練されている。パート3はマンネリというかネタが出尽くした感じ。ついでに書くと、柳生すみまろという漫談家みたいな人物による解説も拙劣で、第3楽章が使われていたのに「『悲愴』のメロディーでシンミリさせておいて」などとディスクを聴いていないことがバレバレのコメントは実に不愉快だった。一方、パート1と2の解説はユーモラスで決して悪くなかったけれども、執筆者の和田則彦がパート2の特徴の1つとして「有名曲の主題旋律に混って、かなりのクラシック通にも意外に知られていないような、(中略)盲点的、死角的な隠れた佳曲の名旋律」を挙げていたのに対し、私が音楽の授業で歌わされたマクダウェルの「野ばらに」をこの人は知らないのか、と怪訝に思ったことを憶えている。また、今考えるにハチャトゥリアンの「スパルタカス」第2組曲はまあ解るものの、プッチーニの「トゥーランドット」中で最大の聴かせどころの1つである「誰も寝てはならぬ」までもマイナー扱いなのは合点がいかない。このアリアはデル・モナコやパヴァロッティが十八番にしていたのだから。和田は普段あまりクラシックを聴かないライターだったのかもしれない。戻って、数々の名アレンジの中でも「フックト・オン・ロマンス」は最高である。これに限ればパート1が一番好きだ。冒頭の「G線上のアリア」のジャズ風編曲の巧さは何度聴いても溜息が出る。やはりバッハはジャズに向いている。いや、ジャズの方が、か? ついでに書くと、ジャック・ルーシエ・トリオはこの曲をハ長調に下げていたのがどうしても耐えられなかった。そういえば、クラークの編曲は必ずしも原調を守っていなかったにもかかわらず特に不快と感じなかったのは不思議だが、めまぐるしく曲が変わるせいかもしれない。逆に羽田の方は原調に固執したため編曲が窮屈となり、印象も平板になってしまったような気がする。以上で脱線追記終わり。)それを繰り返し聴くだけでは物足りなくなるのは自然の理、やがてエアチェックのコレクションを作るようになる。FM誌を定期購入するようになり、これと思った曲を手当たり次第に録音した。毎週月〜金曜日14〜16時の「名曲ギャラリー」(「ご案内役」は濱田滋郎、中川原理、岩井宏之の3人だった)で狙った曲が放送される場合は躊躇わず講義をサボった。ここで問題が起こった。
 「音のカタログ」収録曲のうち、どうやらテープにうまく収まりきらないものがいくつか存在するらしいと判明したのである。しかも、それらは非常に気に入った旋律だったので事態は深刻である。黒田恭一著「はじめてのクラシック」(講談社現代新書)には、「マーラーの第9交響曲がうまく90分テープに入らないから、なんとかしてくれ」(なんでも第2楽章までの演奏時間が48分で、片道45分の90分テープでは足りないし、かといって薄い120分テープでは音質が劣るということらしい)と放送局に泣きついてきた中学生のエピソードが紹介されていたが、まさにそれである。(もちろん、その中学生は私ではない。)先述したように「音のカタログ」の最終部分は「マーラー大全集」だったが、99曲目の第9番終楽章の冒頭を聴いて、私はそれこそ雷に打たれたようなショックを受けた。というのはいくら何でも大袈裟だし、その経験もないので「100ボルトの電源で感電したような」に訂正する。あんまり迫力がない気もするが仕方がない。(余談だが、農機具庫で200ボルトに触ったことのある父によると、曲げていた腕が逆に反り返るほど凄かったそうだ。職場の実験室にも大型機器用のコンセントがあるが、こういうのはあんまり経験したくない。)ちなみに演奏はワルター&コロンビア響だった。(他に「マーラー大全集」からはセルの4番、バーンスタインの5番、ワルターの「大地」が抜粋されていたが、9番ほどの衝撃は受けなかった。5番はいうまでもなく例のアダージェットだが、「やけに甘ったるい音楽だな」と思った程度で、ハープの妙に乾いた音がむしろ印象に残った。他にはバーンスタインの「巨人」の終楽章冒頭が「クラシック大全集」から選ばれていたが、こちらは他の交響曲と同じく「ドキワク」であった。)「ソー(オクターヴ上がって)ソーラ♭ソファ#ソシ♭ーラ♭ーソー」までの(それで合ってるのか知らないが半音階的な)進行は「何という悲痛なメロディなんだ!」と思わずにはいられなかったが、続く「ファー」でそれこそ全身の力がファーッといっぺんに抜けた。ギリギリまで短調と思わせておいて(正しくは勝手に思い込んでいただけだが)実は長調だったのだ。それまで耐えに耐え忍んでいた苦痛から解放され、突如平安に包まれたかのようだ。(今思うに、人間が現世から離れる瞬間、生老病死という四苦から逃れる瞬間にはこのように感じるのかもしれない。)そして「ミーミーレードーーーシーラーファーミーレードーソー」は、悠久たる大河の流れのように思われた。(実際に見たことはないが、アマゾンやラ・プラタの河口付近はたぶんそんな感じだろう。)パッと見では流れているか流れていないか判らないような、そして何千年経っても目に見えるような流れとしては認められないような。途方もなく長い時間を感じさせる。「これは凄い音楽だ」と心底から思った。ちなみに、私がかつて在籍していた大学の生協が定期的に発行していたをとひめ」という音楽雑誌は、専ら読者の投稿によって構成されていたのだが、文章の質は例外なく高く非常に読み応えがあり、次の号が出るのをいつも待ち遠しく思っていたものだ。当時は学業に専念せざるを得なかった私には、投稿論文以外の文章執筆に時間を割くことなど許されるはずもなく、「いつか自分も」と思っていたのだが、いざ学位を取って時間的に少し余裕が出たという時には「をとひめ」は廃刊になってしまっていた。「それが思いもかけず、こういう形で文字にできる機会を与えていただいた」とKさんに感謝の気持ちをメールで述べたこともあるが、彼との私信のやりとり中にあれだけの長文を次々と怒濤のように作成し、送り続けたのは、それまで溜まりに溜まっていた音楽への思い入れが堰を切って溢れ出したとしか考えられない。ちなみに、このページなど当サイトも同様であり、決して憂さ晴らしをしているのではない。さて、異様な前置きになってしまったが、「をとひめ」のある号に、初投稿と思わしき人が「マーラーの9番を初めて聴いた時に『こういう音楽からはもう一生逃れられないだろうな』と覚悟を決めた」という思い出を綴っていた。とにかく、私の受けた衝撃も相当なものであった。(曲は違うけれども、「僕は、脳味噌に手術を受けた様に驚き、感動で慄へた」と書いていた人もいたなあ。)
 もう1曲が当サイトのメインコンテンツであるブルックナーの第4交響曲「ロマンティック」である。(「交響曲大全集」からの抜粋で、こちらも「ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団」と明記されていたが、それには疑問を抱いている。別項で触れる予定。)第1楽章の初め、フォルティッシモによる「ドーソーファミレド」の少し前の「ソーファーミレドシーラ♭ラ」からフェードインで始まるわずか1分足らずの音楽だったが、聴いているうちにふと巨大な天体が猛スピードで宙を舞う様子が目に浮かんだ。(ホルストの「惑星」を聴いてそう感じる人は多いかもしれない。そういえば、ヴァントはブルックナーの8番第1楽章9分過ぎの盛り上がりには「宇宙空間での星の衝突」というイメージを見い出すことができる、というようなことを金子建志のインタビューにて話していたっけ。)実は研究室所有のMacintosh(IIcx)にインストールされていたスクリーンセーバー(Fun Screen Savor)の中に、それぞれ赤青緑色の3つの球が互いに引力と斥力を及ぼしながら三次元空間を飛び回るというのがあり、そのイメージとピッタリ重なったのである。(以後脱線。私が所属していた作物学研究室では、教授=私の指導教官は98で一太郎を使う程度であったが、助教授がテキサス大学にて非常勤ポストで働いている時に出会ったMacintoshの素晴らしさに感激し、帰国後に当時70万もしたというSEを買ったこともあって完全にMacが支配していた。他にもMacを使っていた講座は多く、大学全体のシェアは5割を超えていたのではなかったか? 生協でもMacの売り場の方が広かったと記憶している。今は違うらしいが・・・・余談を続けると、上記IIcxは2台目になる訳だが、カラー表示で速度もSEより圧倒的に速かったため、院生・学生が常に奪い合いをしていた。パソコンの個人所有がまだ一般的ではなかった時代のことである。ということで、私は学生・院生時代から今に至るまでMacにずっとお世話になってきたため、WINDOWS機は全くといっていいほど使えない。やってみたことがあるが、日本語の変換操作からしてストレスが溜まる。ところが現職場ではMacは日陰者扱いで、学生にもWINDOWSしか教えていないとのことである。それはまだ許せるのだが、大学から貸与されるパソコンのサポートにおいて、私に限らずMacユーザは大いに不利益を被っており、そろそろ我慢も限界に近づいている。5年ごとに更新されるはずなのに、7年も8500を使わされているんだぞ! 最近はウェブサイトが大容量化しているので表示にやたらと時間がかかるし、時には凍ってしまう。憤懣やるかたないが、これでは先に進めないので怒りをひとまず鞘に収めることにする。→2005年4月追記:ついにiMac G5に更新された! ただしOS が8.1から10.3.8へといきなりバージョンアップしたのは相当キツイ。しばらく苦労しそうだ。)
 とにかく、こちらは無限の大きさを持つ宇宙空間のような音楽だと思った。そして、何としてでもこれら2曲を全曲通して聴きたくなった。ところが、上で触れたごとく、ともに演奏時間が1時間を超える長い曲で、首尾良くテープに収録できる保証はない。そこで、「なら買うか」と思い立った。私はアナログディスクは子供の頃に雑誌の付録として綴じ込まれていたソノシートを聴いたぐらいで、家のプレーヤが壊れてからは全く再生したことがなかった。それでLPレコードは対象外だった。カセットテープも、ヘッドやピンチローラーの清掃をしないというこちらの怠慢のせいだろうが、テープがローラーに巻き付いてクシャクシャになってしまい、切れるか、何とか助かっても以後は音がヨレヨレになってしまうというトラブルを何度も経験していただけに恐ろしかった。ならば、最近開発されたという「コンパクト・ディスク」はどうだろうかと考えた。購入していたFM誌には新譜紹介コーナーがあり、それによるとCDもLPとそう値段は変わらないらしい。そして、針を下ろさないので傷付ける恐れがないし、少しぐらい傷付けても大丈夫、何よりもノイズがなくて音質が素晴らしく良いという謳い文句だったので、それにするかという気になった。とはいえ、再生装置は当然ながら持っていない。(下宿には相変わらずラジカセだけで、ウォークマンも持ってなかった。)いくら位するのかも分からない。とにかく見てくるかということで大須に行った。(観音や外郎=ういろう等とともに、大須は電器店が多いことでも知られている。規模ははるかに小さいが秋葉原や日本橋に相当し、中でも第1、第2のアメ横ビルは中心的存在である。そういえば「アメ横」の元祖を巡って争いごとがあったような。)
 いきなり入った大須のアメ横ビル(どっちかは憶えていない)の1Fのある店で、ラジカセからきれいな音が鳴っていた。ジャズだった。見ると目にも留まらぬ猛烈なスピードで何かが回転している。訊けばこれがCDなのだという。(そのCDラジカセは、ディスクを水平に置く現在の一般的なタイプとは異なり、縦型、つまり回転軸が地面と平行になるタイプであった。)止めてもらい、入っていたディスクを見せてもらった。虹色に光る銀盤に魅了されてしまったという訳ではないが、やはりノイズが全くないし、取り扱いが簡単そうだったので欲しくなった。CDがまだ普及する前のことで、ラジカセとはいえ安くはなかった。5800という下4桁はすぐ浮かんだのに、最初の数字がどうしても思い出せない。3〜5の間だったはずだが。(何にせよ現代では想像も付かないような高価格だった。とはいえ、私が大学入学時に買ったステレオラジカセにしたって似たようなものだったが。)とにかく持ち合わせがなかったので、貯金を下ろして1週間後に同じ店で買った。
 これでハードはOK、次にソフトである。大学生協で1割引で買えるのは知っていたので、そこで注文するとしても、「音のカタログ」に収録されていたワルターという指揮者の演奏が一番良い選択肢なのかは判らない。今度はレコード店に偵察に行った。何せまだ発売点数が少ない頃であり、CBS Sony レーベルのワルター盤はすぐ見つかった。ブルックナーが3500円、マーラーは2枚組で5600円である。(それぞれディスク番号は「35DCXXX」と「56DCXXX〜XXX」だったはず。)「両方で9100円か、結構高いな」と思っていたところ、マラ9のすぐ隣にバーンスタイン&ニューヨーク・フィルによる3枚組を見つけた。これは149番がセットになった「CD PACK」という特別限定盤で、7500円の出費で3曲同時に手に入る。「どうせならコストパフォーマンスの良いものを」ということでそちらにした。一方、ブルックナーの方はワルター盤にするつもりだったが、FM-fun最新号の新譜紹介コーナーにハイティンク&VPO盤(結局完成しなかった全集録音の第1弾)が取り上げられており、絶賛といっていいほど好意的な批評(当時はそれを疑うことなど思ってもみなかった)、ワルター盤より300円安い3200円、国会議事堂のように立派な建物(ムジークフェライン)のジャケットに何となく惹かれた、という3つの理由により土壇場で寝返ってしまった。ということで、それら2点を注文したのだが、先に入荷した「ロマンティック」(32CD411)が私が聴いたCD第1号の栄誉に輝いた。ワルター盤と違ってゆったりしたテンポだったこともあり(この点については後日談があるので、別ページに書くはず)、イメージしていたのとは少々違っていたが、とても気に入ったので何十回と聴いた。特にあの壮大な終楽章のラストは圧倒的だった。次に入手したマーラーであるが、9番の終楽章を真っ先に聴いて「おやっ」と思った。妙に低いと感じられたからである。実は私が持っていた古いラジカセはテープの再生速度が若干速かったようで、ほとんどニ長調に聞こえていたのである。だから最初は違和感があった。が、そのうちに慣れ、やがて却ってこの方がいいと思うようになった。(「死」とか「解脱」のイメージとしては華麗なニ長調よりも変ニの方が向いているのである。各調から受けるイメージについては、どこかに書くかもしれない。)全曲約80分を通して聴くのは最初こそ骨が折れ、終楽章のみ聴くことが多かったのだが、そのうち第1楽章も気に入るようになり、やがて中間楽章も好きになった。(まるで「はじめてのクラシック」で紹介されていた、若かりし頃の黒田恭一がオペラ全曲を好きになるまでの過程を見るようだ。)併録の1番と4番がお気に入りとなるにも大して時間はかからなかった。「音のカタログ」で終楽章冒頭を聴いていた「巨人」は、非常にドラマティックな曲で期待以上だったし、同じテープで終楽章のソプラノ歌唱を聴いてもちっとも心動かされなかったため大して期待していなかった4番も、奇数楽章のあまりの美しさに魅了された。ただし、ディスクの分け方がハチャメチャで、DISC1は4番全曲の後に「巨人」の第1楽章、DISC2は「巨人」の残りの後に9番の第1楽章、そしてDISC3は9番の第2〜4楽章だった。当時は収録時間が74分強だったので、やむを得ない措置だったのである。(今なら1曲1枚に分けられるし、後に買った7&8番3枚組はピッタリ2枚に収まる。)それだけが原因ではないが、この75DC610〜2は後に手放してしまった。けれども、CBS Sonyから間歇的にリリースされた3枚組廉価盤はその後何点も買った。クーベリックのモーツァルト後期交響曲集、スターンのヴァイオリン協奏曲集、メータのストラヴィンスキー&R・シュトラウス、マゼールの各種管弦楽曲詰め合わせ。CDのレギュラー盤はようやく最初期の3800円から少し下がったばかりの頃で、最も安いCBS Sonyと日本フォノグラム(PHILIPSとTELARC)が3200円(ただし後者は時代に逆行するかのごとく、後に3500円に値上げするという暴挙を行った)、東芝EMIが3300円、そしてポリドール(DG、LONDON、ARCHIVなど)のCDは何と1枚3500 円もした。だから、1枚当たり2500 円というのは破格の安値だったのである。ようやくにしてCBS Sonyから1枚3000円の「ベスト・クラシック100」シリーズが登場したばかりだったが、単品では業界最安値ということもあって何枚かに手を出した。ただし、当時の同レーベルはカップリングに無頓着というか、CDの収録可能時間を全く無視したかのような製品も多かった。特に酷かったのがメータで、「ペトルーシュカ」「春の祭典」「ツァラトゥストラはかく語りき」1曲だけ、トータルタイム30分そこそこという言語道断盤など、もちろん私は見向きもしなかった。(そういえば、「音楽の友」の人気投票の指揮者部門で、彼は前回から大きく順位を下げてトップテン落ちしていたが、「メータの凋落」という見出しに「コイツはダメ指揮者なんだな」などと思ったこともよく憶えている。)当時は「例えばトータル60分以上は3000円で、10分少なくなるごとに200円引きのように、どうして収録時間に応じた価格設定をしないのだろう」と疑問に思っていた。(もっとも私が当初重点的に買っていたブルックナーとマーラーの場合、超短時間収録という懸念はなかったが。)もし担当者がもうちょっと工夫して長時間収録盤のみ出すようにしておれば、CDによる廉価盤全集としては第1号だったこのシリーズによって絶好のスタートダッシュができたであろうに、と惜しまれてならない。
 まあそういう訳で、同じ曲ならなるべく安く売られているものを選ぶようにしていた。だから業界最高値のポリドール盤は論外だった。(厳密にはそれを上回る3600円のオルフェオ盤も存在していたが、点数が少ないので無視していた。)同レーベルのCDには他社の紙製とはひと味違うビニールか何か(材質不明だが石油製品)の帯が付いており、不思議なことに糊なしでもピッタリ貼り付いていたが、それが余計に高級感を演出していた。(レンタル屋で借りたCDでそれを知った。)私がクラシックにはまる前から唯一名前を知っていた音楽家であるカラヤンのCDが例の黄色レーベルから出ていたため、「グラモフォンにせよロンドンにせよ、やっぱりポリドールに所属している(実際は違うが)音楽家は一流なのだろう」と勝手に思い込んでいた。(指揮者に限らずとにかく知っていたのはカラヤンだけで、ホロヴィッツもカラスも、だーれも知らなかった。とはいえ、カラヤンにしても名前をどこかで耳にしたことがあるというレベルだったが。)そして、「ソニーや東芝、フォノグラムなどは二流かせいぜい一流半、デンオン、徳間、テイチクなどからCDが出ている連中は三流以下のどうしようもない落ちこぼれに違いない」というとんでもない勘違いをしていた。とはいいながらも、その「落ちこぼれレーベル」から1000円廉価盤が出た時は真っ先に飛びついた。とにかく買ったものを聴いていればどれもが耳に新鮮で、心から感動できていたのである。今思うといい時代だった。世の中には同じ曲を複数の演奏で聴き比べるのを愉しみとする人種が存在するということも徐々に知り始めてはいたが、「1曲1枚あれば十分なのに何でわざわざ勿体ないことを」と思っていた。演奏者による違いが興味の対象となるのは、10年以上も後のことである。
 そんなある日、カラヤン来日記念盤として東芝EMIから1枚2800円の限定盤が出るというので私は驚いた。まず、恥ずかしながらその時に初めてカラヤンが存命中であることを知った。(それまでは彼がまだ生きているのか、それとも既に物故指揮者に名を連ねていたのかも実は知らなかったのだ。)そして、高級レーベル所属の「ブルジョワ指揮者」のCDがかつてない低価格で発売されるというのである。私は驚喜し即座に8枚発売されたうちの5枚を注文した。(実際にはその年にカラヤンは来なかった。確か病気でキャンセルしたはずで、代役の小澤征爾がベルリン・フィルを振った。数年後に本当に来日した際は、私はFMで生中継を聴いたが、「展覧会の絵」冒頭でトランペットの音がひっくり返った時に受けた強烈な印象は忘れられるものではない。)ただし、私が持っていたラジカセはインデックス機能が付いていたものの、切れ目なしにトラックが変わる音楽の再生は苦手で、「英雄の生涯」やシベリウスの2番では音が切れてしまった。(最初期のCDでは、例えばベートーヴェンの5番の場合、第3楽章をトラック3のインデックス1、第4楽章をインデックス2としていた。また、アルプス交響曲のような長大な曲では全曲が単一トラックというトンデモ盤もあった。それもこれも再生に制約があったからである。現在は交響曲などの1つの楽章をさらにトラックで細かく区切られたディスクも売られているが、第2楽章以降の冒頭から聴こうという場合には、楽章とトラックの番号が対応していないので大変不便である。止めてくれ。あるいは、どうしてもやるならインデックスにしてくれと言いたい。)演奏が気に入らなかったものもあり、結局どれもが中古屋行きとなって、今も手元に残っているものはない。(シベ2はFMの朝の番組で聴いて戦慄が走るほど気に入った演奏だったので最後まで残った。ただし、籠もったような音が耐えられず、数年前にHS-2088による再発盤に買い換えた。このマスタリングについては他ページでそれこそ糞味噌ボロクソに書いているが、これは数少ない成功例だと思っている。)当時、今池という所にあった中古屋は定価の3〜4割で取ってくれたが、この限定盤は5割で売れた。(後日、定価以上の2900円で売られているのを見て驚いた。)CD購入は月にだいたい2〜3枚という経済状態だったので、中古屋も次第に利用することになった。ただし、販売価格は傷物でなければだいたい定価の2割からせいぜい3割引で、新品が生協で1割引(セール時は15%引き)で買えたためメリットはそんなになかった。最初はむしろ気に入らなかったものを換金するために足を運ぶことが多かった。(先述したように、買い取り価格は今と比べるとかなり良かった。今や地方都市在住の私はBOOKOFFぐらいしか持っていく場所がなく、1枚50〜100円程度にしかならないので、売るのはあまりにも馬鹿馬鹿しい。それで人に譲っている。)
 経済状態ということではいくらでも脱線ができそうだ。どこかで書いているかもしれないが、大学入学直後は朝夕自炊、昼のみ学食利用だったが、食堂の混雑が嫌なので購買部のカレーパンになり、しまいにはそれも面倒になって弁当持参にした。何せ実家が農家なので米はいくらでももらえたし、季節によっては新鮮な野菜も手に入った。問題は肉であるが、水曜定休のスーパーに火曜日の閉店30分前に行くと、既に半額シールの貼られたパックが店員によって赤のビニールテープで2〜3パックごとに束ねられ、一番上の値段×0.5になるのである。うまくいけば最初に付いていた価格の1/6以下で買える。オバハン達との争奪戦を勝ち抜いてそれをゲットするのである。やがて、手当たり次第に籠に入れておき、一息ついてから顔見知りになった人達と交換することもあった。私は高価なステーキ肉などはに興味がなく、豚バラや鶏モモ肉など、とにかく使い回しの利くものが欲しかったのである。肉はこの方法でだいたい100g20〜30円台で買っていたのではなかったか? その他の品もなるだけ特売品や処分品を買っていたし、「まとめ買い→とりあえず加熱→小分けして冷凍」という「生活の知恵」をフル活用していたのは言うまでもない。メニューこそ少々単調だったかもしれないが、私はカレーを1週間食べ続けられる人間なので全く平気だった。とはいえカロリーは十分取れていたし、栄養バランスにも特に問題はなかったようで、夜盲症にも脚気にもならなかった。こういう食生活で1ヶ月の食費がどの位だったかといえば、3食自炊に移行してからは5桁に達することは決してなかった。いつ頃からか家計簿を付けていたが、ある時記録を作ってやろうと思い立って普段より切りつめてみたところ、日数の少ない2月にとうとう5000円を切った。(たしか4895円だった。)もっとも、ネット仲間から「同じ条件なら私もそのぐらいでやれる自信はある」と言われたので実は大した数字ではないのであろう。(無人島で1万円以下どころか0円で暮らすという芸人もいることだし。)そうして浮いた分をCDと書籍の購入に充てていた訳だが、他に欲しいと思う嗜好品(生活必需品以外の品物)は全くといっていいほどなかった。また、一家揃って貧乏性という家庭に生まれ育っただけに、何かにつけて「勿体ない」と考えてしまう私だが、(中古でもいいからなるべく安く入手しようとは心がけていたものの、)それらの購入に限ってはそういう気持ちが全く起こらなかった。現在は購入費をケチったりする必要がなくなったけれども、その点ではちっとも変わっていないようである。
 全くとりとめのない話が続いたため、とっくに「ウンザリ」状態だろうと想像するが、このページのテーマである「如何にしてなりし乎」についてはもう明らかにしてしまった訳であるから、これから先もダラダラ続けるのはあまり賢明とはいえないであろう。というより、実際もうそんなに書くことはない。ハイティンクのブル4、バーンスタインのマーラー選集がともに大満足だったので、これらの作曲家の交響曲をまず揃えようと考えた。(次にショスタコーヴィチに移るのだが、それについてはロジェストヴェンスキーのページに書くつもりである。)それぞれ月1曲ずつのペースでコレクションを増やしていった。ただし、マーラーは全曲が揃ったので満足したという訳でもないが、あまり聴かなくなった。時々発作的に日曜か祝祭日の1日を「マーラーの日」として、1〜8番→「大地」→10番アダージョ→9番の順に聴いたりしていたが。(文字通り「朝から晩まで」約13時間半かかった。今は10番のクック完成版を持っているし、「嘆きの歌」や歌曲集も揃っているので、正確には計算していないが20時間ぐらいになるだろう。もはやそんな気力はない。体力は続くかもしれないが・・・・)一方、普段取り出して聴くことが多かったのはブルックナーで、ハイティンクの演奏がすこぶる良かったためコンセルトヘボウとの9番、続いて8番を買っていた。(残りの曲についても他のページで必ず触れてある。)特に9番からは言葉ではちょっと言い尽くせないほどの感銘を受けた。(目次ページの下には延々と書き続けているが、枝葉ばっかりで核心には全然迫っていない。)「これはとんでもないものを聴いてしまった」と聴後に思ったと記憶しているが、あるいは「取り返しのつかないことをしてしまった」だったかもしれない。上で「こういう音楽からはもう一生逃れられないだろう」という文章を寄稿した人のことを取り上げたが、私にそういう瞬間が本当に訪れたのは、初めてこの曲を聴いた時だと思う。とにかく、両作曲家への愛着度には、その後天と地ほどの開きが出ることになるのだが、元から親近感が全く違っていたのかもしれない。(追記:一度はこのように書いたけれども、聴き比べの面白さに目覚める切っ掛けとなった「クラシックを聴け!」の著者である許光俊がヴァントやチェリビダッケよりも、バーンスタインやベルティーニなどマーラーを得意とする指揮者に傾倒していたとしたら、あるいは当サイトのメインがそちらになっていたかもしれないとも思う。)
 一方、モーツァルトやベートーヴェンなど他の作曲家に全く興味がなかったわけではない。実は私とほぼ同時期にクラシックに開眼した同級生がおり、彼が新たに買ったものをその都度借りていた。(もちろん私のディスクも貸していたし、レンタル品も共同で利用していた。)彼も交響曲を中心にCDを買っていたが、私よりも前の時代の作曲家の作品を好んでいた。(つまり私よりも正統的スタイルで入門したということだ。)そんな訳で、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス等の交響曲は、最初はカセットテープによるコレクションという形で揃っていった。(チャイコフスキーは結構気に入り、4〜6番をマゼール&クリーヴランド盤によって早い時期に揃えてしまった。ドヴォルザークの89番も先述したカラヤンの来日記念盤で持っていた。)そのうちに、これらもCDで持っていたくなったので、中古屋に通う頻度が増えていった。先述した今池以外にもクラシックCDを扱う店が次第に増えていったし、値段も安くなっていたからである。(当然買い取りレートも悪くなっていたが。)交響曲以外のジャンルにも手を出すようになり、有名曲を一通り揃えてしまおうと考えてからは、余程の話題盤でない限り新品には手を出さなくなった。(オペラ全曲盤は今も全く所有していないが、私はあらゆる時代、あらゆる編成の音楽に興味を持ったので、とにかく買って聴いてみた。大抵のものは悪くともそこそこ愉しめたが、さすがに一部の現代曲だけはダメで中古屋行きとなった。)中古購入が中心となってからは所有枚数が増えるペースが上がったが、それでも修士課程を終えた時点(ハイティンクの「ロマンティック」購入後約3年半が経過)でのCDコレクションは引っ越しの段ボール2箱に納まってしまった程度で、200枚にも届いていなかったと思う。その後は暫く海外生活に入り、クラシックはラジオで聴くだけになった。(その辺は別ページでここ同様しつこく書いた。)帰国後も同様に中古主体で集めていたが(むしろラテンポップスのCD蒐集に熱中していた)、相変わらず「1曲1枚」の原則(はじき出されたものは中古屋行き)は維持していた。それがいつしか聴き比べにのめり込むようになるのだが、その経緯について最後に少し書いて終わりにしたい。
 ブルックナーの目次ページには「ブルックナー→ブラームス→ベートーヴェン、そしてブルックナーに回帰」などと書いている。(追記:正しくは「ブルックナー→ブラームス→ブルックナー→ベートーヴェン→ブルックナー」である。こういうのは何形式というのだろうか?)実はブラームスの交響曲は何とも退屈な音楽だと最初は思っていた。ところが、スペイン語を習っていた時にセンチメンタルにならざるを得ない状況(←教えない)に陥り、そこで初めて琴線に触れたのである。それで4→3→2番の順に好きになった。最後に1番だが、これは帰国後何年かが経過したところで学業が二進も三進も行かなくなり、半ば絶望していた頃のある日の朝、FMから流れたジュリーニ&VPOによる演奏が何ともいえず心に滲みたのである。(長年NHKラジオ英会話の講師を担当されていた大杉正明先生は、将来に絶望し全く希望の光が見えなかった院生時代、サイモン&ガーファンクルの "Bridge over troubled water" とキャロル・キングの "You've got a friend" によって慰められたそうである。実際に聴いてみたが、確かにこれらも素晴らしい名曲であった。ついでだが、私が好きなスペインのグループ、Mocedadesのベスト盤に収録されている後者のカヴァー "Tienes un amigo" も大のお気に入りである。)その直後に学会で訪れた高知市内の中古屋でジュリーニ盤を発見し、即購入したが、それはロス・フィル盤で別演奏だった。しかし、それは厳しくも優しい超名演であった。(今でもベスト盤に挙げている。後に愛知県芸術劇場のリスニングルームでVPO盤を聴いたが、少々生ぬるく感じた。)当時はとにかく遅い演奏でないと受け付けない状態だった。ジュリーニ&LAPO盤に飽きたらず、さらに究極の演奏を探し求めてCDを買い漁り、暫定版「ブラームスのページ」にあるごとく、それがアッという間に16種類に達した。その後ベートーヴェンにのめり込んだ経緯、そして今も抜け出せないでいるブルックナー地獄に陥った経緯については、既に他のページで紹介済みであるから割愛する。
 まとめのような文章が思いつかず尻切れトンボになってしまうかもしれないが、そろそろこの辺が潮時という感じがしてきたので、これを最終段落にすることにした。とにかく、大昔の記憶を少しずつ掘り起こしながら書いてきた訳だが、最初期に買ったディスクはどれも飽きるまで徹底的に、しかも集中して聴いていたことをいつしか思い出した。最近はそういった貪欲さがすっかり薄れてしまっていることを認めざるを得ない。初心に立ち帰る切っかけを与えられたというだけでも、このページ執筆は有意義であったと思う。おわり。

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