2005年2月追記
 「確率」で思い出したのだが、ある女性歌手の宣伝に「100年に一人の美声」というキャッチフレーズが使われていたのを何年か前に新聞紙上で目にしたことがある。彼女は当時のNHK朝の連続テレビ小説のテーマソングを歌っていたのであるが、それが私にはちっともいい声だとは思えなかったし、そもそも歌い方があまりにも不自然で生理的に耐え難かった。理解できないものをあれこれ言っても仕方がない。が、まだ二十歳にもなっていない若手をつかまえて「100年に一人」とか「神の声」などと持ち上げるのはいくら何でも大袈裟ではないかとは言わせてもらう。ちなみに元は南の島の民謡歌手だったらしいが、さらに南西に位置する島出身の女性歌手が私は今のところ日本人では一番好きである。
 さて、真に「100年に一人の声」ということになると私はそれこそ唯一人しか思い付かない。マリア・カラスである。アリア集「ヴェルディのヒロイン達」(第1&2集)のブックレットに掲載されている高崎保男の解説によれば、ヴェルディ初期のソプラノの主役には軽やかな運動性と力強い響きという相反する2つの特性、喩えるなら「スポーツカーの敏捷さ」と「ダンプカーの重量」とを兼備することが求められるというのだが、希有な声と技量の持ち主だったカラスはその困難極まる役柄を完璧に演じきった。そればかりか、声質が全く異なる(通常同一のソプラノ歌手が歌うことは不可能な)レパートリーをもこなすことが可能であった。しかも、それらがことごとく世界最高レベルに到達していたのだから驚嘆するしかない。今度は私が陸上競技に喩えてみると、同じ選手が100mを9秒8で、42.195kmを2時間5分で走るようなものだ。要は「絶対ありえへん」のである。それに匹敵する存在を私は他に知らない。
 「数十年に一人」になると、とりあえずフィッシャー=ディースカウとシュヴァルツコップを挙げたい。とはいえ、誰かがデル・モナコやプライやルートヴィッヒ、あるいは最近亡くなったテバルディやロス・アンヘレスなどを代わりに挙げたとしても別に文句はない。要は好き好き(思い入れの深さ)の問題であると思う。三大テノールはといえば、パヴァロッティとドミンゴは「20〜30年に一人」ぐらいが妥当かもしれない。(カレーラスについては私はぜんぜん美声とは思っていない。)フレーニもここに入れたい。それより若い世代の現役歌手はせいぜい「10年に一人」程度であり、今後さらに「○年」に入る数字が小さくなっていくような気もする。この予想は外れて欲しい。
 一方、ポピュラー畑にも世界中を捜せば「数十年に一人」がいっぱいいるのだろうが、まず美空ひばりを挙げておく。砂川しげひさ著「なんたってクラシック」には、「世界中でふたりの名歌手をあげるとすれば、フィッシャー=ディースカウと美空ひばりだといった指揮者がいた。ナルホドわかるようなきがする」とあり、著者も「ある時期の美空の影響力は絶大であった」とコメントしている。その指揮者というのはたぶん岩城宏之だと思うが、彼も「もし美空ひばりが幼時からクラシック教育を受けていたら、マリア・カラスに匹敵する世界的大歌手になっていただろう」と自著に書いていたはずだ。(手元にない。)また、「ひばりとカラス ─ 世紀の歌姫は出会っていた? 」という本を出すほど両者に傾倒していた演歌歌手の原田悠里も、NHK-FMの「日曜喫茶室」に出演した際に岩城と似たようなことを語っていたと記憶している。私もテレビで美空が歌うのを何度か観たことがあるが、若い頃の声の美しさと歌唱力にはとにかく圧倒されたし、やや濁声になってからも今の歌手からは絶対に聞かれないような凄味を感じた。もう一人加えたいのがポルトガルの「ファドの女王」ことアマリア・ロドリゲスである。彼女の歌は時に金切り声にも聞こえ、後年の美空と同様に決して美声ではなかったが、格調を保ったままに情念を歌い上げるのが実に見事である。名前だけは知っていたが、初めてNHK-FMで聴いた時に尋常ならざる感銘を受け、早速CDを買いに走ったほどである。99年に亡くなった時は大統領が参列するなど国葬級の扱いを受けたという話だが、それも当然だろう。他のスペインやラテンアメリカ諸国にはこれだけ巨大な存在は見当たらない。(エリス・レジーナはかなり深い境地を感じさせるが、まだ十分聞き込んでいない。)とりあえず「10〜20年」級としてフリオ・イグレシアス、テレーザ・サルゲイロ(マドレデウス)、アナ・トローハ(元メカーノ)、そしてドゥルス・ポンテスの4人を挙げておく。英語圏にもやたらと上手い歌手が(特にアフリカ系に)数多くいるとは思うが、筍のごとく次々と出てくるのでやっぱ「数年に一人」かなあ?
(2006年2月6日追記:上記第1段落の終わりで触れた石垣島出身女性歌手、夏川りみが昨日の「日曜喫茶室」の「お客様」だったが、プロとしてデビューする前のこと、NHKに出演するために受けたオーディションの課題曲が美空の「津軽のふるさと」で、当時審査を担当していた藤山一郎は彼女の歌を聴いて「40年に一度出るか出ないかという歌手」と評したそうである。こういうエピソードの方がレコード会社の軽々しい宣伝文句よりもよっぽど信憑性がある。ついでながら、もう1人のゲストは今話題の将棋プロ棋士、すなわち昨年11月に61年ぶりで実施された編入試験に合格した瀬川晶司であったが、彼に目標とする歌手を訊かれた夏川は「特に目指しているというのはいない」としながらも、好きな歌手としてマライア・キャリー、ホイットニー・ヒューストン、セリーヌ・ディオンを挙げた。直後のマスター役はかま満緒による「日本人では?」という質問には「すぐには思い付かない」と答えていたが、既に日本人離れした圧倒的歌唱力を持つ彼女ゆえ無理もないかもしれない。はかまは裏声に逃げなくとも最高音を出せる夏川の技量を高く評価していたが、その点ではサルゲイロにも引けを取らないと思う。)

追記の追記
 上のロドリゲスに関する記述のオリジナルは、毎度のことながらKさんへのメール(1998/11/18)である。(マドレデウスやテレーザについて触れた部分は、将来作成するかもしれない「ラテン音楽のページ」用に温存しておくべきかもしれん。)

>  アマリア・ロドリゲス、僕もNHK-FMの「世界の民族音楽」(日曜22:30〜)
> で去年初めて聴いて、とにかく理屈抜きで感動しました。翌日CDを買いに
> 走りました。(アマリアを知ったお陰で、ドゥルス・ポンテスとも出会うこ
> とができました。情念を歌い上げるという点で彼女の右に出る歌手は、現役
> では僕には見当たりませんね。)客観的にみると、声がよい、巧いという点
> では彼女は平均点より少し上ぐらいかなとも思うのですが、聴いている最中
> はそんなことは頭の中からすっかり消え去ってしまいます。美声・巧さを超
> 越しているという点では、マリア・カラスと共通していると思います。やは
> り、そのような超越したところがなければ超一流にはなれないのでしょう。
> そういう点でいえば、美声・巧さを備えつつもそれらを超越しているテレー
> ザとはいったい何という存在なのでしょう?
>  ここで想像するのですが、彼女がもし英語圏に生まれたとしたらどうなっ
> ていたのでしょうか?言うまでもなく今以上の世界的人気スターとなってい
> たでしょう。が、しかし、今あるように人の心を底から揺さぶるような歌を
> 世に出すことはなかった、そんな気がします。もちろん英語曲にも素晴らし
> いのは無数にありますが、あそこまで深い境地に立っていると思わせるもの
> は見当たりませんしね。(ただし黒人霊歌はいい線いっている。)
>  やはり、アマリアにしてもテレーザにしても、ポルトガルの風土と言語の
> 中で育まれることが、あのような深い音楽を生み出すには不可欠だったのだ
> と思います。それにしても彼女たちがフランスに生まれなくて本当によかっ
> た!僕はシャンソンもフレンチ・ポップスもたまに聴くのですが、あの国の
> 音楽ほど深い感動にほど遠いものはありません。(シャンソンはともかくと
> して、フレンチ・ポップスは日本ではおシャレなどともてはやされているん
> でしょうが、このおシャレという言葉自体不快です。)情念を歌っていても
> サラッと流してしまう感じですね。

例によって脱線に歯止めが利かず、最後の方は完全に暴走してしまっている。(フランス音楽好きの人達よ許せ。)なお、同じメールではKさんが後醍醐(←「天皇か!」って懐かしいなあ)について振ってこられたのを受け、こんなことも書いていた。最後の予想は見事的中した。

>  最近はゴダイゴ、およびタケカワユキヒデ氏の歌は聴いていませんが、学
> 生時代は結構好きでしたよ。思うに、当時の日本のヒット・ソングは今ほど
> 酷くはなかった。結構いい曲がありました。今は最悪。女性歌手はみんな同
> じ歌い方をしている。少しきつめ(堅めの)声を出して、歌唱力の無さをご
> まかそうとしているが、不自然極まりなし。あと、英語の単語・フレーズを
> 必然性もないのに挿入しているのも我慢がならない。装飾音というかスパイ
> ス的な使用法だと思うが、英語に失礼だ!とにかく、ラテン音楽に目覚めた
> 今、僕が日本のポピュラーソングに戻る可能性は皆無でしょう。

追記の追記2
 声についても何か書いていたのでは、と思って捜したところ、やっぱり見つかった。以下はKさんへのメールの記念すべき第1号の全文である。(98年11月16日付って上のわずか2日前じゃないか!それにしても、この頃はまだ短かったんやなあ。)

>  これは流石に長すぎるので、直接メールで送らせていただきます。堅苦し
> い話で掲示板を訪ねられる他の人たちを辟易させてもいけないし・・・・・・
>  以下に、ある人に以前送ったメールの一部を抜粋して載せます。
>
>   これは僕の持論ですが、いい歌手、いい音楽の条件というのは、1.歌
>  が上手いこと、2.自然な発声(発音)をしていること、3.いい声をし
>  ていること、です。ただ1と2は明快ですが、3はある程度まではものさ
>  しがあっても、それから先は好みが分かれるため、結局は自分がいいと思
>  う声=自分が好きな声になってしまうのでしょう。(中略)オペラでもル
>  チアーノ・パヴァロッティの声をはじめて聴いた人のほとんど全てがいい
>  声だと感じるでしょうが、マリア・カラスの場合、オペラを知らなければ
>  変な声だと思う人の方が多いでしょう。僕自身も彼女の声はどちらかと言
>  えば奇声に近いと思っています。しかし、そういう声で歌われる歌は、ツ
>  ボにピッタリはまれば完全無比な美声よりもはるかに大きい感動を与える
>  ことも事実なのです。そこで僕が思うことは、仮に悪声であっても下品さ
>  ・悪趣味さを感じさせることがなく(その一歩手前で踏みとどまり)、あ
>  くまで格調の高さを感じさせる声はいいのだと言うことです。(中略)
>   だいぶ話が深入りしましたので3はこれ位にして、2について少し書く
>  と、やはりこれも非常に重要な要素といわなければなりません。(中略)
>   とにかく、僕は歌というものはその言葉の意味が全然解らない聴き手に
>  対しても、美しいと感じさせなくてはいけないと考えています。声も楽器
>  の1つと見なす訳です。その場合、声が楽器のアンンブルとの調和を乱す
>  ものではいけないと思います(楽器が歌の邪魔をしているようなのはもち
>  ろん論外)。だから、歌う時のリズム・アクセント・イントネーションな
>  どは非常に大切だと思うのです。したがって、歌手にはなるべく普段話す
>  ように歌って欲しい。もっとも不自然な歌い方を強いるような曲を歌わせ
>  ているところからして問題ですが・・・・・・・
>   そう考えてみると、僕はロックは基本的に単語の前にアクセントの来る
>  英語・ドイツ語(その他北欧系の言語)にしか向いていないと思います。
>  また、カンツォーネ、シャンソン、ファドはまさに、イタリア語、フラン
>  ス語、ポルトガル語で歌われるために存在していると思います。ですから、
>  翻訳して歌ってみてもどうしても綺麗に聞こえないのは当然だと思います。
>                          (以上抜粋終わり)
>
>  ところで「いい声を持っている」と「歌が上手い」が全く別の要素である
> のは、既に述べたとおりですが、最近僕は「いい音楽」は「聴く人に感動を
> 与える」という条件さえ満たしていればそれで十分なのだと考えるようにな
> りました。ですからマドレデウスの音楽に感動する理由を、テレーザの歌の
> 声の良さ、歌の上手さで片付けてしまっては良くない、本当の理由はさらに
> 深いところにあるに違いないとも思うのです。それが何であるのか、例えば
> 宗教性など一言で済ませることは簡単でしょうが、実体のある言葉で言い表
> すのは不可能なのかもしれませんね。
>  ただ、このようにあんまり音楽を聴くのをやたらと難しくしてしまっても
> いけない、とも思います。ましてや人に押しつけるのは以ての外。どうも僕
> は20代後半に読んだ小林秀雄の「モオツァルト」などに影響され過ぎたの
> かもしれませんね。
>  以上とりとめもない話で失礼しました。掲示板では楽しい話題を心がける
> ようにします。

上に「一部を抜粋して」とあるからには、どこかに「(中略)」のないオリジナルが存在したはずである。ところが、それがどうしても見つからない。最初はO君への手紙かと思ってファイルを開いてみたが、該当するものはなかった。そもそも「以前送ったメール」とはっきり書いてある。(彼とは当時メールのやり取りはできなかったはずだ。)だから、「ある人」というのが誰なのかも依然として謎である。もしかしたらあの人だろうか? もし見ていたら連絡下さい。ってこんなとこに「尋ね人のコーナー」を設けてどうする?

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