あまりにも長いため、「をとひめ」についての思い出を綴った文章はこのページに隔離することにした。なお、最後の一文に記した状況については今も変わっていないと思う。

>  僕がまだ院生だった頃、大学生協が発行していた「をとひめ」という音楽
> 雑誌がありました。新譜紹介やコンサートの感想など、募集による原稿で形
> 成されていました。誰が書いても良かったのですが、いつも特定の2人の文
> 章が占めるページが非常に多かったのでした。他の人は長くて2ページなの
> に対して、少なくとも4ページ、時には8ページ(しかも小さめの字でびっ
> しり)もあるエッセイなどを毎号、しかも複数執筆されていました。一人は
> 久我王子さんという人でジャズが専門、もう一人はコクマルガラスというペ
> ンネームで専らクラシックに関する文章を書かれていました。久我氏とコク
> マル氏はお互いに尊敬し合っており、時には前号での相手の文章に言及する
> こともされていました。彼らの文章は量だけでなく質的にも抜きんでており、
> 読んでいて非常に充実感がありました。僕は「をとひめ」を読むたびに、い
> つか自分もこういった優れた文章を書いてみたいと思っていたのです。しか
> し当時の自分には到底その実力がなく、何よりも非常に忙しかったために投
> 稿はできませんでした。
>  やがて、自分の学業がひとまず終わって自由時間がある程度持てるように
> なったのですが、それと機を同じくして、何たることか「をとひめ」が廃刊
> となってしまったのです。久我氏が就職あるいは転勤で名古屋を離れて九州
> に移られてからは、二人の往復書簡という形での連載が始まり、それも非常
> に興味深いものでしたが、二度ほど掲載された後、「をとひめ」自体が突然
> の廃刊、というより何の予告もなしにパッタリと発行されなくなってしまっ
> たのです。久我氏とともに重要な役割を果たしていたコクマル氏に、寄稿を
> 継続できなくなるような事態が発生したのではないかと僕は想像していまし
> た。(というか、それまで書かれていた文章には、氏の将来を暗示するかの
> ような深刻な表現が時折見られたので、非常に気になっていました。氏は学
> 生・院生ではなく、非常勤講師のような不安定な立場であるというようなこ
> とを書かれていましたし。それについては不確かな推測でしかないので、書
> くのは差し控えますが・・・・・)
>  それにしても、「をとひめ」でのコクマル氏の文章は凄かったと当時を振
> り返ってみてつくづく思います。生物学者のコンラート・ローレンツが研究
> 対象としたカラスの名をペンネームにしていたことから、氏が理系分野を専
> 門とする人間であることが推察されたのですが、にもかかわらず文学的で(単
> なる理詰めの文章に留まらないという意味)非常に見事な文章でした。(ま
> たまた余談ですが、カラヤンの崇拝者であった氏はアルバム「アダージョ・
> カラヤン」を故人の遺産の価値を貶めるものだとして、ドイツ・グラモフォ
> ン社に抗議の手紙を、それも辞書を引きながらドイツ語で書いて送ったそう
> です。)美術・文学という音楽以外の芸術からも題材を、それも十分に消化
> した上で取り入れて音楽を語る。中でも小林秀雄の芸術論、美学観を引き合
> いに出しての考察には感心するばかりでした。お気づきかも知れませんが、
> 僕の文章のスタイルの多くは氏に負う部分が非常に大きいのです。面識はな
> かったのですが、師匠と呼んでもいいほどです。少なくとも一度はお目にか
> かって、いろいろと教えてもらいたかったと思うと非常に心残りです。僕の
> 文章はまだまだ足元にも及んでいません。(Kさんへのメール、99/05/14)

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(このページ作成に伴いインデックス機能というのを覚えた。少しだけ賢くなった。)