交響曲第6番イ長調
ハンス・フォンク指揮ハーグ・レジデンティ管弦楽団
84/05
VANGUARD CLASSICS 99007

 全然知らない指揮者だったにもかかわらずYahoo! オークションで見つけた当盤に手を出してしまった(出品価格980円のまま無競争落札)。アルブレヒトの6番を落札した直後のことであり、一種「毒を食らわば皿まで」の心境だったといえるかもしれないが、ネット検索中に目に留まった「暗い・重い・遅い、の3拍子揃った演奏」というコメントが入札の決め手となった。また、出品者の自己紹介欄中のユニークな文章にも興味をそそられたが、実際のところ落札後のやりとりも結構面白かった。(以下も余談:当盤に関する「通称ハーグ・フィルを振った第6番」「ハーグ・レジデンツ・管弦楽団」という記述に疑問を抱いたのだが、調べてみたら確かに同一団体のようである。ついでながら、現在同オケの音楽監督を務めているのは、近年リリースされたブルックナー479番がことごとく絶賛されている阿蘭陀人である。この一見スカンディナヴィア半島にある王国みたいな名前の指揮者によるディスクは私も以前から気になってはいるのだが、EXTONレーベルの時代錯誤的な価格設定のため新譜に手を出す気には絶対ならん。)
 さて、先述の牛丼屋のコピーみたいなディスク評とは少し異なり、私は冒頭から全然やる気の感じられない演奏と聴いた。後を引く感じのリズムや乾き気味の音色など表面的にはボンガルツ盤と似ているようにも思ったが、ジックリ耳を傾けてみるとあのような退廃的演奏とは少し違う。ここでも許光俊が示したブラ1演奏における4種の類型に倣うとすれば、「つまらない曲だから、つまらなく演奏する」に該当するだろうか。(本当は端正にまとめているだけなのだろうが・・・・)だが、こういうのも決して悪くはない。少なくとも私にとっては「つまらない曲だけれど一所懸命演奏する」→「曲のつまらなさが一層際立ってしまう」という結果を生んだヴァント盤などより断然好ましい。再現部に入る手前(〜9分25秒)など滅多に聴けないほどに脱力感およびギクシャク感全開であるから、これは珍しいものが手に入ったぞと手を叩いて喜びたい気分だ。惜しむらくは速めのテンポを採用した第2楽章(トラックタイム約15分半)に推進力を感じてしまうこと。(また後半もスケルツォがチンタラなのにフィナーレはセカセカだから少々分裂気味のようにも思われる。どうせなら全曲を無気力スタイルで統一してもらいたかった。)もし20分を大きく上回るようなアダージョであれば、霧散消滅するかのようなラストを聴き終えた時点でお腹いっぱいになることも不可能ではなかったはずだ。もしかするとブルックナーは、ここで作曲の筆を折っていた方が良かったのかもしれない。シューベルトの第7(8)番のように謎めいたところがあれば後世の音楽家達から注目され、あるいは持てはやされ、その結果として古くから数々の名録音が残されていたであろうに・・・・(←ムチャクチャ言うなあ。)

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交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
ハンス・フォンク指揮セントルイス交響楽団
01/04/19〜21
Pentatone Classics PTC 5186321

 上記6番では「無気力スタイル」により思いもかけぬ名演を聴かせてくれたフォンクではあったが、「いてもいなくてもいい指揮者」というカテゴリーからはみ出るほどの感銘を受けた訳ではなかったため、当盤発売情報を得ても当初は手を出す気がなかった。ところが「犬」通販の紹介文を見て驚いた。指揮者は「ギラン・バレー症候群」という(聞いたことのない名前の)病気からは何とか(1年間の休養を経て)回復できたものの、その後(2002年)超弩級の難病(註)とされる筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic Lateral Sclerosis)に罹り、治療の甲斐もなく命を奪われてしまったそうである。(註:筋力低下と筋萎縮のため最後は呼吸不能に陥り死亡するが、現在のところ有効な治療法は皆無である。私は「モリー先生との火曜日」という本でそれを知った。)当盤に収録されたコンサートは2001年4月、つまりALS発病の少し前に行われた訳である。もちろん細部は違っているだろうが、病み上がり期に録音されたホルスト・シュタイン&ヴッパータル響による5番と少し事情が似ているようにも思われた。ならば、あれと同じく(いろんな意味で)途方もない演奏を繰り広げているかもしれない。そのような期待を抱いたため購入を決めた。(マルチバイ割引を利用すれば1500円以下と手頃な価格だったことにもよる。)ところが実際には至極真っ当な演奏だった。ただし「ハズレ」ではなかった。
 第1楽章はやや速めの出だし。あるいはクレンペラーやレーグナー級のイラチ型演奏ではないかと一度は危惧したが、途中での無茶加速はしていないため18分半ほど使っている。テンポ設定は妥当といえる。1分39秒からの「ドーソーファミレド」におけるブラスの炸裂が見事である。トロンボーンとチューバがバリバリ鳴らし、それらに負けじとトランペットも応酬している。にもかかわらず決して荒っぽくならない。ここでは弦がやや温和しめと思われたが、十分なる地力を備えていることは中間部のコラールを聞けば判る。それにしても何という充実した響きだろう。USAの団体という理由だけで「無機的」「外面的」などというレッテルを貼りたがるような無能評論家はもはや存在しないだろうと想像する(し、万一いたら早く絶滅してほしいと切に願っている)私であるが、この箇所から伝わってくる暖かさは尋常ではないと声を大にして言いたい。少なくともこれまで耳にした欧州のどの指揮者&団体(ヴァント&BPO盤含む)の演奏よりも私は好きだ。この楽章の再現部やコーダ、および第2楽章以降についても全奏時の美しさは際立っていたが、とりわけ終楽章の冒頭とエンディングの充実ぶりが印象に残った。誠に勝手ながら約17年前の6番演奏時とは別人のような気合いの入り方と私は聞いたが、おそらく指揮者にも完全燃焼できたという思いはあったことだろう。スケルツォのリズムが時にもたつき気味と聞こえたのが惜しまれるが、それ以上に明らかな傷といえるのが終演後のアホブラヴォーである。それも興奮のあまり思わず、というのではなく、お義理で発しているような感じだから当方には興醒め作用しかもたらさない。こんなフーリガン同然の連中は出入り禁止に処すべきだ。

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交響曲第7番ホ長調
ハンス・フォンク指揮セントルイス交響楽団
97/04/18〜19
ARCH MEDIA AM1005

 「犬」通販にて上の4番を含む注文を確定させたのは2007年10月11日、そして受け取ったのは11月頭である。一方、ヤフオクで見つけた当盤に入札したのは同年同月の29日であるから、その4番も聴かない内からちょっかいを出していたことになるが、今になってみれば勢いが付いていたとしか説明のしようがない。それはともかく、この7番にも決して不満を感じることがなかったのは幸いであった。なお、PENTATONE(蘭)からリリースされた4番にも記されていた "ARCH MEDIA" という文字列であるが、セントルイス響の自主レーベルのことであると遅ればせながら知った。(ちなみにPENTATONEから同時発売された4点 ─ブル4含む─ は全て未発表音源から選ばれているとのことである。)
 この7番はフォンクがスラットキンの後任として同響の音楽監督に就任した翌年に録音されている。辞任前年の4番とは4年ほどの隔たりがあるものの解釈に大きな違いはない。熱いところは熱くなるけれども常にバランスの取れた好演である。どのパートも埋没することなくしっかり自己主張しているが、それでいて響きは非常に美しい。ただし金管の活躍する場面が4番ほど頻繁でないため、感動できた回数もやや少なかったように思う。それよりも気になったのが第1楽章コーダでの加速。ジュリーニ盤(3種とも)のページではダメ出しした箇所である。ところが最近読んだ「レコ芸」(2007年9月号)の特集「究極のオーケストラ超名曲徹底解剖[4]」(ブル7の項を金子建志が担当)によれば、改訂版やノヴァーク版では自筆スコアの「少しずつ、加速してゆく」という指示を採用しているとのことである。そうなると「こんなのは不当、却下だ却下だ!」と銭形警部口調で切って捨てることもできなくなるから困ったものだ。とはいえ、もちろん限度というものはある。その場合はハース版支持者の朝比奈が指摘していたように「どこまで加速していくのかが不明確」とならざるを得ないし、それは「どの程度加速するか」とともに指揮者の裁量に任されることになるのだが、その点でジュリーニや金子が挙げていた「ハッタリ野郎」などは明らかに「やりすぎ」であった。その結果、聴き手にあざとさだけを感じさせることになったから、やはり一発レッドカードは免れない。彼らと比べれば当盤のフォンクの悪質さは軽度であるとはいえるが、それでもPK狙いのシミュレーションあたりには相当するためイエローぐらいは出さなければ気分が収まらない。が、第2楽章以降は特に気に触るような解釈も聞かれず、2枚目を喰らって退場させられるという事態は招かずに済んだ。

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