ホルスト・シュタイン

交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
 バンベルク交響楽団

交響曲第5番変ロ長調
 ヴッパータル交響楽団

交響曲第6番イ長調
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 わが国ではフルネームで呼ばれることの多い指揮者の代表格ではないだろうか? その理由を考えてみたのだが、(語呂が良くないということは決してないものの)「シュタイン」単独だと何となく物足りなさを覚えてしまうからではないかということに落ち着いた。「ホーレンシュタイン」や「バーンシュタイン」(←やはり獨墺圏ではそう呼ばれていたのだろうか?)には何ら違和感がないから、要は頭に何でもいいから付いていれば安定感が出てくるということかもしれない。(少なくとも私にとっては、単数形不定冠詞が前置された例の大物理学者の名前が子供の頃から染み付いているのが大きいと思う。)シュタインには大変失礼だが、彼が時折「フランケンシュタイン」呼ばわりされるのも(あの独特の風貌だけでなく)そのことと無関係ではないような気がする。「いらんことし」に他ならないが、日本語に訳せば「石さん」である。日本人にも弘光(税制調査会会長)&弘之(環境学の大家)兄弟のような著名人がいるけれども、やはり安定感では「高石さん」や「寺石さん」などと比べて圧倒的に劣る。どこかへコロコロと転がってしまいそうで収まりは極めてよろしくない。(これも全く大きなお世話である。)ふと思ったのだが、"Stein" 同様に一音節の姓ながら "Wand" には全く字足らず感がないのは妙な話である。ついでながら、こちらは漢字表記すると「壁」である。さすがにこんな日本姓はないだろうが、ハンドルネームの一部に採り入れている人は知っている。私は最近になるまでそう( "Wand" =「壁」)とは知らなかった。NHK教育テレビの「ドイツ語会話」でよく使われていたため、「壁」といえば "Mauer" と思い込んでいたのである。が、調べてみたらベルリンの西と東とを隔てていた煉瓦造り塀のような厚い壁が "Mauer" で、家の壁などは "Wand" なのだそうだ。脱線に歯止めが効かなくなりそうなので改段落する。
 さて、シュタインがN響名誉指揮者としても印象が薄かったということは既にスウィトナーの目次ページに記した。手堅さだけがウリという指揮者の1人として認識していたに過ぎない。先に触れた風貌にしても、それを意識するようになったのは「クラシックB級グルメ読本」を読んでからのことである。(人類の進化について考えずにはいられない。もちろん前頭葉がホモ・サピエンス以上に発達した未来人を想像するのである。)そんな訳で上記ブルックナー以外のディスクは1枚も持っていないし聴いた記憶もない。独奏者がグルダゆえVPOとのベートーヴェンPC全集には少なからず興味があったが、昨年(2005年)オケが同じであるシュミット=イッセルシュテットの交響曲&協奏曲全集を入手したため購入意欲が完全になくなってしまった。よって今後コレクションが増える可能性は極めて低い。(結局なくてもいい文章しか書けなかったな。)

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