ユージン・オーマンディ

交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
交響曲第5番変ロ長調
交響曲第7番ホ長調
(全てフィラデルフィア管弦楽団)

 オーマンディといえば、私のクラシック開眼の発端となったCBSソニーファミリークラブの「音のカタログ」(カセットテープ版)には彼とフィラデルフィア管による演奏が結構多く採用されていたと記憶している。ただし、それらの全てが「ホームクラシック大全集」からのもの、つまり俗に言う「セミ・クラシック」の類で、交響曲や協奏曲は全くなかった。同レーベル最初の「ベスト・クラシック100」シリーズでも似たり寄ったりで、ヴァイオリン協奏曲の2枚(メンデルスゾーン&チャイコフスキー、シベリウスとブルッフの第1番)こそ大曲だったが、他はチャイコの三大バレエ組曲にオムニバスの管弦楽曲集3枚というラインナップだった。さらに開眼後しばらくして読んだ砂川しげひさの「なんたってクラシック」(朝日文庫)では、セミクラシック好きの著者が昔のフィードラーやコステラネッツといった「小品専門といってもいい指揮者」がいまや皆無に等しいという状況を嘆き(ついでに「カラヤンやバーンスタインとかいったナンデモ屋がやる小品は、才気走って、それでいて厚化粧で、まったく可愛気がない」と酷評)、続けて「かろうじて、オーマンディが健在のときはまだよかったが」と書いていたから、私はオーマンディのことを巨匠クラスのワルターとセルはもちろん、バーンスタイン、マゼール、クーベリックでも相手にしないような曲をカバーするためにCBSから雇われている指揮者、つまり一種の便利屋に過ぎないと錯覚していたほどである。(なので、後に「クラシックB級グルメ読本」の「クラシックの首を絞める者たち」にて、荒俣育代が「3大メジャーの一角を占めていたRCAは、老体オーマンディの高額ギャラに一点豪華主義をとらざるを得なくなり」と書いていたのを読んだ時も「いったい何で?」と首を傾げずにはいられなかった。昨年買った山崎浩太郎著「名指揮者列伝」にも、ステレオ録音初期=50年代末から60年代にかけてのCBS二大看板ながら「売り上げ枚数の点では、話題性のないオーマンディのレコードの方がバーンスタインよりはるかに上だった」という記述があり、驚かされたばかりである。)後に買った「世界の指揮者」(新潮文庫)のセルの項でも、吉田秀和はクリーヴランド管を「物凄い管弦楽団である」と褒めたついでに「これは表面だけの艶と磨きのかけられた『オーマンディのフィラデルフィア管弦楽団』とは、ちがうのである」と述べていたから、このコンビに対する私の軽視傾向にはさらに拍車がかかることとなった。(某掲示板にも吉田のこのような批評がわが国においてオーマンディが過小評価される風潮を醸成したとする批判投稿が寄せられていた。それに対し宇野功芳の見解はどうなのだろうか? 前任者ストコフスキーは「芸人」として評価していたようであるが・・・・と思っていたところ、BMG「エフゲニー・ムラヴィンスキー全集」の「28.モスクワ音楽院のムラヴィンスキーIV」のブックレットに掲載されているインタビューで言及しているのを見つけた。コーホー先生は、ムラヴィンの「ルスランとリュドミラ」序曲について「あんなに速いテンポで、あんなにオーケストラを鳴らして一糸乱れず指揮できるのは神業です」として絶讃していたが、それを聴くまでは「完璧な機械主義と言うか、オーケストラの腕の鳴っている連中をぐっと統制してガアッと速いテンポでもって行く」というオーマンディのレコードにすごく感激していたのだそうだ。「ぐっと○○してガアッと」など何だかバッティングの神髄を語る長嶋茂雄のようである。)そういう状況が何年も続いたが、「クラシック名盤&裏名盤ガイド」の「ミサ・ソレムニス」のページを担当した海老忠が大穴盤として挙げたオーマンディ盤のコメントを「迷指揮者オーマンディの勘違いぶりが、最高に楽しい珍無類の怪演奏だ」で結んでいたことがダメ押しとなった。「この指揮者はシリアスな曲の演奏には全く向いていない」と思い込んでしまったのである。
 ところが、ある日ブックオフでゲットした「英雄」(税込定価1000円の廉価盤 "Classic Super Value" シリーズ)を聞いて驚いた。250円か300円という捨て値だったからこそ買ったのであるが、これが実に大らか&全く傷のない演奏で滅多にないほどの爽快感と満足感を味わうことができた。既にあちらのブル3スタジオ盤ページに書いたが、同レーベルの全く楽しくないセル盤はもとより、同タイプで許光俊が「クラシックCD名盤バトル」にて「外面への執着が成功した例」として挙げたカラヤンの62年盤より上だと思った。タイプはまるで違うが、これほど堪能できたのは他にヴァントの82年スタジオ盤位しか思い付かない。(ネット上での評価も決して低くないと後に知った。とはいえ、ベートーヴェンでも他の曲の出来はもう一つらしい。なので、同じシリーズで出ている「運命」「田園」カップリング盤などを買おうとは思わない。)これが見直す切っ掛けとなった。
 そしてそのしばらく後のこと、市内のCD屋の店頭に並んでいたやはり "Super Value" の「ロマンティック」を買った。(私は国内盤の新品はインディーズ等でもとりあえず15 % 引きで買える生協ショップに注文することにしているのだが、なぜその時だけはすぐさまレジに持っていたのかは今もって謎である。限定盤ゆえ次に通りがかったときに売れてしまっていることを恐れたのだろうか? もっとも、そこで買わなかったら後日注文することを忘れてしまっていた可能性は小さくない。)これもまた素晴らしい演奏だったというだけでなく、積年の疑問が氷解したという点でも大いに意義があった。(実際には思い込みに過ぎないかもしれないが・・・・・)そこでネット通販より発売情報が届いた輸入盤の5番もそこそこ安かった(1000円以下)ため即注文。それもすこぶる良かったため、「ユージン・オーマンディ&フィラデルフィアの芸術」(指揮者の没後15年とオケの創立100年記念)の第2弾としてBMGより発売された7番(初CD化?)を買った。
 ということで、この指揮者のディスクとしては「英雄」とブル3枚の他は上記ヴァイオリン協奏曲集(バレンボイム指揮のベートーヴェンおよびメータ指揮のブラームスを加えた「6大協奏曲」3枚組)だけだと思っていたが、棚を探してみたらシベリウスの「4つの伝説曲」もあった。とはいえ、持っていたことすら忘れていた曲だから、もう何年も聴いていない。シベといえば第2交響曲もだいぶ前に中古屋で買ったが、音の悪さに対する不満、それ以上にカラヤン盤に毒されていた私には全く物足りなかったため、同日に強制送還の憂き目を見たはずである。

戻る