交響曲第6番イ長調
フェルディナント・ライトナー指揮シュトゥットガルト放送交響楽団
82/10/27〜28
haenssler CLASSIC CD 93.051

 ライトナーといえば、ブロムシュテットと同じくクラシック開眼直後に観た「N響アワー」での1シーンが印象に残っているに過ぎない。「田園」交響曲の開始時に念の入った前振りを行う姿だったが、それが妙に可笑しかったのと同時に「相当に几帳面な人なんだろうな」と思ったことを憶えている。以後もほとんど演奏を見聞きした記憶がないままライトナーの名前は忘却の彼方へと消え去ろうとしていた。ところがブルックナーCD蒐集プロジェクトの真っ直中、ヘンスラーレーベルからシュトゥットガルト放送響との6&9番が発売された。うち前者はDGが3番以降では唯一「チェリビダッケの遺産」として発売しなかった(できなかった?)曲であるし、後者も同オケとの録音は鳴りが弱くてイマイチの出来と感じていたため即「買い」と決定した。
 まずは6番評である。トラックタイムを見ると第3楽章を除いて15分台である。こういうのも珍しいのではないか? 几帳面な性格が表れたのかな、とも一瞬思った。が、単なる偶然で深い意味はないのと考えるべきだろう。それはともかく、大昔にテレビで観たのと同じく第1楽章の「チャッチャチャチャチャ」はとても丁寧である。ただしサヴァリッシュのような神経質さは感じない。と思っていたら、大胆な第1主題提示に驚いてしまった。どの楽器の音も綺麗なのは以前からの特徴だが、さらに当盤で感心したのは金管の鳴りっぷりの良さ。(チェリとの共演ではどことなく抑えられているようで、窮屈と感じることもたまにあった。)もちろん品性を疑うような汚い音は全く出さない。また、打楽器と他楽器のリズムが完全には同調していないようで、その微妙なズレがスケール感となって現れているようにも思った。以後も基本的には端正な演奏ながら、ここぞという所ではバランスが多少損なわれるのも厭わずに盛り上げてくれる。とはいっても、この高機能オケゆえ実際には乱れなど全くといっていいほど聞かれないのであるが。豪放さと繊細さと兼ね備えている、というより両者を上手く使い分けているとでも言ったらいいのだろうか? こういうのは大歓迎である。そのコントラストが最も鮮やかなのは第2&3楽章で、特に前者はもう終わってしまうのかと惜しまれるほどに美しく仕上がっている。終楽章も出だしがセカセカしていないのが好感度が持てるし、以降もブロック内はもちろん、変わり目でも急に駆け出したりしない。つまらない曲であることを聞き手に悟られまいと細心の注意を払ってのことだと私は勝手に理解している。エンディングも堂々としたもので、イケイケでごまかしたりするなど愚の骨頂といわんばかりである。それはともかく、これは恐ろしく完成度の高い演奏である。

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交響曲第9番ニ短調
フェルディナント・ライトナー指揮シュトゥットガルト放送交響楽団
83/11/14
haenssler CLASSIC CD 93.052

 6番が大当たりだったので、この9番も期待して試聴に臨んだが裏切られなかった。アンサンブルが緻密で音が美しいのはもちろんだが、チェリ盤のように第1楽章冒頭の「ビッグバン」の迫力が足りないということもない。これなら代役どころかシュトゥットガルト放送響によるブル9の主役の座(代表盤としての役割)も十分に務まる。6番同様、几帳面というだけに終わらず剛毅なところも感じ取れる演奏だ。ついでながら79年にヴァントが客演した際のライヴ盤(Profil)とも聴き比べてみたが、当盤の印象の方が僅かながら上回った。緻密さと力強さ(両盤ともそれらを両立させているのが凄い)は互角だったが、指揮者の「解釈」に耳をそばだてることが全くなかったことが微差となったのである。なお、これは録音条件(コンサートホール vs 修道院)の違いによると思われるが、同じライブながら当盤の方が臨場感に優れており、大音量部分は激しさを通り越して壮絶極まる一方、弱音部分の精細さも十分伝わってくる。(ただし会場ノイズも同様なのが玉に瑕である。)終楽章で時にヴァイオリンが切々と歌うのを聞いてバーンスタインがマーラーはもちろんブラームスでもやっていた「弦が泣いている」(坂田三吉風)を思い出した。少々やり過ぎという気もするが、あるいは9番では許されるのかもしれない。

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交響曲第7番ホ長調
フェルディナント・ライトナー指揮ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団
78/10/08
WEITBLICK SSS0057-2

 トータルタイム70分23秒。HMV通販サイトの宣伝文は「70分を超える、ゆったりとした風格の名演です」と結ばれている。が、トラック4の末尾には40秒強の拍手が収録されているから、実際の演奏時間は70分を切っている。執筆者がちゃんと聴いていないのは明らかだ。というのは揚げ足取りで、もちろん私の好むところではなく(?)、それ以外の記述には異を唱えたくなるところはなかった。ラス前の文章「美音の連続と無理のないオーケストラ・ドライヴに大家のゆとりを感じさせるブルックナーに仕上がっています」はまさにその通り! 69番では几帳面さが前面に出ていたが、この7番では実に大らかな演奏を聴かせてくれる。といって大雑把にもなっていない。(数ヶ所トチっているのを確認したが、これは奏者の責任である。)緻密さとスケールの大きさとを無理なく共存させているのは紛れもない名指揮者の証である。
 そういえば、許光俊は同サイトへの連載「言いたい放題」第44回の「ヴァントとライトナーに耳を洗われた〜バイエルン放送響のライヴ」(2004年12月10日)にてライトナーのハイドン(交響曲第6〜8番)を採り上げたが、その出だしは「意外なのは(失礼)、ライトナーがたいへん好ましい演奏だということだ」であった。それがライトナー覚醒の切っ掛けとなったらしく、以降許はたびたび彼のディスクや演奏に触れるようになっている。当盤についても「犬」通販の発売日(2005年12月17日)の前に試聴したらしく、12月6日付の批評「テンシュテット、ライトナー」にて「このブルックナーも発掘するに値する魅力的な演奏である」などと賞賛していた。既に他所(テンシュテットの目次ページ)で当盤購入を見送ると書いていた私だが、それを読んでそそられていたため発作的にカートに入れた。が、しばらく経って思い直したため削除した。(もし送料無料だったら思い留まることなく注文確定させていただろう。)数日後に再び入れたものの迷った挙げ句に出す。年を挟んでこれを数回繰り返した。(そういえば、「かつて自分が思い入れていた対象を思い出すのは実に楽しいものである」から始め、「思い入れては思い出す。思い入れては思い出す。僕はこんな風に入れたり出したりを繰り返している内にいつしか気持ちが良くなってしまうという人間なのだが・・・・」などど音楽エッセイに書いていたのは野中映だったか?)ようやく発作が治まり、安売りを(1000円を切るまで)待つぞと改めて決意した矢先のこと、2006年3月末の東京出張時に「渋谷組合」で1575円の中古を買ってしまった(ガクッ)。私の意志の硬度というのは所詮その程度(滑石並)である。
 ここで許の評に戻ると、第1楽章こそ「もう少し毅然としたところがあっていいと思われる」と批判的だが、以降の楽章は賛辞で彩られている。アダージョの「音量を増し、クライマックスが形作られるときであっても、欲でギラギラしたりしない。音楽は自ずと膨らんでいくだけだ。ともかくいかなる作為もあざとさも見せず、音楽の一瞬一瞬を心ゆくまで味わいながら淡々と進んでいく。」は見事に的を射ている。ちなみに先述のハイドンでも許は「ヴァントに比べるまでもなく、実にくつろいだ演奏である。ほとんど無策という感じの。ところが、その緩み加減が絶妙なのだ。早過ぎも遅過ぎもないテンポで音楽は流れ、巧まずとも平和でのどかな空気が広がる。」と同じようなことを書いていた。ここで少し脱線。
 某掲示板にて「ヴァントのブルックナーは決してインテンポではない」「一小節ごとに伸び縮みしている」という書き込みを(彼のスレだったかブルックナー関係のそれだったかは憶えていないが)目にして、「へぇー、そうなんだぁ」と意外に思ったことがある。聞く耳を持った人にはそう聞こえるのかもしれないが、トーシローの私は気が付かなかった。「聞き手に『解釈』と感じさせてはいけない」というヴァントの目論見は見事成功を収めていた訳である。当サイトのブルックナーCD評も第4コーナーを回り終え、最後の直線も既に残り200mの標識を通過してゴール板が視野に入ってきたが、ようやくにして思い当たったことがある。いろいろと工夫を凝らしながらも作為を感じさせない演奏と本当に何もやっていない演奏。ディスクを聴いて両者を正確に識別するのは不可能に近い。(生演奏に居合わせて初めて「こんなことやってるんだ」と判ることも確かにあるのだろう。なのでコンサート評も決して軽んじてはいけないと今更ながら気が付いた。鼻持ちならぬ自慢話はもちろん別だが。)だから、主観でどちらかに帰属させるような真似は断固慎むべきである。当盤についてもひとまずは「自然体の演奏」と位置づけておくのが賢明というものだろう。何にせよ、許が褒めた第2〜4楽章のみならず第1楽章も私は大いに気に入った。既に述べたような吹き損じやアンサンブルの乱れ(例:アダージョのハ長調部分=10分42秒以降で縦の線がずれる)といった傷は少々あるものの、調子の外れたマヌケ音は聞こえてこないため許容範囲。これは録音もそうだが、パートバランスが優れているお陰だろう。また、どの楽器も響きの薄い部分で汚い音を立てたりしないのも非常にありがたい。それどころか朴訥とした木管による掛け合いの美しさは格別である。この曲ではテンポ設定さえ適切に行われていれば、特に並はずれた技巧や馬力を備えたオケでなくとも名演を成し遂げることはできるという良き見本だと思う。シューリヒト盤で聞かれたハーグ・フィルの鯣戦法(噛めば噛むほど味が出る)はここでも健在であった。

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