交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
90/10
Deutsche Grammophon POCG-4151

 アーノンクールの目次ページに書いたように最近のアバドに対する私の評価は「良くも悪くもなし」だが、大昔にレンタル屋で借りて聴いたVPOとの「ハンガリー舞曲(全曲)」、およびLSOとの「ラヴェル管弦楽曲集」「展覧会の絵」は本当に素晴らしかった。現在のところ、ブルックナー以外のCDとしてはプロコフィエフ「アレクサンドル・ネフスキー」他(計3曲)とヤナーチェク「シンフォニエッタ」(ドラティのコダーイ2曲と併緑)という2枚が残っているだけである。中古屋で買ったブラームスの交響曲全集は全く気に入らなかったので直後に手放してしまった。
 浅岡弘和がこの演奏を「ウィーン・フィルの『ロマンティック』としては最美のもの」と絶賛していたのが記憶の片隅にあったため、東京出張の際に中古屋(確か渋谷のレコファン)で購入。期待して聴いたが裏切られなかった。当盤はVPOによる4番としてハイティンク盤、ベーム盤の次に入手したが、確かに美しさでは群を抜いている。(後に買ったモノラル&改訂版のクナッパーツブッシュ盤は同列には論じられない。)第1楽章1分48秒の柔らかな響きで名盤を確信した。極上の羽毛布団にくるまれたような心地よさ、と言いたいところだが、私にはその経験がないので、干したその日のフカフカ布団で眠るような、としておこうか。トゥッティで「ヴァン」と鳴った後の残響、小刻みに動く弦や木管ソロの音色、などなど溜息が出そうなところを数え上げたらキリがない。ベームやハイティンクが振った時よりも明るい音に聞こえる。(どことなくヨッフムやブロムシュテット&シュターツカペレ・ドレスデンの演奏と似ている気がする。)このような音色にはベームやハイティンクのような粘っこいテンポよりも、ちょっとばかり駆け足の方が相応しいと思うし、そのお陰でアンサンブルが緩いと感じるところもない。とはいえ、22分以上かけている終楽章も決して悪くない。基本的には快速テンポなのだが、落とすところでジックリ腰を落とすのである。この楽章ではテンポの極端なコントラストもマイナスにはならず、それが幸いしているようである。コーダはチェリ&MPO盤から「ザンザンザンザンザンザン」を抜いたような感じである。
 下の7番にはいろいろと文句を付けている。リズムや基本テンポがハッキリしていないため印象がぼやけてしまっていると感じたのだが、この4番ではそういった欠点が全くといっていいほど感じられない。他に理由が思い付かないが、指揮者と曲の相性の良さで片付けてしまっていいのか?

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交響曲第7番ホ長調
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
92/03/30〜04/03
Deutsche Grammophon POCG-1750

 浅岡弘和が4番と並んでこの7番DG盤を名演と評していたのが記憶の片隅にあったため、ネットオークションで入手した。送料込み890円という出品価格で落とせたので安い買い物ではあった。期待して聴いたが、「裏切られた」とまでは言わないまでもクエスチョンの多い演奏だと思った。(1日違いで入手した小澤盤が素直に演奏に浸れたのとはエライ違いだ。)
 まず録音が4番に比べると明らかに悪い。抜けが悪く音がこもっている。響きはしばしば混濁し、ティンパニの打撃音が分離して聞こえないこともあった。 特に第1楽章終わりでは、モヤモヤした響きの中から時々「ボコッ」と低音が飛び出してくるように聞こえてストレスが堪った。(ラジカセで聴くとそんなに酷くないが。)演奏自体もリズムが弱くフレージングがハッキリしない。「1234」の4拍目が終わらない内に次の1拍目が始まっていると聞こえる箇所がいくつかあった。といってジュリーニのような「歌うような演奏」とも違う。テンポの変え方が曖昧(曲想の変わり目でガラッと変えない)なので、基本テンポが解らない。そういえばアバドの次の録音となった5番について、「少々変わった演奏で物議を醸した」と書いていた浅岡は、オケの荒さ(彼は「らしからぬ」と書いていたが、「いかにも」ではないか?)を指摘するとともに、フィナーレの最後の金管を抑えることによって普通は聞き取れない木管を浮き立たせた新解釈(←ミスターSのようだ)が評論家泣かせであると述べていた。そうなると、この曲でもありきたりには終わらせたくなかった指揮者がいろいろと考えて演奏したのではないかと想像するが(ベートーヴェンの第9でも新校訂版を使ったらしいし)、それが実を結ぶまでには至っていないように思った。
 その後しばらくの闘病生活から復帰して録音された9番のネット評もイマイチだったし、「名曲名盤300NEW」で90年録音の4番に唯一点を入れた根岸一美の「アバドがブルックナーの交響曲との取り組みの中で、おそらく最も幸福な一致を見い出した、今のところほとんど唯一の例といえよう」はアバドのブルックナー演奏に対する評価として今でも通用するかもしれない。(それにしても歯切れの悪いこと甚だしい文章だ。「おそらく最も」「今のところ」「ほとんど唯一の」のような中途半端な言い回しばっかり。)

追記
 カーステレオで聴いたら第1楽章ラストのティンパニもちゃんと聞こえたし、全体的にも録音は決して悪くないように思った。これだから再生装置は、そして録音評はコワイ。ただし、第2楽章のハ長調で現が「ソファファミミレレドラ♭ドドレレミミファ」と弾く部分では、ヴァイオリンとバックの金管がズレて居るように聞こえた。あるいはこれもマイクの位置による時間差かもしれない。いずれにせよ、評価の難しいディスクである。

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交響曲第5番変ロ長調
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
93/10
Deutsche Grammophon POCG-1943

 上記のように浅岡弘和が泣かされたと思しき演奏を収めているが、例のB級評論家は自著で当盤を「B級」呼ばわりしている。(共感を覚えてのことだろうか?)彼は「中音域がスッポリ抜けた演奏は、お年寄り向けの聴覚診断のテスト音源には最適ゆえ全国の保健施設に無料配布されるかもしれない」などど述べていた。ところで先日(2007年6月11日)、スクロヴァチェフスキによる5番第4楽章の終わりで(他の演奏では埋もれている)フルートがハッキリ聞こえることについて某掲示板(ブル5スレ)に疑問が出され、(「スクロヴァ、わりとこういうダイナミクスの調節をしてトゥッティでは聴こえにくいパートを目立たせるね」といった意見交換がしばらく続いた後に)「アバドも同じ」というレスが付いた。そういえば先述のB級評にも「フルートの類は異常に突出させ」と書かれていたから、両指揮者の解釈には似通ったところが少なくないのかもしれない。(ただし、件の著者が別の本でミスターSの録音を「とくに4楽章は異様」と評しながらも「その厳しい譜読みから描き出される独特な解釈」とフォローしていたのに対し、アバドについては「変なことをやりまくっている」といった否定的コメントに終始していたのはいかにも彼らしいといえる。)とはいえ、私はアバドのブルックナーは2枚で十分と思っていたから、たまにヤフオクで見かけてもスルーするのが常だった。ところが、送料込み800円の出品に(どうせ高値更新されるだろうと思いつつ)ちょっかい入札したら、何とそのまま終了してしまった。(よくあるパターンだが、メジャーレーベルの国内盤では珍しいのではないか?)
 試聴前から先入観を植え付けられてしまったため、先に件の終楽章のエンディングを聴いてみることにした。確かに23分04秒のフルートは仰天もの。ミスターSも完敗である。しかしながら、改めて通しで再生してみたら「ありえなーい」と叫びたくなるほど強烈な解釈は他になく、全体としての印象は「相当に軽量級ながらも決して奇妙奇天烈な響きではない」といったところである。むしろ第1楽章冒頭でノロノロの序奏とイラチ加速後のスタスタテンポによる主題提示部とのギャップに驚かされた。冒頭だけ聴けば80分超は間違いなしと思うが、実際には72分弱である。ここまで極端なのはあまり例がないのではないか? 以降も伸縮を繰り返すが、テンポ設定が適正であるとはどうしても思えない。この点だけでも珍盤奇盤の資格ありということになろう。加えて全奏で低弦がほとんど聞こえないことに対しては、(前言を翻すようだが)さすがに首を捻らざるを得なかった。主旋律を受け持っている時にはそれなりに鳴っているから、これは楽員の手抜きというよりは録音上の問題のようだが、どうしてこんな調整をしたのだろうか? 指揮者とエンジニアのどちらの嗜好によるのかも定かでないが、お陰で当盤の明るさは比類がない。ガラス張りを多用することで太陽光を積極的に採り入れ、暖房に使うエネルギーを節約できるように設計されたベルリンの国会議事堂を彷彿させる。(吉成順による解説中の「しばしば大寺院の伽藍にも例えられてきたこの曲の、従来のイメージを一新する演奏といっても過言ではないだろう」という一文からこれを思い付いた。)環境問題が顕在化しつつある現代における模範的演奏として、将来世界中の行政機関に無料配布されるかもしれない。(結局自分も茶化してしまった。)

おまけ
 環境問題で思い出したことがある。本ページに繰り返し登場してもらった音楽評論家が少し前に自身のブログで「地球温暖化は大した問題ではない」などと述べていたのを見たことがあるけれども、彼はNEWTON2007年8月号の特集「地球温暖化最新レポート」や
ここにあるファイルなどを読んでも同じことが言えるのだろうか?(とにかく温暖化の幅以上に厄介なのはスピードである。原因が何であれ、過去に地球上で急激な気温変動が起こった際には決まって生物の大量絶滅が起こったのではないか。)私は環境関係の学部に所属しているものの専門は作物の栽培(農学系)なので、例えば(しばしばバトルを繰り広げているらしき)明日香と槌田のどちらの主張が正しいかについては明言を避けたいというのが本音だが、もし地球の平均気温が現在より3℃以上も上昇するような事態になれば、食料生産に及ぼす数々の悪影響がメリットを大きく上回ってしまうのはほぼ確実であると考えている。

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