交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
飯守泰次郎指揮東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
01/01/18
FONTEC FOCD 9149

 大変失礼なことであるが、某掲示板にて経歴(コンクール受賞歴)詐称等を理由に「セミプロ」扱いされていた指揮者との比較対照スレッドを読むまで2人をゴッチャにしていた。(その後も「たいじろう」は「いいもり」で、「のりちか」の方は「めしもり」だと勘違いしていた。両者の姓の読みが同じであると知ったのはごくごく最近である。)
 この指揮者については、「ブルックナー・ザ・ベスト」の合同企画者のうちの1人、N氏が東京シティ・フィルとの録音第1弾となった4番を推していたので前々から気になっていた。HMV通販の紹介文には「第4楽章に打楽器を追加するなど、実際に鳴り響く音を構築していく『真のマエストロ』のみが可能な演奏を繰り広げています」とあるが、浅岡弘和によると終楽章では改訂版由来のシンバルのみならずグロッケンシュピールまで使っているという。(展開部の強奏部で森の中の迷いのような童話的な響きを創り出すための飯守独自の新機軸らしい。)これは聴かずばなるまいと思っていたのだが、私は通常価格の国内盤にはもはや手を出す気がないし、ネットオークションでは2000円が相場のようで、それ以下だった試しがない。それで見送っていたところ、ある日3番が700円で出品された。「高値更新→自動入札による再更新→再度入札」を5サイクル繰り返してとりあえず「最高額入札者」には躍り出たけれども、本気で落札しようとは考えていなかったため上乗せは一切しなかった。ところが、その後競争者が現れなかったため落ちてしまった。諸経費込みで1100円弱なので安い買い物だったが。なお、この演奏は浅岡が今世紀に初めて聴いたブルックナーだったそうだが、「オケの状態は頗る良く、シャープで澄み切った響きが素晴らしい」「フォンテックから6月発売予定のCDは『第三』の代表的な名演の一つとなるだろう」などと自身のサイトで絶賛している。ゆえに期待を抱きつつ試聴に臨んだ。
 第1楽章序奏では弦の刻みが耳に付くが神経質というほどではない。どちらかといえば抑え気味だが、40秒過ぎから最小音で加わってきたティンパニが陣頭に立って徐々に激しさを増していく。極めて劇的なやり方だ。最近入手したD・R・デイヴィス盤と比較すれば音量増加直線の傾きこそ大きいものの、テンポに一切変更を加えていないのだから基本的に同じ解釈といえる。そして、これは「ブルックナー指揮者」として一流であることの証でもある。(ただし、少々モタモタした感じなので「なんとなく」盛り上がっているように聞こえてしまうのは痛い。)最初の主題提示(0分55秒〜)よりも2度目(3分02秒〜)の方が壮絶さを増しているが、こういうドラマティックな演出も好ましい。テンポを小刻みに変えてはいるものの、あざとさは感じないから十分考え抜いてのものだろう。ということで指揮者の解釈については文句を付けるところは特にない。問題はオケの方である。東京シティ・フィルといえば黛敏郎時代の「題名のない音楽会」(司会者交替以後はほとんど観ていない)でしょっちゅう聴いていたが、私は響きの薄さが気になって仕方がなかった。その不満が噴き出したのである。
 第1楽章中間部では10分22秒でいったん歩みを落とし、10分40秒から少しずつ加速してクライマックスへの持って行く。私の嫌うテンポいじりではあるが慎重なやり方だから気に触らない。ここでも指揮者はいい仕事をしている。が、肝心のクライマックスがちっとも盛り上がらないことに苛立ってしまった。ここに来てハッキリしたが、原因は弦にある。音が痩せているのだ。(宇野の4番ページに書いたが、私が大学院生時代のバイト中に聴いた学生オーケストラの貧弱な音と根っこでは繋がっているかもしれない。)その結果ティンパニとブラスの頑張りだけが耳に付き、全体としての厚みが不足しているように聞こえる。(刈り取りが早すぎたり登熟の最終段階での天候不良が災いして胴張りが不十分となった米を思い出した。見かけこそ立派だが炊くと実に不味い。)もっともこれは先述のTV番組やNHK-FM日曜午後の「FMシンフォニーコンサート」(やはり直純さんが出なくなってから聴く気を喪失)で耳にした他団体でも同様だったから、日本のオケに共通する欠点なのかもしれない。(ただし朝比奈&大フィルは荒々しさを全面に出していたゆえ、少なくとも3番演奏ではこの種の弱さをさらけ出さずに済んでいた。)そういえば浅岡のサイトには「エキストラも使ったコントラバス八台の大編成オケによる演奏」とあったから、飯守はそれをちゃんと分かった上で補強していたということも考えられる。にもかかわらずこの体たらくというのが不可解だが、もしかすると真の元凶はデッド気味の録音にあり、生で聴いたらこのような物足りなさは覚えずに済んだという可能性はある。
 このように大音量時には鳴りの悪さが気になって仕方がなかったが、アダージョにはそういう箇所が少ないこともあって繊細な表現を堪能できる。スケルツォもティンパニの歯切れの良さが快い。この楽章を最も高く評価しているネット評をどこかで見たが私も同感だ。終楽章では丹念な仕上げを心懸けた形跡は認められるものの、冒頭1分強をはじめとして時に金管&打楽器大会になってしまっているのが残念だ。それ以上に気になったのが強奏時における響きの混濁である。こちらは決して録音だけに帰することができないと私は思う。パートバランスが悪いのか音程が微妙に狂っているのか? なのでHMV通販のユーザーレビューにあったコメント「名前をふせられたら日本の指揮者とオケの演奏とおそらく思えないのでは?」には異を唱えたい。とはいえ全曲ラストは圧倒的であり、非常に感動的である。使い回しだろうが、アラ探しを好まない聴き手にとっては「名盤」の資格十二分にありといえるのではないか。

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交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
飯守泰次郎指揮東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
98/05/28
FONTEC FOCD 9130

 上で触れた4番を2007年末にヤフオク経由でゲットした。700円というお手頃価格による出品だったが、油断大敵と考え、そこそこ上積み(約5割増)しておいた。が、幸いなことに「上がりしろ」はあまり使わなくて済んだ。
 まず受け取った品を昼休みに(摘み食い的に)自室のCompanion3(BOSE)で聴いた。ブラスの炸裂やティンパニの連打にも節度がある。しかしながら迫力不足と感じるようなことは皆無。既に散々使い古した言い回しながら、パートバランスの調節および基本テンポの設定が適切そのものだからである。ここでも飯守のブルックナー指揮者としての実力に疑いを挟む余地はない。また響きが薄いと聴いたのは上記3番と同様ながら、必ずしもゴリゴリ感を押し出さずとも良い(しなやかスタイルでも成立する)曲なので致命的欠点とはなっていない。
 ところで、私は入手前に「グロッケンシュピールまで採用しているからには改訂版ベースの演奏に違いない」と予想していたのだが、それは大ハズレであった。スケルツォの言語道断級カットはもちろん、気に触るようなケッタイな響きも聞かれず、帯やケース裏、そしてブックレットに記されている通りの「ノヴァーク版に基づく」演奏である。ちなみに飯守自身による解説によると、ヨーロッパにおけるブルックナー演奏では(オーケストレーションの細部の変更など)指揮者による独自な解釈が施されることはままあるらしく、それゆえ当盤でも "ノヴァーク版IV/2" に直観的な判断としていくつかの変更を加えたということだ。その一例がグロッケンシュピールという訳である。
 おそらく前例はないだろうし、私もそれなりには期待していた。もしかすると、あの三種の神器(シンバル、トライアングル、ティンパニ)による騒々しいこと甚だしい7番アダージョのクライマックス(もちろんハース版は該当せず)をも上回るほどの超ド派手な響きが聴けるのではないかと勝手に思っていたのである。が、実際には終楽章の後半(12分33秒〜と42秒〜)に「チンチン、チンチン、チンチン、チンチン」と控え目に鳴っただけ。見事はぐらかされた。だいたいあそこはカラヤン(ただし75年盤)あたりがティンパニを力強く叩かせている場合ですらウッカリすると聞き流してしまうほど地味な箇所ではないか? どうせ新規楽器による新奇趣向を示すのであれば、この楽章の最初のクライマックスでシンバルと一緒に乱暴狼藉を働かせてほしかったというのが偽らざる気持ちである。もっとも、あくまで原典版遵守のスタンスで臨んだ飯守にとっては即刻却下ものだろうが・・・・(追記:先日ヨッフムの65年盤を聴いていたところ、今更ながら同箇所で鉄琴が鳴っていることに気が付いた。やはりそれくらい地味ということである。)
 少し戻るけれど、むしろ耳を引いたのが第1楽章中間部のコラールである。改訂版のアイデアを採り入れ、10分55秒のピークではティンパニを加えている。ここの豪華絢爛さは各種BPO盤(先述のカラヤン75年盤の他、ムーティやヨッフム)にも決して引けを取っていなかった。直前で大胆不適なるクレッシェンドを付けているためである。同様のケレンはケンペあたりもやっていたはずだが飯守の表情の付け方は非常に繊細であり、心底感心した。ここに限らず、当盤から感じられたのは仕上げがとにかく丁寧であること。その点では少し前に買ったズヴェーデン盤やフォンク盤にも匹敵すると思う。ということで、演奏(器楽部)だけをとってみれば紛れもない一級品なのだが、惜しいことに製品としては疑問符を付けざるを得ない。これから述べる。
 既に職場でも違和感を抱いていたが、帰宅後(就寝前)にWave Music System(やはり坊主)で試聴した時にはそれが全開となった。付加された声楽パートが原因である。言うまでもなく指揮者が発しているのだが、まさか曲全体に散りばめられているとまでは思っていなかった。(これも「実際に鳴り響く音」を想定してのことだろうか?)どうやら小音量での使用時でもバランスの取れた豊かなサウンドを楽しむことを可能にするらしき「P.A.P.回路」が人の声を増幅してしまうようである。(車のオーディオも含め他の装置ではさほど気にならない。)これが「えー声」だったらまだしも、しゃがれ声(唸り声よりは呻き声に近い感じ)なのでとにかく気味が悪い。枕元で聴いている内に(あのデルマンの9番と同じく)いつしか寒気がしてきた。そのまま眠ってしまったら悪夢を見るのが避けられそうにないため再生中止。ということで、総合的に評価するならば上位ランクインは無理である。あとは八つ当たり的暴言と脱線を繰り広げて終わる。
 それにしても全曲にわたって呻き続けるとはいくら何でもあんまりである。私が販売サイドの人間なら間違いなく「トータル69分のカラオケ」というキャッチコピーを付けたくなるはず。(絶対売れんだろうが。)ところで唸る指揮者の代表格といえば「炎のコバケン」こと小林研一郎であるが、いっそのことオケをバックに堂々と歌ってみたらどうだろう? たしか「題名のない音楽会」出演時に披露していた話だと思うが、東欧での「第九」演奏会の本番直前にテノールが失踪したため、やむなく代わりに歌ったところ大喝采を浴びたそうである。そして、実のところ彼はそのエピソードにも十分納得できるほど見事な声の持ち主である。(リハーサル時にあの美声で、しかも例の丁寧口調で「よろしくお願いします」と頼み込まれたら楽員達もなかなか嫌とは言えないだろう。そういえば、ホルスト・シュタインもあの風貌とは似ても似つかぬ見事なテノールだった。ドヴォ8第1楽章冒頭のフルートの旋律に合わせて名唱を聴かせていたのを「N響アワー」で観たことがある。)なので「炎のコバケン、大いに歌う」という謳い文句のCDを発売すれば・・・・少なくとも私は買うぞ。

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