交響曲第5番変ロ長調
アイヴァー・ボルトン指揮ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団
04/04
OEHMS CLASSICS OC 364

「クラシック音楽界の掛布雅之」

CDジャーナルの新譜紹介コーナーに掲載されていたジャケット写真を見て、失礼ながらそんなキャッチフレーズを思い浮かべてしまった。薄くなった頭、そしてニヤッと薄笑いを浮かべた表情から何となくあの野球評論家を想像したのである。(同時に例のしゃがれ声も脳内に響いた。)その記事もかなり好意的だったし、ネット通販でも1000円しなかったはずだが手を出す気にはならなかったのは、もちろん掛布が嫌いだからではなく、指揮者のことを全く知らなかったからに過ぎない。(現在も英国人であるという以上の知識は持ち合わせていない。)後に東京出張した際に中古屋で(たしか)600円だったので買った。顔写真をジックリ見たら掛布とはちっとも似ていないし、ブックレット内のモノクロ写真は完全に別人である。
 モーツァルテウム管なら(古楽器使用のヘレヴェッヘやノリントンのようにピッチこそ低くないものの、同じく)小編成によるスッキリ演奏だろうと予想していたのだが見事に外された。HMV通販のユーザーレビューにも出ていたが、たぶん増員しているのだろう。しかしながら、下手糞なエキストラに足を引っ張られたというようなことは決してなく、完成度は非常に高い。要所での馬力と演奏の精度とを両立させているのは立派だ。伏せられたまま当盤を聴いてオケ名を言い当てることのできる人間は多くはなかろう。
 が、そのことが逆に「強烈な個性に欠ける」として難癖の付けどころにもなりうる。暴れん坊型指揮者のように中間部のピークやコーダの前で猛烈に加速するような真似はしていない。第1楽章13分過ぎの弦のピチカートが駆け足だったこと、およびピチカートがサポートする第2楽章8分40秒から9分24秒までの加速以外、特に印象に残るような解釈は聞かれなかった。(むしろ、このように小音量部分で軽快さを強調するのがボルトンの好みなのかもしれない。)また、トータル70分ちょっとの快速演奏ならば、音色にもうちょっと透明感が欲しいところだ。そうなると当盤は入門用としては全く申し分ないものの、「数あるコレクションの中から今日はこれを聴いてみよう」と思わせるほどの魅力は備えていないということになるだろうか。とはいえ、若いうちから変にイロモノに走ってしまっていないのは評価すべきことかもしれない。終楽章コーダの堂々たる締め括りは今後に期待を抱かせるに十分である。頭の方も掛布とどっちが先に進むのか注目しよう。(←もおええっちゅうに!)

おまけ
 このコンビによる7番国内盤が4日後(2006年5月26日)に発売される模様であるが見送る。OEHMS CLASSICSは国内盤と輸入盤の価格が極端に違う(後者のセール時には2倍以上に開く)のでやむを得ない。

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交響曲第7番ホ長調
アイヴァー・ボルトン指揮ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団
06/02/07
BMG (OEHMS CLASSICS) BVCO-38048

 5番評の「おまけ」が例によって嘘八百になってしまったので、弁明(入手に至る経緯)から書くか。
 それにしてもOEHMS CLASSICSの国内盤の価格設定には首を傾げない訳にはいかない。現在進行中のスクロヴァチェフスキ&ザールブリュッケン放送響によるベートーヴェン全集は何で1枚2100円なんだ? ブル全は1575円(2枚組の8番のみ2100円)だったというのに。こんな不条理な値上げは到底認め難い。(さらに言えばArte Nova時代は1050円だったではないか! 欲ボケ老人が高額ギャラを吹っ掛けたため交渉決裂→移籍の運びとなったのでは、などといらんことまで考えたくなるのは私だけか?)他に1890円という品もあるようだから、もしかすると音楽家の格によって価格を決めているのかもしれん。  輸入盤にしても不可解だ。ボルトン&モーツァルテウム管のブルックナーは第1弾の5番が「犬」通販で1000円を切っているというのに、後発の7番はマルチバイキャンペーン税込価格でも1300円近い。何にしても売り値に納得できなければ買わないだけのこと。それが嗜好品というものである。そう割り切っていたのだが、ある日Yahoo! オークションで700円で出ていた当盤にちょっかい出し、そのまま落ちてしまった。(結局またそれかい。)未開封の見本盤ではあるが、送料と振込手数料を入れても野口さんでお釣りが来るし、日本語解説から指揮者とオケの情報が得られるというメリットもある訳だから、まあ良しと考えることにした。(なお、この出品者は他にもサンプル盤を大量に出品していたが、横流しの是非はともかく、美味しい思いができる=新譜がロハで聴けるのは羨ましい限りだ。)
 さて、当盤ブックレットには「英国人指揮者が開くブルックナーの新世紀」と題する解説が載っている。(執筆者の田中成和はCDジャーナルでもしばしば目にする名前だが、この人の文章からは常に誠実さが感じられるし「アタリ」が多いという印象もある。今後に期待する数少ないクラシック評論家の一人だ。)その終わりで筆者はオケの規模について触れ、「モーツァルテウム管弦楽団」の名前からはコンパクトな(モーツァルトの交響曲程度の)オーケストラを想像してしまうが、実際にはフル編成の団体であることを指摘している。それはメンバーの写真や一覧表(当盤のレコーディングに参加したのは68人)からも確認されるとあるが、そうなると上記5番評で私が述べた「増員」云々が見事に的を外していたと認めざるを得ない。だたし、「ボルトンが英国流にチューニングのぴたりと合ったアンサンブルをつくりあげて、その音楽性をさらに深めることに成功した」という分析の通りであるならば、見透しの良いクリアなサウンドを聴いて小編成と錯覚してしまうのも無理はないということである(逃げ道を作ってくれた田中に感謝)。と、またしても弁解になってしまったが、ようやくにして本題のディスク評に入れそうだ。
 実際のところ、当盤の透明感は他に並ぶ演奏が思い付かないほどである。レーグナー盤やヘレヴェッヘ盤よりも上か? 5番では迫力不足と感じなくもなかったが、この曲でひとまず(後述)その心配はない。解釈もアッサリ(加減速は全て許容範囲内)で変なところで粘ったり駆け出したりしない。響きとテンポの関係把握もしっかりできているということだ。ただし、このスタイルならハース版をハース版的に(ワルター盤のように起伏を最小限に抑えて終始淡々と)演奏すれば響きの美しさがさらに際立ったのではないかと惜しまれる。また後半2楽章はさすがに薄味に過ぎる。要所でティンパニや金管がもう少しスパイスを利かせていれば印象は違っていたかもしれない。とはいえ、前半の見事な仕上がりだけでも名演の資格は優にある。このコンビによる349番も聴いてみたい。

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