「醜い証明」の代表格はコンピュータによって証明された「四色問題」であろう。コンピュータを使用して白地図を約2000通りのパターン(後に数百通りにまで整理された)に分類し、それらが全て4色以内で塗り分けられることを確認したのである。いわば「虱潰し」「力づく」(←「力ずく」が本則だと言われてもねえ)の解法である。対談「数学大明神」にて森毅は「あれ、ひどいもんなあ」「『あんなのは証明と認めたくない』って人がいまでもいるね」と述べ、安野光雅も相槌を打っていた。ちなみにWikipediaによると、当時の最高速スーパーコンピュータでも1200時間以上かかったそうで、「若干揶揄を込めて『エレファント(象)』な証明とも言われた」とも書かれていた(山田君座布団1枚)。一方「美しい証明」はいくらでも出てくる。「ピタゴラスの定理」でも「三角形の内角の和は180度である」でも。それまで自分が知らなかったエレガントな証明を目にした時はついつい心が躍ってしまう。

 本文でも度々引き合いに出しているが、私は「数学オタク」かもしれない。この際だから思いつくまま書いてみたい。
 決して得意科目ではない。小中の算数・数学はそこそこできた。(が、あんまり興味は湧かなかった。)私は高校に入ってからは(も)ロクに勉強しなかったから、定期試験はもちろん実力テストでも学年順位は常に三桁だった。ただし数学Iだけはなぜか点数が良かった。初めて習った三角関数や対数にも十分対応できたし、終盤に出てきた確率はダントツの面白さだった。(中学時代から例外的に大好きで、自己流の計算方法を編み出していたほどである。教科書で教えている方法よりずっと楽だったが、それを答案に書くと決まって減点された。)今でも何かあると全く利益ももたらさないことを知りながら順列・組み合わせと共に求めて楽しんだりしている。ところが、IIBになると俄然つまらなくなってしまった。数列と幾何はまあ良かったが、極端に面白味の感じられない分野が登場したからである。それは行列と微分積分で、特に前者は何でこんなものをやらされるのかと腹が立つほどだった。(大学の教養課程の線形代数学も行列式の計算が主だったから苦痛だった。)数学IIIは微積分が半分近くを占めていた。こちらは嫌いではなかったが苦手で、いくら注意していても計算途中で間違ってしまう。(偏に私の大雑把な性格のせいである。)それで成績は全く振るわなかった。一応理系クラスに属していたが、どちらに進もうかギリギリまで迷っていたのはそのせいでもある。大学でも単位を取るために最小限勉強しただけである。(ただし、この間もパズルは結構好きで、「ルービックキューブ」を筆頭に各種立体あるいは平面パズルに片っ端から手を出していた。また大学時代は世界的パズル作家、芦ヶ原伸之の本を何冊か買って難解な問題に挑戦した。余談ついでだが、不覚にも彼が数年前に亡くなっていたことを最近知った。南無阿弥陀仏。ただし、ジグソーパズルは今も昔も全く興味が湧かない。知恵の輪の類もそうだ。時間をかけさえすればいつかは解けるというパズルは、それこそ時間の無駄としか思えないからである。)
 さて、「数学って面白い」と思ったのは遅まきながら、そして恥ずかしながら20代に入ってから(南米在住中のこと)である。健康診断など年に数回首都を訪れた際、私は宿泊施設の2階図書館(帰国するに際して寄贈された本が所蔵されていた)からいつも大量の本を借りていた。読書に費やす時間は十二分にあった。哲学宗教関係の書物を読むことが多かったが、ある日、上記「数学大明神」を何気なく借りた。「延べ30時間にわたってしゃべり続け、テープが底を尽いた時に物理的に終わった(事実唐突に終了している)」という凄まじい対談を起こした本だが、最初から最後まで全く飽きることがない。各章の数字のエピソードから始まるものの途中から脱線しまくりで、それがメチャクチャ面白いのである。特に剣豪物の大講談のようなタルタリアとフェラーリの決闘(方程式の解答合戦)が印象に残っている。
 それが導火線となったようである。帰国後は矢野健太郎のシリーズもの(「すばらしい数学者」「おかしなおかしな数学者」など)、広中平祐や藤原正彦のエッセイなど見つけ次第買った。(森のちくま文庫は「エエカゲンが面白い」「チャランポランのすすめ」などほとんど人生論で専門性は皆無だが、生きる指針として役に立った。安野も「算私語録」上下2冊を読んだが、こちらの方が数学者っぽいのがオモロイ。彼は私が愛聴しているNHK-FM「日曜喫茶室」の「常連のお客様」役で、飄々とした語り口は実に味がある。ちなみに小学校教師時代に藤原を教えたことがあるそうだ。)これらは必ずしも数学関係の書物という訳ではない。(が、数学者の記したものは例外なく私には読みやすい。)
 一方、数学そのものを扱っている「BLUE BACKS」シリーズ(講談社)にもついつい手を出してしまった。最初が「フェルマーの大定理が解けた!」(足立恒雄)で、私はあれが楕円曲線の問題に置き換えられるというところで既に理解不能になってしまったが、最終章の「それにしても、単純そうなアマチュア好みの一問題が精緻難解な理論の問題へと次々に還元されて、よけいにむずかしそうな問題になっていき、最後に解かれてしまうさまは、ため息が出るような一大絵巻で、読者を唖然とさせてしまったに違いない」という結論に全く偽りはない。文句なしに愉しめた。(さらに本文で引いた「天才数学者たちが挑んだ最大の難問 フェルマーの最終定理が説けるまで」を昨年末たまたま生協で見かけたので手に取って読み始めたところ、あまりの面白さに止まらなくなりレジに持っていった。こちらは項のタイトルに「陰謀と裏切り」「嘘」などが用いられていることから想像できるが裏話満載のようである。これから読むのが楽しみだ。)次が「数学21世紀の7大難問」(中村亨)で、名前だけ知っていた「リーマン予想」をはじめ、100万ドルの賞金が懸かった未解決問題が紹介されている。こちらも問題そのものを理解するだけで骨が折れたが、やはり最後まで読み終えた時の満足感は格別だった。(うち「P対NP問題」は、大きな数の素因数分解には非常に長い時間がかかることを利用した現在のネット送信で用いられている暗号化技術がいつまでも有効か否かという我々の日常生活にも関わってくる重要問題である。)要は「内容はほとんど理解できないけれども、何やら凄いことであるらしいとは解った」というレベルなのだが、それで首を突っ込んでしまうのだから「オタク」というよりは単なる「野次馬」かもしれない。(2006年8月追記:7大難問の1つ「ポアンカレ予想」が解決されたという新聞記事を少し前に読んだが、それを証明した、あるいは証明に最大の貢献を果たしたとされるロシア人数学者、グリゴリー・ペレルマンは、既に賞金を受け取る意志が全くないことを表明していたが、数学分野で最大の栄誉とされるフィールズ賞も辞退してしまった。金銭欲も名誉欲もまるで持っていない人らしい。実際、彼の独特の風貌は仙人を彷彿させる。「ラスプーチンを思わせる」なんて失礼だぞ!)
 ここで「フェルマーの大定理」に戻る。問題そのものは古くから知っていたし、反例を見つけようとしてしばらく計算機のキーを叩き、結局諦めるという経験を持っている人は私以外にも沢山いるだろう。それだけのことであったが、ワイルズによって証明されてから少し経って、「日曜喫茶室」に藤原が出演した際(常連はもちろん恩師)、それに「谷山=志村予想」「岩澤理論」など日本人の果たした貢献は計り知れないと語った。(確か「関わった日本人は片手では足りない」とも言っていたはず。)それで興味を抱き先述した足立の本を注文したのである。
 最近買った「世にも美しい数学入門」(藤原と小川洋子の対談)でも同じ話が出てくる。ノーベル賞に数学賞部門があれば少なくとも20人は受賞していただろうと藤原は語る。(そうでないのはノーベルの恋敵が数学者だったから、という本当か嘘か判らないような逸話も紹介されている。)ついでながら、日本人に独創性がないというのは全くのデタラメ(「猿真似国家」呼ばわりしてライバルの自信を失わせようとする欧米諸国の陰謀)で、「日本人というのは、ほんとうにすごい独創性、美的感受性を持っている」という発言を私は非常に心強く思った。(ここから大幅脱線。日本人の頭脳の優秀さは同著で紹介されている関孝和や建部賢弘など江戸時代の数学レベルから既に明らかであるが、ここに私は世界に誇れるものとしてローカルながら詰将棋も加えたい。(そういえば関および建部と共に「日本三大和算家」として名高い久留島義太は「将棋妙案」百題に代表される傑作詰将棋の数々を残した久留島喜内と同一人物である。) 新聞や週刊誌の片隅に載っている練習問題の類とは全く別次元で、「詰将棋パラダイス」など専門誌に掲載されるような作品のことである。取った駒を再度使用できる、および打歩詰を禁じ手とする将棋特有のルールを利用して、信じられないほど巧妙な、あるいは奇想天外な構想が散りばめられている。一分の隙もない推理小説のようで、それらを鑑賞していると「一体どうやったらこんな手順が実現できるんだろう!」と感嘆せずにはいられない。また数百手を超える長編作品は手数を稼ぐための繰り返し部分の前後に導入部と収束が設けられており、まさにクラシックの大曲を彷彿させる。こちらも盤に並べていると、あまりの壮大なスケールに思わず溜息が出てしまう。短編長編を問わず、優れた詰将棋は紛れもない芸術作品&文化遺産である。ちなみに最長記録は1525手詰で、チェスのプロブレムのように取ってそれっきりというボードゲームでは絶対不可能な数字だ。ところで、現代の詰将棋作家はごく一部のプロ棋士を除き、将棋とは無関係の本業を持っている人達、つまりアマチュア愛好家である。先述の「詰パラ」にしても掲載料が貰える訳ではない。賞を取れば某かの賞品・賞金が出るかもしれないが、基本的には「一銭にもならない世界」である。にもかかわらず途方もない時間とエネルギーを注ぎ込む「物好き」達によって数々の名作が世に送り出されているという事実に感動を覚えない訳にはいかない。一方、江戸時代の詰将棋は「献上図式」、つまり将軍へ捧げるという目的で創作されていたが、中でも18世紀に活躍した三代伊藤宗看=七世名人と伊藤看寿の天才兄弟が作った「将棋無双」と「将棋図巧」は詰将棋の金字塔として崇められている。ともに100題からなる作品集であるが、前者はあまりの難解さのため「詰むや詰まざるや」と呼ばれ、後者はあまりの精巧さに「神局」とまで称された。伝説の類も数多く残っている。優れた作品が多数知られている現代にあっても両者を最高峰と考えている人は少なくないし、「これらを全て解いたらプロになれる」を真に受けて取り組み、本当になってしまった者も一人や二人ではない。なお宗看の作風は豪快さ、看寿のそれは優雅さが特徴である。それゆえ私は兄をベートーヴェン、弟をモーツァルトに準えたいのである。決して誇張ではない。作品のレベルの高さでは全く引けを取らないと考えているから。返す返すもローカルなのが惜しまれる。)
 その藤原先生が少し前に「国家の品格」(新潮新書)という本を出したらしい。まだ買っていないが、新潮社のPR誌「波」12月号に掲載されていた著者と山田太一の対談で概要は分かった。彼は品格の条件を4つ挙げているそうだが、そこで紹介されていた「美しい田園が保たれていること」(その国が金銭至上主義に毒されていない証)および「学問や芸術など役に立たない活動が盛んであること」(そうしたものがなく、経済だけが発展している国は、腹の底では世界中にばかにされる)は全くその通りで、今後もそのような国であり続けて欲しいと願うばかりである。続いて彼は「国民全体のセンスを上げる」手だてとして「小学校で国語教育を徹底的にやる。初等教育は一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数、あとは十以下」と説く。これを引いたのは訳がある。
 最近は小学校から英語を教えるようになっているし、今年からセンター入試に英語のリスニングが導入される。(私は運良く免れたが、その日の監督に当たった先生は苦労しそうだ。)日本人の英語力、それも会話が劣ることの対応策らしい。それ自体悪いことではないが、会話に偏重するあまり、これまで文法と読み書きの授業に充ててきた時間を削るとしたら大いに問題ありだと思う。大学入学時点でも辞書が手元にあれば英字新聞が読めるし、3回生になると(「専門外書講義」という科目でテキストとして与えられる)科学論文を、4回生はさらに専門性の高い学術論文をも理解することができる。これは実は大したことである。言うまでもなく高校まで6年間の英語教育のお陰だが、そのレベルが低下すれば大学で取り戻すとしても様々なところに大きなしわ寄せが出るだろう。(吸収力も落ちているだろうし。)また、系統的に文法を学んでいるからこそ(文学でもフォーマルな文書でも)書き言葉に対応できるのである。いくら流暢に話せてもブロークンでは所詮は日常会話レベル止まり。(現に体で覚えた私の西語がそうである。詩はもちろん小説も面白さが全然わからん。一方、英語は必要に迫られて使っている内にいつしか追い抜いてしまった。元々は苦手教科だったし、南米滞在中にすっかり忘れてしまっていたのだが。)ゴルフでも何でもそうだろうが、基礎がしっかりしていなければある程度の水準以上に到達することはおぼつかないし、「国際人」など増えるはずがない。これが杞憂に終わればいいのだけれど・・・・随分熱くなってしまっているが、ちょっとブレーキが利きそうにないので暴れるだけ暴れてから一息つくことにした。国語教育の重要性については全く同感で、下手したら先に述べた頭脳の優秀性が水の泡ではないか。英語なんかやってる場合か!どうせならポルトガル語かスペイン語にしろ。市内で圧倒的に多いのはラテンアメリカ人(1位ブラジル、2位ペルー)なんだぞ。(以上で暴走終わり。)
 国語教育に戻って、「読書に対するバリアをなくす」ことが国語力を上げる目的だという主張がまたまた説得力抜群である。(実体験や芸術や自然に親しむことも大切だが、)読書によっていろんな感受性や情緒が発達してくる。「論理性や合理性だけを追求しても、情緒が未発達だと結局は人間としても伸びない」というのが彼の持論である。(他人の言説の紹介ばかりでは能がないから、こちらで私の持論も披露するとしよう。)その例として幼い頃から数学だけに邁進し16歳で博士論文を書いたものの、その後泣かず飛ばずだったという女性数学者のエピソードが紹介される。(「自然が飛び級できないのと同じく、人間も実のところは飛び級できないのでは?」という山田に答えて曰く、「3歳児を自分に預けてくれたら5歳までに微積分を教え込むことは簡単だが、それで数学者として大成するかといえばそんなことはない」とのことである。)これに対し「日本が数学の天才をたくさん出しているのは情緒の国であることと大きく関係しており、一見無駄に見えることこそが独創性を育んでいる」と藤原は主張する。そして「美しい情緒や形に満ちた品格ある国家こそが、日本の進むべき道だと思うのです」という結論で締め括る。見事だ。(この対談だけで満腹してしまった。)
 最後に上記「世にも美しい数学入門」の相手を務めた小川の「博士の愛した数式」について少し書いて終わりにしよう。この小説の存在は以前(単行本の発刊直後)から知っていた。やはり「日曜喫茶室」に著者が出ていたからである。粗筋を聞いて面白いと思ったものの忘れてしまっていたのであるが、さっきまで触れていた「波」の同じ号の末尾「新潮文庫12月の新刊」で見て件の番組を思い出したため即座に注文した。(単に売れているとか賞を取ったという理由では私は絶対に買わない。)この小説の執筆前に小川は藤原の研究室を取材のため訪れている。(その出版後に行われた対談をまとめたのが「数学入門」である。)なので、数式や「完全数」「友愛数」など用法が正確であるのは当然としても、それらのストーリーへの組み込み方は文庫版解説執筆者でもある藤原をして脱帽させたほどに巧妙である。(ちなみに「フェルマーの最終定理」も出てくる。)そのため、博士の「80分きっかりしか記憶がもたない」という少々苦しい設定も忘れて私は引き込まれてしまった。終盤が少々駆け足で落とし方も牽強付会気味と思われたけれども、それまでを十分堪能できたのだから文句を言うのは贅沢というものだろう。この小説は映画化され、今月から公開されるという話だが、さて・・・・・(私の人生は最後に映画館に入ってから後の方がかなり長くなってしまっている。)
 結局、書評だか何だか訳の分からないページになってしまった。

2006年2月追記(上のベストセラー忌避について)
 亀井勝一郎は「青春論」の第3編「理想を求める心」(1956年1月)の終わりの方でブームについて分析している。かなりの人がブーム形式(当たるか当たらないか)によって左右されている状況を「投機性(商業主義)」と呼ぶに留まらず、「敗戦国民の不安定な生活感情のあらわれではなかろうか」と述べていた。(そういう状況が今ではさらに顕著になっているように思われるから、「不安定な生活感情」も同様と考えて良いのだろうか?)そして、「青年はこれに抵抗してほしい。およそ『ブーム』と名のつくもの『ベスト・セラー』と名のつくものは、敬遠したほうがいい。一、二年たって、一般にもてはやされなくなったころ、しずかにその実質を検討してみることだ。」と忠告していた。何事につけ素直な私は、そういうスタンスを律儀に貫いているという訳である。以前から少し気になっている養老孟司の「バカの壁」はそろそろいい頃だろうから、ブックオフで買ってくるか。

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