交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」(ノヴァーク第2稿および第3稿)
ヨハネス・ヴィルトナー指揮ウェストフェリア・ニュー・フィルハーモニー管弦楽団
01/10〜02/02
Naxos 8.555928-29

 来月(2006年10月)に予定しているマドレデウス(ポルトガル語圏の音楽)のページ作成が何とか軌道に乗って余裕ができたため、ブルックナーのディスク評執筆に充てることにした。実は新規に入手したものが既に4種類、さらに注文中の品も何点かあり、このまま手を付けずにいると夏休みの宿題を溜めに溜めていた小学生と同じく泣きを見ることが確実視されたからである。
 ノヴァーク版第2稿および第3稿による演奏をセットにしたこの廉価2枚組のリリース情報は得ていたものの、特に興味が湧かなかったため放っておいた。けれども先月ヤフオクにて600円で出品されていたのを「どうせ高値更新されるだろう」と高をくくって入札したら結局そのまま終了。(私はブルックナーのディスク評執筆が一区切り付いたらプレミアム会員の資格を停止しようと考えていたし、事実そうしているのだが、キャンペーン期間ということで1年間は会費を払わなくてもオークションに参加できてしまうのである。痛し痒しだ。)メール便(160円)で送ってくれる馴染みの出品者だったので、かんたん決済の手数料を加えても888円(1枚当たり444円)とお買い得である。これで内容さえ良ければ万々歳であるが・・・・
 ところでヴィルトナーは実は初稿も録音しており、SonArteというレーベルから3枚組(SP 20)で出ているらしい。Naxosが初稿を落とした理由はよく分からないが、自社の目玉商品であるティントナーの全集で3番(と8番)が初稿を使用していることから、そちらの売り上げに悪影響を及ぼさないように配慮したのかもしれない。ついでながら、www.naxos.co.jpの当盤宣伝文には「なおオリジナルの第1稿はNaxos 8.553454でお聴きになれます」とあるが、これだけだと同様にヴィルトナーの指揮と勘違いして手を出してしまう恐れがあるではないか。HMV通販のように「なお、この交響曲の1873年オリジナル・ヴァージョン(ノヴァーク編纂)は、ティントナーの名演奏で聴くことが可能です」とハッキリ書いておくべきである。
 まずはDISC1の第2稿から聴いてみる。第1楽章冒頭の主題提示から既に迫力十分である。基本テンポの設定も真っ当そのもの。曲想が変わっても変にいじったりしないのも好ましい。ようやく10分過ぎで少し足を速める。が、そのテンポを保ったままで楽章クライマックス(11分13秒)を迎える。以後もセカセカ走り出さない。ヴィルトナーの「構造把握能力」もなかなかのものである。やや平板な感じが否めない2稿のピークだが、それをつまらないものにはしまいという決意のもと一生懸命盛り上げようとしているのが嬉しい。無名(実は私が知らないだけ)の指揮者とオケによる演奏としては大健闘である。第2楽章も途中で浮き足だったりしない。あの「ハッタリ野郎」に聴かせてやりたいと思ったほど立派な演奏である。第3楽章スケルツォは躍動感タップリだが迫力がやや不足しているという印象で、コーダが「蛇足」にも聞こえた。(これ以上の重量感は無い物ねだりだろう。)トリオは文句なし。終楽章は出だしから鮮明な響きにビックリ。全奏でも濁らないのは素晴らしい。ある一般人の試聴サイトでオケの技量に疑問を唱えるようなコメントを目にしたが、これだけの合奏を聴かせてくれたら私には何の不満もない。ということで、この2稿演奏は大いに堪能した。
(トラック5に収録されている「1876年版アダージョ」についても少し触れておく。「犬」通販サイトによると、1877年9月27日のウィーン・フィルとの非公式リハーサルで1度演奏されただけで、初演時には短縮された現ノヴァーク2稿が使われることになったから結局お蔵入りになってしまったという幻の版らしい。インバル盤の解説には各稿の楽章ごとの小節数が一覧表として載っているが、初稿=1873年版より長くなっていたとは意外だった。アダージョ推敲過程については金子建志の「ブルックナーの交響曲」に詳しい説明がある。ワーグナーからの引用部分のうち、彼の歌劇や楽劇に疎い私ですら気が付くのは「タンホイザー」の巡礼の合唱のテーマであるが、その第1ヴァイオリンのシンコペーション26小節を完璧に演奏するのが至難の業だったことがVPOによる演奏拒否の最大理由だった、というのが著者の考えである。さらに、この1876年版では伴奏を簡単な音型に変えた結果として、ますます「タンホイザー」風になってしまったという説明があった。そこで初稿によるインバル盤と実際に聴き比べてみた。たしかにそうである。76年版では金管による主題をサポートする弦が黒子に徹しているため、調は違っても例の序曲が最初に盛り上がるところとクリソツに聞こえる。この際ついでということで両版の比較を試みたけれども、何せ私は素人だし半分聞き流していたから他に違いを見つけることはできなかった。)
 満足感に包まれたまま第3稿によるDISC2の試聴に移る。が、予想外のスタスタテンポに仰天してしまった。ここで再生を一旦停止し、両盤の演奏時間の違いについて考察することにした。こちらのトータルタイムがDISC1(2稿)より約10分短くなっているが、もちろん小節数の違いのため単純の比較はできない。そこで初稿使用のディスク批評で多用してきた「3稿換算時間」を計算してみることにした。2稿に対しては初の試みである。最初の時間がDISC1の各トラックタイム、次の分子はノヴァーク3稿の小節数、分母は2稿の小節数(第3楽章はコーダ含む)である。つまり、この計算結果は「ヴィルトナーがDISC1で採用したものと同じテンポで3稿を振ったら演奏時間はどれくらいになるか」の大まかな目安になる。

 第1楽章:21:20 × 651/652 = 21:18
 第2楽章:15:39 × 222/251 = 13:51
 第3楽章: 7:16 × 276/317 = 6:20
 第4楽章:15:19 × 495/638 = 11:53
           合計:53分21秒

ノヴァーク3稿で53分台というのは結構「あるある」でヨッフム&BRSO盤やヴァント&NDR盤など名演も多い。「ちょっと速いかな」と感じるようなテンポである。ところが実際にはこうなっている:第1楽章,17分33秒;第2楽章,13分23秒;第3楽章,6分39秒;第4楽章,12分18秒;Total,49分53秒。総演奏時間が50分を切るというのはちょっと記憶にない。相当速いと思っていたテンシュテット盤やケーゲルの旧盤、さらにはクナのバイエルン国立管盤をも上回る快速演奏である。(なお、向こうのページではやらなかったが、「愛すべきペテン師」ことノリントンによる初稿使用演奏の「3稿換算時間」を求めたら何と46分17秒だった!)ここで上の換算タイムとの差も出してみた:第1楽章,3分45秒;第2楽章,28秒;第3楽章,─19秒;第4楽章,─25秒。結局3分28秒にも及ぶタイム差の原因を作っているのは専ら第1楽章の責任ということになる。
 繰り返しになるけれども序奏のテンポは相当速い。ただし先述の理由により単純比較は不可能だから、トラックの終わりに飛んでコーダを対象とすることにした。すると2稿では「ミドラー」と下がるところから最後の「ジャン」までが約31秒なのに対し、この3稿では何と約24秒! 全く同じ旋律なのに2割近くも短い。やっぱりやらかしていたのだ。冒頭に戻って再生を再開。実のところ途中までは「ちょっと速いかな」という程度である。ところが4分57秒で加速する。曲想の変わり目としては決して大きなものではないから、いかにも唐突という印象を受けてしまう。以降のセカセカ歩きは「ペテン師」を彷彿させるほどだ。8分10秒のピチカート以降はまさにイラチ。しかも少しずつ加速しながら9分13秒のクライマックスになだれ込む。それも私の分類では1型(セルやミスターSが採用)、つまり最もやって欲しくないスタイルである。これ以上耳を傾けても褒めるところは聴き出せそうにないと判断し第2楽章にスキップする。
 ここでも驚かされた。3分12秒〜や6分27秒〜の空中浮遊感は、例の「ハッタリ野郎」と同じである。もしかして私に対する嫌がらせではないか? ここまでやられると、そんな被害妄想にも陥りそうになる。それは冗談としても、上で触れた試聴サイトのコメントのうち「ヴィルトナーの方にブルックナーへの適性があるのかちょっと疑わしく思ったりします(^^;)」の方は、この3稿演奏に関する限り当たっているかもしれないと一瞬考えた。しかしながら、あくまで沈着冷静な私は気が付いてしまったのである。指揮者は2稿と3稿とで全く違うアプローチを試みたのだ。何のために? 某指揮者みたいに「その日の思いつき」を採り入れたというのなら低次元の自己満足として片付けられるだろうが、DISC1を聴けば明らかなように楽譜の読みはしっかりしている人だから、決してそのようなことはあるまい。彼はノヴァーク3稿の校訂作業に批判的だったのだ。だから、譜面に書き加えられているであろう(スコアを持ってないため憶測)速度指定をこれでもかと強調することによって、それらがいかにくだらないものであるかをアピールしようとしたのである。つまりDISC1が彼の本当にやりたかった演奏で、DICS2はそれを引き立たせるための「噛ませ犬」という訳である。ちなみに初稿も演奏時間は判明しているが、例によって換算すればトータル57分46秒という標準的な演奏時間、さらに各楽章のトラックタイムも至って真っ当であるから、やはり3稿のみ忌み嫌っていたと考えられる。
 よって、当初私は「DISC1で元は大体取れた(800円の値打ちはある)からDISC2はクズ同然(100円でもいらん)でもまあいいや」ぐらいに思っていたのだが、そうなると後者も単なるオマケ以上の価値はあるのかもしれない。(書いている内にエスカレートしてとんでもない結論になってしまったが、まず間違いなく的を外しているだろうから笑いものになっても仕方あるまい。やれやれ。)

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