交響曲第9番ニ短調
ギュンター・ヴァント指揮シュトゥットガルト放送交響楽団
79/06/24
Profil PH 04058

 ヴァントはチェリビダッケについて訊かれても終始ノーコメントを貫いたようだが(7番BPO盤ブックレット参照)、チェリはヴァントのことをどう思っていたのだろうか? それに関する記述は一切目にしたことがないが、チェリはヴァントの大ブレイク前に死んでしまったから、特にライバル意識のようなものは全く抱いていなかったのかもしれない。何にせよ、ケルンからやって来たヴァントに対してリハーサルを妨害するといった嫌がらせは何もしなかったようである。(「あのKという男」じゃあるまいし。)
 ということで、これはヴァントがチェリの手兵オケを振ったという貴重な記録である。既にチェリによる厳しい練習で鍛えられていたから、楽員達にはヴァントの執拗なリハーサルも苦にはならなかったかもしれない。とにかく、これは大変な演奏である。第1楽章の「ビッグバン」(2分30秒〜)のトゥッティがナヨナヨではない。(となると、チェリ盤の力ないと聞こえた響きも指揮者の深謀深慮によるもので、録音ではその真価がわからないということだろうか?)ヴァントの他盤と同じく豪快に鳴っているし、勢いも感じられる。そこで、ほぼ同時期の演奏(当盤と同月の録音)であるケルン盤を取り出して聴き比べてみた。
 ケルン盤も改めて聴くと決して悪い出来ではないが、剛毅さと同時に(それが災いしてか)この時期の彼の欠点とされた窮屈さも感じないこともなかった。これに対し、当盤のヴァントはオケの自主性を尊重したのか、それとも常任指揮者に敬意を払ったのは知らないが、随分とノビノビ演奏させているように聞こえる。そのため、演奏時間はほぼ同じ(この辺がいかにも彼らしいし、両端楽章のバランスが申し分ないのもいつも通り)ながら当盤の方にスケールの大きさを感じる。ライヴなのにアンサンブルの精度でも上回っている。後年のBPO盤はその点で明らかに出来が悪いし、NDR盤2種も録音に起因する不満(残響過多 or 音密度不足)を覚えなくもなかった。ただし、当盤では第1楽章後半に入ると「ビッグバン」再現部(13分47秒〜)直前で加速するなどテンポの動きがやや気になった。もちろんヴァントのことだから、「テンポいじり」とはいってもアホ指揮者連中と比べたら些細なのだが。もしかすると、この辺りも先述した自発的演奏と関係しているかもしれないが、この時期のヴァントは(後に否定した)「解釈」をせずにはいられなかったということだろう。(ちなみに通販サイトの宣伝文も、ケルン盤より表現の振幅が大きく劇的な性格が強いことに言及している。ただし、この点を「第1楽章展開部のクライマックス(13:25〜)など驚くほかない壮絶な音楽です」として肯定的に評価しているのが私とは異なる。)よって、ヴァントのブル9としてはMPO盤の次に置きたいと思う。ただし、激しさでは彼の9番中随一だし、この点で匹敵するのは他に8番BRSO盤ぐらいだろう。
 ヨッフムの5番ACO(64年)盤でお馴染みのオットーボイレン(ベネディクト修道院バジリカ聖堂)でのライヴ録音である。ここでも程良い残響が快く、音質も極上である。以下余談だが、赤川次郎が新潮社のPR誌「波」に連載しているエッセイ「ドイツ、オーストリア旅物語」にて、この小さな街を「穴場」として紹介していた。南部を旅する日本人がわざわざ(ミュンヘンから東南に約100km)足を運ぶことは極めて稀だが、とにかく大聖堂が素晴らしいという話である。私がドイツを再訪する日が果たして来るかは定かではないけれども、もしその機会があればオットーボイレン、あるいはリューベックといったヴァント縁の地を巡ろうかと考えている。(ケルンやハンブルクのような都市部にはあまり惹かれない。むしろ観光地としてあまり名が知られていない場所の方が好ましい。そういえば、少し前のNHK教育テレビ「芸術劇場」でシュレースヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭が採り上げられていたが、バイロイトやザルツブルクとは様子が全く異なり、とてもアットホームな雰囲気が私には合いそうだと思った。)

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