交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団
01/10/28〜30
BMG (RCA) BVCC-34047〜48

 まず「ヴァントが晩年にベルリン・フィルに客演するようになったのは良かったのか」について書く。(クライバーのキャンセルによってヴァントにお鉢が回ってきたのだから、彼を「罪作りな奴」と言ったら怒られるだろうか。)
 ご存知のように、1995年にヴァントはベルリン・フィルに客演(82年以来13年ぶり)して「未完成」「グレイト」を演奏した。その時から彼のサクセス・ストーリーが始まった。もちろん彼自身は大いに満足していただろう。人気指揮者の陰で地道な活動を続けていたのがようやく晩年になってスター扱いされ、かつては空席が目立った日本でも熱狂的に迎えられるようになったのだから。だから本来私が口を挟むようなことではないのは承知している。(ただし、少なくとも日本では「にわかファン」がわっと群がり、その多くはヴァントの死後サッサと離れてしまった。「日本人の好きな敬老精神でもてはやされていただけ」などと一部に言われていたのも残念である。私も「にわか」の一人には違いないが、どうやら膠で貼り付いてしまったようで、今のところ、そして今後も当分はヴァントから離れられそうにない。)
 しかしながら、あの大ブレイクがなく、あくまで「玄人好みの指揮者」のままで留まっていたら、ベルリン・フィルへの客演や来日公演にエネルギーを喰われるということはなく、北ドイツ放送響、ミュンヘン・フィル、ベルリン・ドイツ響との間に超名演の生まれる確率は高くなっていたのではないか?(レコーディングの機会はなかったかもしれないが、「リアル・ライヴ」として収録されていただろうし、BMGのお偉方も「地味な奴だが、たまにはレコーディングさせてやるか」と考えたかもしれないのだ。)
 何より惜しまれるのは、今世紀に入ってからのブルックナー正規録音としては、この「ラスト・レコーディング」しか残されなかったことである。最晩年だけに打率は低くなっていただろうが、時にはこの4番のように滋味溢れるブルックナーが他の曲でも演奏され記録されていたかもしれないと考えると残念無念でならない。
(この文章は「イフ」ばっかしの駄文であるが、他人を悪く言ったものではないのでかろうじて許されるのではないかと私は思う。ちなみに、私がありもしない仮定をもとに組み立てていく文章を嫌うようになったのは、賭博行為で出場停止処分を受けたプロ野球投手を題材にしたノンフィクションを読んでからのことである。「もし、○○だったら・・・・」だけで首脳陣や球団幹部の批判を行うという卑劣なやり口には胸くそが悪くなった。)

 さて、いよいよディスク評に移るが、許光俊が「世界最高のクラシック」に記した感想があまりにも見事なので書く気がしない。が、とりあえず筆を進めてみることにする。
 NHK-FMでこの演奏が放送されると知った私は、その後のCD化を睨んで絶対に聴き逃すまいと思った。気に入らなければ発売されても買わないつもりだった。それほどベルリン・フィルの7番で懲りていたのである。しかし、いざ聴いてみたら感動した。実にノビノビとした演奏で、知らされていなければヴァントと判らなかったに違いない。即座に「買い」と決定した。CDを聴いてみてもその印象は変わらない。ことによると、チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルよりもスケールは大きいかもしれない。けれども、ネット掲示板の評には「タガが外れた」「弛緩しまくり」といった否定的なものも見受けられた。無理もない、というより当たっている。この演奏だけを聴いたらそう感じる方が自然なのだろうと思う。けれども、ヴァントの一連の録音(ケルン放送響→北ドイツ放送響→ベルリン・フィル)を聴いてきた耳には、「この人はこういう境地に到達したのか!」と聞こえる。(8番BPO2001年盤の印象と似ているようだが全く違う。意外な感じ、新鮮な驚きというニュアンスである。)そういう耳はアンサンブルの少々の乱れなどはスルーしてしまう。(実際には技術的にも完璧な演奏であるように脳内で補正しているのだが。)その上で「それ以前の録音からは聴かれなかったもの」を一生懸命聴き取ろうとするのである。しつこいようだが、そういう耳でないとこの演奏の良さは解らない。(「で、具体的にはどこがどう良かったの?」という問いにはいつかお答えします。)
 「ハッキリ言おう。こういう類の演奏(ヴァントに限らない)はそれだけをいくら聴いてみてもダメなのだ。点で聴くな、線で聴け!」 と最後は許光俊風(?)に締め括ってみた。

2004年9月追記
 あるページを執筆するため、久しぶりに「クラヲタの星」こと某M氏のサイトを覗いてみたのだが、「ブルックナー(3)」の末尾に「<2002. 6.29追記>」が載っていた。その第1文がこれ↓

 ヴァントに対する一部の人達の熱狂は過ぎてしまったようで,
 レコード店に行ってもほとんど宣伝していなくなりました。

相変わらずである。レコード店が新譜の宣伝を優先させるのは当たり前ではないか。こんなことをわざわざ書くとは!(ちなみに通販サイトではもちろんヴァントのTESTAMENT盤の宣伝が載っていた。「レコ芸」の輸入盤店の広告も同様である。)「すぐに忘れ去られてしまうのか(中略)その後も,ドンドンCDが出るようになるのか」も爆笑もんである。新たな音源がなければ(再発以外)出しようがないし、あっても契約の問題で必ず出るとは限らない。それ以前に、「新譜が出ない」=「忘れ去られる」というのは何という幼稚な発想だろうか。誰だってカラヤンやバーンスタインを「忘れ去られた指揮者」とは思っていないだろう。(前者は「普門館の第九」というのがこの前出たようだが・・・・・)何にせよ「ブルックナー(3)」ページの一番下でM氏が採り上げている8番BPO盤以降、当盤に加えてTEATAMENTからも正規盤が継続的に出されており、とりあえず彼の疑問に対する回答は出された格好である。(2005年1月追記:続いてバイエルン放送響とのライヴもリリースされた。こうなるとMPOとの共演盤が待ち遠しくて仕方がない。)ちなみに、HMVの通販サイトでのブルックナーの売り上げ1位はそのヴァントの8番(ただし輸入盤)でこのところ不動である。(NDR盤とBPO盤は、2枚組廉価盤のケルン全集のような形で叩き売りされたりしておらず、今もそこそこ売れ続けているのではないだろうか?)
 なお、「レコ芸」誌企画の「名曲名盤300」の最新版を私は断片的にしか読んでいないのだが(註)、ブルックナーではヴァントのディスクのほとんどが1位かそれに近い位置を占めていたと記憶している。BPO新盤とNDR旧盤が併存している45789番ではことごとく前者に人気が集まり、後者にはあまり票が入っていないという「右に倣え」的な状況は正直情けないが今は措く。次(5年後?)がどうなるか私も注目しているが、ヴァントを脅かしそうなものは現在のところ見当たらないとだけ今は言っておく。(登場したらそれはそれで喜ばしいことだ。)

註:これはあまりにも憤懣やるかたないことなので書かずにいられないのだが、読者にはどうでもいいことなので飛ばしてもらって構わない。隣町の図書館に置いてある「レコ芸」から「名曲名盤300」だけを(ゴッソリ数十ページも)切り取った阿呆がいる。新着雑誌が貸し出し可能となるのを待って借りた私は、そのせいで「名曲名盤300」を読めなかった(新着時にチラッと見ただけ)ばかりか、返却時に申し開きをしなければならぬ羽目に陥った。許し難いにも程がある。

2006年3月追記
 某掲示板の【偉大なる】レコード芸術part2【マンネリ】というスレッドにて「最近、図書館でレコ芸を置いてあるとこ少なくなった。音友はかろうじて置いてある。2つが合併したらいいのに。」という書き込みを見たが、実は上述の図書館も同様で、昨年4月から購読を停止してしまった。「合併」が実現して再び読めるようになれば私としてはもちろん嬉しいが、価格上昇は必至だから購買者には到底受け入れ難いだろう。(なので諦めている。別に読めへんなら読めへんで構へんし。)

4番のページ   ヴァントのページ