交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団
92/01/12〜14
BMG (RCA) BVCC-605

 「なんという鮮明なブルックナーなのであろう」と解説の宇野功芳が書いている。北ドイツ時代のヴァントの特徴はこの「鮮明さ」なのだが、この盤の鮮明さはスタジオ録音のベートーヴェンやブラームス全集と並んで際だっているように思う。それまで北ドイツ放送響との8番(93年盤)やベルリン・フィルとの5番・4番を聴いて感動してきた私だが、「この人は本当に凄い!」と実力を真に認めるようになったのはこのディスクを聴いてからのことである。「感動の質が違った」と書きたいところだが、どう違うのかが説明しきれないのでとりあえず「感動のレベルが違った」としておく。とくに感動したのが第1楽章11分05秒頃、「ラーミーミラー」の第1主題がフォルティッシモで回帰して築かれるピーク。ここまでの盛り上げ方が凄い。9分30秒頃から時間をかけてゆっくりゆっくり上り詰めていく。決して足を速めたりしない。このピーク前後の処理だが、大きく分けて次の3通りがあると思う。

1.ピーク直前から少しずつテンポを上げ、「ラーミーミラー」は冒頭と同じテンポ。
2.直前処理は上と同じ、ピークは「ラーーーミーーミラーーーーーー」と冒頭部の2倍遅くする(テンポは半分)。
3.インテンポでピークに至り、ピーク処理は2と同じ。

 1はセルや彼に師事していたスクロヴァチェフスキが採用しているが、その是非は措くとしてもピークをあまりにも軽んじているような気がして私は嫌いである。2は多くの指揮者がやっている。こうすると確かに盛り上がるが、ヴァントにいわせればそれは「間違っている」ということになるのだろう。で、彼がやっているのが3である。決して足を速めることなく、「ズンチャンズンチャンズンチャンズンチャンズンチャチャズンチャチャズンチャチャズンチャチャ」と突き進むところなど、あまりの迫力に完全に圧倒されてしまう。少しずつ楽器を重ねることで自然にピークを形成するのが実に見事である。音量自体はすさまじいわけではないから決して騒がしくならない。(ちなみにこのディスク、音のレベルは低めである。)この部分だけを特に強調したが、全曲を通して聴いても寸分の隙すら見つけることはできない。剣道の達人と向き合っているようで、こちらは一度も打ち込むことなく「参りました」と頭を下げるしかなかった。
 ヴァントは2002年2月にベルリン・フィルと6番を演奏(およびレコーディング)し、続いて3番の予定だったらしい。転倒事故によって6番が(ヴァントが非常に高く評価していたハイドン76番とともに)残されなかったのは本当に残念だが、3番については惜しいとは全く思っていない。(ベルリン・フィルにあの鮮明さが出せるとは私には思えない。)それほどまでにこの演奏は私にとって「決定的」なのである。

追記:上で剣道の喩えを持ち出しているが、その伏線となった話をこれから書く。私が日本との時差12〜13時間ある国で暮らしていた頃のことであるが、活動後半の約1年間を共に過ごした男から聞いたエピソードである。彼はW大在学中に剣道部に入っていた。ただの剣道部ではない。彼が所属していたのは「直心影流(じきしんかげりゅう)剣道会」であった。(HPには「劍道會」とある。)彼から聞くまでそのような流派の存在は全く知らなかった。防具は一切付けないらしい。彼に言わせると、我々がよく知っているスポーツ剣道は「インチキ」なのだそうだ。曰く、「だってそうだろ。面を肩で受けたら審判は『浅い』と判定して試合を続けさせる。だけど真剣だったらそいつは肩から切り裂かれて死んでるんだぜ!」もっともである。毎日早朝、かけ声とともに手製の木刀(←たしか地方固有種である非常に堅くて重い木を削って作ったはず)で素振りを繰り返す彼の姿には尋常ではない凄味が感じられた。
 さて、(例によって)アルゼンチン産の箱入安物ワインを一緒に飲んでいたある晩、彼は直心影流の達人同士による試合の話を聞かせてくれた。当時の第一人者(名前は忘れてしまったが、ネットで調べてみたところ「山田次朗吉」には何となく見覚えがある)と、彼のライバルと称されていた男とは一度も剣を交えたことがなく、周囲は「一体どちらが強いのだろう」と喧々囂々であった。その2人が遂に相まみえることになった。試合が始まった。が、どちらも剣を上げたものの一歩も動かない。いや、動けないのである。相手には全く隙がない。こちらから下手に仕掛けていったら返り討ちに遭うのは目に見えている。そのまま時間だけが過ぎ、数分後(数十分後だったか?)にどちらからともなく頭を下げた。そうして一世一代の大勝負は終わったのである。
 こうやって文字にすれば「アホみたい」と笑い飛ばされてしまうような話かもしれない。が、次第に熱を帯びてきた彼の語りを聞いていた私にも感動は十分に伝わった。それが脳裏に刻み込まれたからこそ、ヴァントを「剣道の達人」に準えたのである。(余談ついでだが、私が上京する際には必ずといっていいほど彼と会っている。)

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