交響曲第9番ニ短調
ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
46/03/17
WING WCD 55

 今年(2005年)3月の東京出張の際、立ち寄った新宿「組合」にて購入。帯の「既発売とはスケール(規模)が違います。それは小編成のコロムビア交響楽団ではなく黄金時代にコンビを組んだニューヨーク・フィルの雄渾壮麗な演奏であるからです。」という宣伝文句につい手を伸ばしてしまった。ケース裏や帯にはレーベル名らしき「WING」という文字しか書かれていないが、ネットで検索すると発売元は「ケンレコード」となっている。これはどういうことだろう。あるいは社長の名前だろうか?(さらに「もしかして金子建志?」とも思ったが、どうやら違うらしい。「日本ワルター協会のLP部門として発足」とのことで、フルトヴェングラーのLP復刻で知られるVeneziaレーベルもケンレコードの一部のようである。)当盤では演奏終了後にラジオ局の実況らしき“The New York Philharmonic-Symphony Orchestra” という男声のアナウンスが入るから、ケース裏に表記されているオケ名は8番M&A盤以上に確かなものと思われる。なお、この演奏はピッチが少々(=耐えられないほどではない)高く感じたので、音声加工アプリで調整したファイルをCD-Rに焼いて聴いている。参考までに修正による時間変化を示すと、第1楽章:21分26秒→21分37秒、第2楽章:9分33秒→9分38秒、第3楽章:19分35秒→19分44秒である。(ただしケース裏表示のトラックタイムではなく、アナウンスや拍手を除いた正味の演奏時間である。具体的な修正方法については別のディスク評ページで紹介するかもしれない。)
 聴いてみると音は予想していたより貧弱で、情けないことに5年前に録音された8番よりも劣る。特に終楽章は酷く、冒頭から針音まみれになっている。これでは「雄渾壮麗」の看板が泣く。決して安くはなかっただけにガッカリである。第1楽章冒頭から快速テンポで飛ばすが、トランペットとホルンによるニ音による掛け合いが「ララ」とブツ切りになってしまっている。宇宙創造直後から互いに不機嫌な神と梵天の様子が目に浮かんでくる。ビッグバン少し前で減速。これもちょっと気に食わないし、11分頃からの加速も気に障る。というより、こんなんばっかりであるが、とにかく激しい演奏ということは十分すぎるほど判った。そういえばティンパニの叩き方が一部改訂版風だが、それもこの演奏スタイルには合っている。コーダの「ダダーン」が聞こえないダメ演奏と思わせて、最後にティンパニが最強打するのも迫力満点である。スケルツォ主部終わりの何かに駆り立てられるような加速もちょっと他に例がない。そして終楽章は、シューリヒト&VPO盤以上の「やりたい放題」である。(ただし第1楽章もスタスタなので、バランスはそれなりに取れている。)本来なら間違いなく噴飯ものだが、モノラルでこの劣悪音質だけに、均整のとれた演奏だと無表情でつまらないと思ってしまうかもしれない。まあ、「(偽りだったにせよ)ほほえみを忘れずに」をモットーにしていた晩年とは全く別人のような「怒りのワルター」が聴けただけ良しとするか。
 そういえば、宇野功芳は「クラシックの名曲・名盤」で、「こんなにすごい音楽性の持ち主もいないのではないか……と思っていると、とんでもない二流、三流の演奏が飛び出してくるところに、ワルターの興味深さがある」と述べ、いくつか例を挙げている。24年録音の「コリオラン序曲」について書かれた「テンポの素人っぽい不自然さはお話のほかで、もうメチャクチャといってよい」はまさに当盤の形容にもピッタリだし、42年の「新世界」に対する「激しい加速は、なにをそんなにあせるのか、と痛ましくなるほどだ」「オーケストラもちゃんと弾けていないが、ワルターはこのテンポにこそ意味があるのだ、とばかり荒れ狂い、暴れまくる」も同様だ。私は畏れ多くて当盤に対して「二流、三流」という大それた評価を下すつもりはないし、このような「円熟からもっとも遠い演奏」に対する「なんと魅力的か」という宇野の感想には半分同意である。彼にとっては「ずいぶん老けた、分別くさい、道徳的な指揮ぶり」と聞こえたかもしれないが、私はやはりステレオ録音にて、この世との別れを名残惜しむようなしみじみ演奏を聴く方を好む。

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