交響曲第7番ホ長調
ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
54/12/23
TESTAMENT SBT-1424

 モノラルのブルックナーには今後手を出すまい。そう考えていたはずなのに。しかも当盤は値崩れしたシューリヒトの8番VPOライヴ(アルトゥス)とは異なり、レギュラー・プライスの新譜なのだ。別に「ワルターの7番がコロンビア響盤の1枚だけというのは寂しい」などと考えていた訳でもない。こうなると魔が差したという以外に説明の付けようがない。とはいえ、当盤にはなかなかに興味深い点も多く、嬉しいことに無駄な出費とはならなかった。
 まずは55分台という演奏時間である。これはあまりの猛スピードのため真面目に評する意欲を失い脱線話に終始してしまったオーマンディ盤(トータル55分52秒)と一緒。ただし、第3楽章までのスプリットタイムを比較すれば43分台の当盤が2分以上の大差を付けて圧勝である。で聴いてみたら案の定めっぽう速い。加えてギアチェンジも多用。第1楽章のコーダなど縦線の狂いなど全く気に懸けず、ただただすっ飛ばしているような感じだ。(それでも着地がピッタリ決まっているのは救いだが。)当盤は一発録り無修正のライヴなので、そういうのが全部入っている。
 ここで今更ながら気が付いたのだが、ワルターは合奏の精度にはさして重きを置かないタイプではないだろうか。実際私が所有するディスクではキチッとしたところがほとんど感じられないし、モノラル時代の演奏は鋭さこそあっても随分と荒っぽい。にもかかわらず、それを欠点として追及されなかったのは時代(クナやフルヴェンなど型破りの指揮者がゴロゴロしていた)ということもあるだろう。また晩年のコロンビア響とのステレオ録音もジックリ聴くと緩さが気にならないでもないが、それをハッキリと指摘&批判したのは私の知る限り許光俊グループの鈴木淳史とヴィルヘルム吉澤ぐらいのものである。よく解らないが、「常に微笑みを忘れず」をモットーとしていたという人徳(註)ゆえ得をしているということだろうか?(註:実際はそうでなかったという証言もあるようだが。)
 17分ジャストのアダージョは前楽章以上に速く感じる。追悼音楽にもかかわらず時に爆走する機関車の姿が浮かんでしまうような演奏っていったい・・・・12分過ぎからクライマックスに至るまでの渾身の盛り上げ方は他盤では絶対に聴けないものである。ただし「ジャーン」がないのは困りもの。まるで階段上りで空足を踏んだみたいである。楽器の絡みもイマイチ美しくないから、ここは打楽器洪水でごまかした方が良くはなかったか?
 空前絶後と言いたくなるほど猛烈に速いのがスケルツォ。嵐の襲来のようだ。(これならブルックナーよりベートーヴェンの交響曲に似つかわしいのではないかと考えた私は、試しにあっちの第7の第3楽章として挿入してみた。が結果は失敗。テンポ的にはグーなのだが、前のアレグレットから短調楽章が連続するのがよろしくない。)トリオがノロい(チェリ級)ためトラックタイムは約9分となっているが、主部に相応したテンポだったならば間違いなく8分を切っていたはずである。
 終楽章のトラックタイム(12分17秒)から終演後の拍手約30秒を引いた正味の演奏時間は11分44秒であり、当盤では唯一「まとも」だったことが分かる。(なおワルターは61年の再録音にてフィナーレのみ13分52秒というスローテンポを採用している。それまでとは別人のごとく。最後はクールダウンして終わるというのがブル7演奏における彼の美学なのだろうか?)もし前楽章までの超特急スタイルを継承していたら10分そこそこで終わり、トータル53分台という不滅の大記録が打ち立てられていたことだろう。(別に惜しくもないが。いつの日かボルトみたいなのが現れるかもしれないし。)ただし、「まとも」だと油断していたら最後の最後でやられる。11分16分からティンパニが(通常のトレモロでなく)ラッパと呼応して「ダダッダ・ダン・ダン」とやらかすのである。終曲直前でド派手に打ち鳴らす。こんな軍楽隊の行進みたいな装飾はクナもハカイダー(シューリヒトの別名)も、さらにはティンパニ付加処理を執拗なまでに施していたトスカニーニですらやってなかったから、要はワルター独自のアイデアということだろう。が、祝砲というか盛大な打ち上げ花火のようで私には非常に面白かった。(あるいは聴衆へのサービスか?)
 モノとしては最高ランクの音質でもあるし、ここは7番の珍演がコレクションに加わったことを素直に喜ぶとしよう。

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