交響曲第7番ホ長調
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団
61/03
CBS SONY 28DC 5050

 ヴァントBPO盤ページに書いたように、当盤はハース版としては最良のものだと思う。終始淡々としているので版の性格とピッタリなのである。4番ディスク評であげつらった響きの薄さはここでは全く欠点にならない。何と暖かくて優しくて美しい演奏!(なお、当盤はSBMマスタリングによる音質破壊が行われる以前の88年に発売された「新ワルター大全集」からの1枚であるためか、特に不満のない音質である。)このように褒め言葉しか浮かんでこない演奏というのも、いざ評を書くとなれば意外と難しいものだ。
 録音は4番の翌年(亡くなる11ヶ月前)に行われたが、とてもそうは思えないほど若々しい。弛緩するところは皆無で、粗さも耳に付かない。「淡々としている」と「若々しい」は矛盾するようにも思うが、それらを両立させるための(何かよくわからないが)プラスアルファがこの演奏にはある。クナもケルン放送響盤がVPO盤をはるかに上回る出来だったが、最晩年の指揮者でも何とかなってしまう曲なのだろうか? あるいは枯れ切ってしまったはずの指揮者を奮起させる何かがあるのかもしれない。それにしても第2楽章の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。どのパートも決して出しゃばったりせず、溶け合った響きのまま打楽器なしの透明なクライマックスに向かって歩んでいく。最近ではティントナーがかなりいい線までいっていたように思うが、それでも当ワルター盤で聴かれるような悟りの境地には達していなかった。
 第2楽章で派手に「ジャーン」とやって燃え尽きなかったから、という訳でもないだろうが、後半も非常に充実している。スケルツォでティンパニが暴れ回ったりせず、ここでもモノトーンをしっかり守っている。主部が速めにもかかわらずトラックタイムが10分台ということから予想されるが、しみじみネットリと演奏されるトリオは聞き物である。まるで指揮者が辞世の句を詠んでいるかのようだ。終楽章も淡々というか飄々とした指揮ぶりを想像するが、きっと心の底から愉しんでいたのだろう。そういえばクナの63年盤のフィナーレ(やはり遅くて14分台)もこんな感じだったが、棺桶に半分足を突っ込んだような人間だけに可能な演奏なのかもしれない。(ところがチェリはギラギラしたところはなくなってはいたが、最晩年でも脂っこさはまだ残っていた。不思議といえば不思議だが、反骨心の塊のような人だったからかもしれない。)

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