交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
若杉弘指揮NHK交響楽団
96/02/26
BMG (RCA) BVCC-751

 若杉といえば、かつて都響との武満徹管弦楽曲集(DENON)を買ったことがあるが、「ノヴェンバー・ステップス」のあまりの緊迫感の無さに嫌気がさして手放してしまった。(ソリストの琵琶および尺八奏者は例の2人、つまり初演者だったが、彼らが特に衰えたようには聞こえなかった。となると責任は指揮者and/orオケに求めざるを得ない。結局、小澤&トロント響盤を買い直すことになった。)他にはSKDとの「英雄」もFMでエアチェックして聴いたが、特に感銘を受けるということはなかった。ちなみに彼は滋賀県が巨額を投じて建てた県立芸術劇場(びわ湖ホール)の芸術監督であるが、さして興味のないジャンルだし何せチケットがバカ高いので、あそこにオペラを観るために足を運ぶことは多分ないだろう。県民割引として(立ち見席でも何でもいいから)1000円程度で観られるなら話は別だが・・・・(追記:今年=2007年4月から沼尻竜典が同ホールの芸術監督に就いたまではいいが、年間プログラムとしてツェムリンスキーに取り組むという話だから足がますます遠のきそうだ。)
 BMG(Arte Nova)からザールブリュッケン放送響とのブル9が廉価盤で出ているのは知っていたが、既に同オケによる同曲としてスクロヴァチェフスキ盤を持っていた(しかも全く感心できなかった)ので手を出す気にはなれなかった。なので当盤をネットオークションから入手したのは、もはやお約束の感すらある「安かったから出来心でつい」で、といいたいところだが実はそうではない。(出品価格500円の品を何とか2.4倍で落札した。)3番が比較的手薄だったということはある。が、それ以上に関心を抱いていたためである。
 鈴木淳史が「こんな名盤は、いらない」(青弓社)の「朝比奈とは、へたなブルックナーという意味だ」の終わりで若杉&N響によるブルックナー全曲演奏会(年3曲ずつ3年間)を褒めていた。「許光俊グループ」の一因である彼が日本のオーケストラについて肯定的に書くのは極めて異例である。また、名演だったにもかかわらず客の入りは悪く、結局はBMGによる録音のみならず演奏会そのものまで打ち切られてしまい、「日本のオケでも手間暇かければ結構できるじゃん」という見通しと虚しさだけが残った、などと結ばれていた。それが印象に残ったという訳である。(もう本が手元にないから当然ながら細かな表現は違っているだろうとは思うが、たしか第1弾の7番を聴いての感想だったはずである。)なお当盤オビにはチクルスについて「マスコミ、評論家からも高い評価を得ている」とあるから、要は一般受けしなかったのが敗因ということになろう。(ちなみに3番に続いて8番が演奏&録音されたもののCDは発売中止となり、結局2枚で打ち止めとなってしまった。)つまり玄人好みの演奏に仕上がっているとは期待しても良さそうである。実際に聴いてみた。
 第1楽章冒頭の弦の刻みが抑制気味ながら結構耳に付く。一生懸命というか律儀に弾いているからである。他の楽器も明らかに抑えられており、音量増加が顕著なものとして認識できるのは序奏が完了する僅か数秒前である。これまで私が聴いてきた3番ディスクと比較してアクセルを踏むのが相当に遅いのは明らかだ。そういえば、同じ駒取り型のボードゲームながらチェスと将棋では先攻するべきか否かの判断基準について「最初のチャンスを見逃すな」という前者(チャンスと見れば駒損してでも攻めることもある)、「最初のチャンスは見送れ」という後者(相手に駒を渡すので反撃もキツい、それゆえ攻撃を開始する前に玉をしっかり囲うことが多い)という少なからぬ違いが存在する。もちろん日本人指揮者の若杉がここで採用している盛り上げ方は駒組みが完了してから仕掛けに移る(もちろん奇襲や急戦は別)タイプの将棋に近い。(要はこじつけやな。)あるいは肥効調節型(緩効性)コーティング肥料のリニア型とシグモイド型の違いにも喩えられるだろうか?(訳わからへんやろ。)
 その最初の盛り上がりも十分に劇的だが、以後は(2分20秒台ではテンポも落としつつ)管弦打楽器が一体となって巨大なピークを何度も形作る。中間部のクライマックスに至るまで(11分17〜55秒)も「はじめチョロチョロ中パッパ」方式である。何といってもせせこましいテンポいじりがないのが嬉しい。この安定感抜群の進め方という点では先に入手した飯守盤も負けず劣らず見事だったけれど、印象は当盤の方がかなり上回る。先に書いたような三位一体が成立しているからである。やはり弦の充実度が大きな違いを生んでいると考えられる。この放送オケが一部評論家に何だかんだ言われながらも実力日本一であることを再認識した。(野球に喩えたら鷹と金鷲ぐらい違う。後者も今年は健闘しているといえるが地力の差は歴然。)時にモタモタしていると聞こえた箇所もないではないが、丁寧に仕上けようとの意図から流れがちょっとばかり滞ってしまったという感じである。テキトーに流されるよりはよっぽどいい。
 ここで改めて演奏時間を見たらトータル59分台(ただし最後の約30秒は拍手)だから3稿使用としては結構遅めの部類に入る。が、ダレるようなことは全くなかった。アダージョにしても最後まで緊張感が保たれていたから、指揮者の頭の中には途中で空中浮遊を試みる(そして結局は空中分解に終わる)といった愚かな考えは一瞬たりとも浮かばなかったと思われる。あくまでバランス重視のスタイルを崩さない。決してこぢんまりした曲ではないが、3番のスケールにはこれくらいが丁度良いと思う。とはいえ、両端楽章のコーダでは大胆な踏み外しに出ている。それが最後にはピタッと決まっているのだから言うことはない。締め括りの豪快さはマタチッチのプロムスライヴにも匹敵するのではないか?
 なお、指揮者の唸り声が聞こえるという記述がネット上のどこかに出ていた。それだけでコバケン(もちろん小林健二やケンドーコバヤシではないが、小石忠男は「レコ芸」月評で繰り返し苦言を呈しているらしい)のディスクを敬遠してしまうような私だが、幸いにして当盤では気に触るほどではなかった。

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