交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
クラウス・テンシュテット指揮バイエルン放送交響楽団
76/11/04
Re! Discover RED-85

 「悪魔の店主」からの「鐘」(The Bells of Saint Florian)盤の大量発掘の報を受け、直ちに何点か注文したことはすでにクーベリックの目次ページに書いた。リストには当盤と同一演奏のAB-4も(悪魔の囁きを添えて)載っていたにもかかわらず、その時は見送ってしまった。まだベートーヴェンの優れたライヴを聴いていなかったため、指揮者の実力については半信半疑だったからであろう。いざ「鐘」盤を入手しようと思った時にはネットオークションでも結構値が上がるようになっており、黒星をいくつか積み上げてしまった。範囲を青裏にまで拡張してようやくゲット、落札価格は1380円だったと思う。
 この演奏については、Profilによる正規盤(PH 04093)の発売時に許光俊がhmv.co.jpの連載エッセイ「言いたい放題」として寄稿した「テンシュテットのブルックナーは灼熱地獄」が大変参考になるだろう。少し引くと「あえて年輩の方にはお勧めしないでおこう」「私にしたところで、70歳にもなったら、こんな音楽にはつきあえないだろう」とあるが、確かにそうは滅多にないほどの高カロリー演奏である。たしか前に使ったフレーズだが、「私の言いたいことはほとんどあれに言い尽くされている」ので当盤評もきっと短めになるだろう。(今思い出したが、あれはケーゲルのLGO盤ページだった。もしかして許はブル3の評執筆で特に才覚を顕すのだろうか?)
 微かなヒスノイズが存在する程度で音質はかなり良い。ライヴ(一発録り?)ゆえの綻びはあるかもしれないが、どういう訳かスタジオ録音の48番よりも粗さは感じない。オケの地力 and/or 曲との相性の良さもあるだろうし、指揮者が変に小さくまとめようとしなかったため却って本来の実力を出すことができたのかもしれない。マゼールの2種(85年VPO盤と00年BRSO盤)から「ええとこどり」をしたような怪演、じゃなかった快演である。兎にも角にも熱々で「クライバーが振ったらあるいは」と私が考えたのもマゼールと同様である。一箇所挙げると、第1楽章中間部ピーク(10分37秒)の前後処理。ヴァント&NDR盤ページに示した分類に従えば私の好みからは最も遠い1型に該当する。ところが、セル(スタジオ盤)やスクロヴァのような不満は一切感じなかった。彼らのような神経質さが全くないことも原因だが、怒濤の勢いに何型などと考える余裕もなかったというのが本当のところである。とにかく激しい部分は圧倒されっぱなしであった。(評を執筆する者の姿勢としては決して褒められたものではないが。)
 第2楽章についても少し書いておく。粘らず端正、そして非常に美しい。(つまり許のように「濃厚な歌が湧き上がる」とは聴かなかった訳だが、あるいは正規盤と当盤の音質調整にはかなり違いがあるのだろうか?)単なるイケイケ指揮者にはできない演奏である。3分19秒から曲想が変わって少しテンポが上がるものの某指揮者のようにフワフワと空中浮遊感を漂わせたりしない。7分14秒〜8分25秒までもほとんどインテンポで押し切っているのが立派だし、9分25秒以降も早足ながら節度は失わない。こういう演奏を成し遂げてこそ構造把握(楽譜読み)のしっかりした指揮者と呼べるのである。口こそ立派だが、この楽章のハチャメチャなテンポ設定で馬脚を現してしまった「あのHという男」はまさに「ハッタリ野郎」の名に恥じない(?)と改めて思った次第である。
 激しいスタイルが似合う第3楽章が上出来なのは当然だが、終楽章はそれをさらに上回り全曲の白眉といえる。スタートダッシュも凄いが、騒ぎが一旦収まった後、1分過ぎから再びズンズン突き進むところを聴いている内に次第に引き込まれてしまった。あまり使いたくない言い回しだが、ものすごく説得力がある。テンシュテットの実力はもちろんだが、数々の名指揮者達との共演によってブル3の経験値を積み上げてきたBRSOの貢献はやはり疑えない。(この曲を凡演に終わらせてしまうような客演指揮者がいるとしたら余程のボンクラに違いないとも考えたのであるが、奴ならあるいは?)ということで十二分に堪能することができたが、惜しむらくはバッサリ切られた終演後の拍手。この大熱演の締めとしてはあったほうが望ましいのではないか?(多少のアホブラなら許す。)

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