交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
ウィリアム・スタインバーグ指揮ピッツバーグ交響楽団
56/04/19
EMI 7243 5 66556 2 1

 英尼損で中古が約10ポンドで売られていたが、送料としてGBP3.58が加算されるとJPY3,000を超えてしまうため「もう一声」という気分だった。(ちなみに米尼は最安値USD22.95に諸経費6.89を加えるとさらに割高だった。)それでジャスト£6の買い注文を入れておいたが、さすがに虫が良すぎたようで売り手は現れず。そんなある日、Yahoo! オークションへの当盤出品を見たので、それなりの(日本円で13.58ポンドを少し下回る)価格で自動入札を入れておいたが、その6割程度の値で落ちた。その通知メールにホッと胸をなで下ろしたのも束の間、送金手続きのため件のページを再度閲覧して愕然である。というのもケース裏の画像中に "Binaural" という文字列を見たからである。併録の「死と変容」(R・シュトラウス)がモノラルであることは承知していたが、肝心のブルはステレオだと思い込んでいた。「早まったか(擬似ステの類だったか)!」と天を仰いだが後の祭り。とはいえ、耳慣れない単語だったのでネットで調べてみることにした。
 うちウィキペディアには「ダミーヘッドと呼ばれる、人間の上半身人形の耳道入口部に小型マイクロフォンを備えた装置で集音し録音する」と記されている。この解説を読んでも(かつてDENONレーベルがウリにしていた)ワンポイント収録とどう違うのかが理解できなかった私だが、どうやらモノとは別物らしいと判り、ひとまず安堵の息を漏らした。それどころか、イヤフォンやヘッドフォンでの再生に適した録音方式らしく、「現場に居合わせたかのような音の臨場感を得ることが出来る」とまで述べられていたから、早く聴いてみたいものだと期待に胸を膨らませつつ到着を待った。
 受け取ったディスクのレーベル面やブックレットには "FULL DIMENSIONAL SOUND" という堂々たる謳い文句が大書されている。何はともあれ実際に聴いてみた。ヘッドフォンでの再生では左右の分離がメチャクチャに良いと感じる。だが、同時に「やりすぎと違うか」とも思った。例えば終楽章の冒頭ではコントラバスの刻みによるゴリゴリ音が生々しく、ただし右の耳にだけ響く。左チャンネルにはほとんど入っていないから当然なのだが・・・・このように左右代わりばんこに鳴っているような箇所は数知れず。こういうのに私が慣れていないためかもしれないが、「臨場感とはちょっと違うんやないか?」と言いたくなった。各楽器の奏でる音がここまで明瞭に聴き分けられるということは実演でも多分ないはず。どうやら左右よりもパート間の分離の方に大きな問題を抱えているようだ。(ちなみにスピーカーで再生した場合でも (もちろん装置による程度の差はあったものの) 音が行ったり来たりするという印象は変わらなかった。ただし分離の良いステレオ録音との際立った違いまでは感じられなかった。)
 当盤のダイナミックレンジは(まあ時代相応とはいえるが)とにかく狭い。また弦の音色には潤いがないし、金管の炸裂はいかにも安っぽい。(これらは乏しい残響のせいでもあるだろう。)さらに木管はソロではやたらと前に出てくるクセに全奏では聞こえない。もちろん貧相な音質やバランスの欠如は(オケの力量や指揮者の解釈とは関係なく)偏に当時の録音技術の限界に起因するものである。が、そういう音源をバイノーラル再生することで却って違和感(作り物であるという印象)を増幅してしまうのではないかと私は思った。この方式が何故に廃れてしまったのかは知らないが(サラウンドの出現のため?)、今ならもっとそれっぽい臨場感を生み出せることだろう。
 演奏そのものについても少しだけ述べておく。ライナー等への記載は全くないけれど、実は第3稿(レーヴェ改訂版)を採用している(トータルタイム約55分半)。例によってテンポをあざといまでに動かしまくり、珍妙なる響きが頻繁に聞こえてくる。曲がりなりにも(ステレオでこそなかったが左右別々ゆえ)それが今まで以上に実感できたのは良かった。(また内藤盤のようにティンパニ以外が非力との不満を抱かずに済むのもありがたい。)改めて「原典版が普及する以前の聴衆はこんなケッタイな代物を聴かされていたのだな」と思った。同時に「これでは人気が出ないどころか珍曲扱いされたとしても文句は言えないだろう」とも。それが最も顕著なのは終楽章。笑いを噛み殺しつつ聴いている内に、ふと「マンガのようなブルックナー」という鈴木淳史が朝比奈の演奏を酷評する際に持ち出した形容が浮かんできた。実際ディズニーか何かの喜劇アニメの音楽としても十分活用できるだろう。

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