交響曲第9番ニ短調
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団
01/01/16〜18
BMG (Arte Nova) BVCY-38033〜44 (全集)

 「クラシックCD名盤バトル」で鈴木淳史が女言葉を使って褒めていたのが当盤である。私は購入後何度か聴いたが全く気に入らなかった。当サイト作成のため改めて聴き直し、ますます嫌いになった。他に鈴木が推すギーレンやロスバウトのブルックナーは、彼の批評を頭に入れて聴くと「なるほど確かにこの演奏はここが優れている」と納得できる(註)のだが、当盤にはそういうことがない。彼は本当にこの演奏を気に入っているのだろうか? どうも信じがたい。

(註:鈴木はいわゆる「ドライ」な演奏を好むらしく、しばしば推薦盤として取り上げているが、予備知識なしでそれを聴けば単に味気ない演奏と思ってしまう危険性は大きい。ネット上でそのような酷評を目にしたことは少なからずある。予めインディカ米だと分かっておれば、固めに炊いてピラフやチャーハンにすれば美味しく食べられるが、普通に電気炊飯器で炊いて銀シャリとして味わえば「何だこのパサパサの不味い飯は!」となること必定である。それと同じだと思う。)

 第1楽章冒頭の厳粛な歩みは申し分ない。突如足を速めたりしないので「コイツはブルックナーをわかっとるやないか」と思わせる。ヨッフムと同じく「ビッグバン」直前で間が入るけれども、あそこまでわざとらしくないので許せる。ところが2分35秒から急に遅くなり、45秒からはさらにのろくなる。弦による対旋律の音が大きく、しかも一音一音しっかりと区切っているのでやたらと耳に付く。これはかなり異例であるが、「あざとい」としか言いようのない解釈で到底許し難い。3分ちょうどのティンパニも不自然に大きく、ここまで聴いただけでウンザリしてしまった。その後もスローテンポなのだが、8分頃から普通のテンポに戻し、11分10秒〜、13分10秒〜ではヨッフムも顔負けの急加速を行っている。かと思えば14分頃からノロノロで、ヴァントのBPO盤を下回るヨレヨレ演奏に聞こえる。プレーヤを止めたくなった。
 が、何といっても極めつけは同楽章コーダであろう。22分36秒は解説書を読まずに聴いたら「いったい何が起こったのか!」と驚くことは請け合いである。金子建志は、この「フライング・ティンパニ」が改訂版のアイデアであり、奏者も共犯者であると解説に書いているが、果たしてこれは聴き手を驚かせる以外にどんな効果があるというのだろうか? 大いに疑問だ。彼のこのようなケレンについて、金子は「いかにも現場を、そして伝統的な解決法を知り尽くしたプロの味付け」であり、「こうした解決法は他の指揮者達にも見られるが、スクロヴァチェフスキの場合、コンセプトが首尾一貫しているために納得させられてしまうのだ」と述べているが、私はちっとも納得しない。「首尾一貫」というよりは「その場(現場)での思い付き」としか思えないからだ。
 「究極!クラシックのツボ」でこの指揮者の項を執筆した脇田真佐夫は、ヴァントとスクロヴァチェフスキを建築に携わる人間に喩えるという面白い試みを行っている。彼によれば建築構造責任者の前者に対し、後者は現場を仕切る親方(棟梁でも一緒だな)なのだそうだ。ちょっと引いてみる。

「大将の図面はこうなっているけどさぁ。
 ちょっとこうすりゃ色気が出るってもんですぜ。
 それに、この図面はここがミソだろ。
 だったら強引にかたちにするんじゃなくて、
 構造をちょっと変えりゃいいんですぜ」てな感じだ。

 だが、そのような親方の思い付きが非常に好ましくない結果を生む危険性を孕んでいることは、テレビで時に放映される欠陥住宅についての番組を観れば明らかであろう。居住空間の快適さよりも自分の美意識の方を優先させるような建築家の手になる家を買ってしまった人は悲惨であるが、スクロヴァチェフスキは実際に住む人の迷惑を考えずに、変な場所に柱を立てたりするような建築家と似ているような気がする。(あまり大声では言えないが、私の職場にはそのような所が少なくないため、不満の声があちこちから上がっている。)
 何はともあれ、この第1楽章には基本テンポというものがまるでなく、指揮者がどういう演奏をしたいのかも全く解らない。だから、宇宙の創造という神的なプロセスを貫いている柱の存在が感じられないのだ。これほどまでに背徳的なブル9第1楽章の演奏を私は他に知らない。ただし、第2&3楽章には不快感は感じない。(終楽章でも懲りずに冒涜を行っている演奏としては、例えばシューリヒト&VPO盤などがある。)両端楽章のタイム差が4分以上あり、曲全体としてはかなりバランスが悪いけれども、技術的にはかなり高レベルの演奏だと思っている。が、紙面が尽きた、のではなく面倒なので今は書く気が起きない。じゃ、また。(←吉田秀和かい?)

追記:96年録音のミネソタ管盤もトラックタイムを見る限りバランスが悪そうなので、購入意欲があまり湧かない。amazon.co.jpのマーケットプレイスで中古が売っていたが、RealAudioファイルを試聴したところ苛ついただけだった。絶対買わん。

追記2:その品がヤフオクにて「1000円一発落札!」で出品されていたが、それでも見送った。私の意志は岩のように固い。(→追記:風化によりボロボロと崩れた。)

追記3:本文中の「柱の存在が感じられない」だが、ヴァントの「もしもある演奏を聴いて、全体を貫いている柱が見えないとしたら、その演奏は間違っている」(許光俊によるインタビューから)の受け売りである。間違いない。「『構造』ってなんやねん?」ページ作成のための材料集めをしていた時に判明した。

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