交響曲第5番変ロ長調
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団
96/05/31〜06/03
BMG (Arte Nova) BVCY-38033〜44 (全集)

 鈴木淳史が「こんな名盤は、いらない!」にて「朝比奈とは、へたなブルックナーという意味だ」と散々にこき下ろした後、「ケチがついた名盤」(←正確には自分で勝手にケチを付けているのであるが)を供養するために挙げたうちの1枚が当盤である。(なお、「朝比奈とは・・・・」については朝比奈目次ページにてコメントするつもりである。)鈴木はスクロヴァチェフスキの全集録音の始まった時には、「充実した演奏でありながらも(N響との7番を聴いて感じた)はかなさが心に引っかかっていたが、(781番に次ぐ)この5番あたりから指揮者とオケのシンクロ率がアップしてきた」などと評している。(また、「細部をおろそかにしない第四楽章のいきいきとした流れは、輝かしくファンタジックなフィナーレをも用意している」のだそうだ。ヴァント&NDRによるブラ1旧盤と同じ褒め言葉の「ファンタジック」であるが、相変わらず意味不明である。ちなみに、録音第1弾である7番を聴いての私の印象はやや異なり、丁寧な音楽づくりによって「はかなさ」というよりは「繊細さ」を感じる。おそらく曲と指揮者の性格がマッチしているからであろう。)
 さて、当盤で私が注目したのは第1楽章10分40秒以降、冒頭のファンファーレが再登場してからしばらく短調で進行するところである。ヴァイオリンの音に艶があり、対旋律を弾いている時もハッキリ聞こえる。木管も同じである。12分05秒以降はティンパニや金管の狂騒、いや強奏によって修羅場になってしまう演奏が少なくなく、それはそれで悪くないと思っているのだが、スクロヴァチェフスキはそんなことはしない。常に抑制が利いている。13分57秒から別テンポになってクライマックスに向かっていくが、ここでもヨッフムのようにアッチェレランドやティンパニのクレッシェンドによる力づくの演出などしない。ティンパニはクライマックス(14分25秒)ではじめて最強打される。他にも鳴ると思って身構えている所で肩すかしを何度も喰わされた。全く食えん奴である。同楽章コーダについては、解説者の金子建志が触れているように19分13秒でいったん音量を落としてから徐々に盛り上げていく。
 他の楽章もこのように計算ずくで進められている。面倒なのでいちいち指摘しないが、終楽章コーダについてのみ記しておく。 ここでもカラヤンのようにティンパニや金管によって他のパートが蹂躙されてしまうようなことは絶対にない。(それはそれで魅力的ではあるが、ってそればっか。)金子が挙げていた1楽章終わりは他の楽器と混じってしまってよく判らないが、この楽章の22分18〜22秒ではトランペットが1オクターヴ高く吹いている。改訂版採用かもしれないが、私はあれを聴くと脱力する。さて、23分25秒から突如音量が小さくなってしまう。「アレアレ」と思っていたら、23分30秒から2度にわたってトロンボーンの咆哮、34秒からは木管の上昇というように、本来は主旋律ではないはずのパートが主役を引き継いでいく。38秒からようやくトランペットが目立ち始め(ただし喚かない)、最後にティンパニが啖呵を切ってお仕舞いとなる。なんちゅうケッタイな演奏!(追記:8番ページ作成のため「クラシックB級グルメ読本」のページをめくっていたところ、末尾の「クラシックB級批評宣言」参照CDにおいて鈴木が当盤を取り上げているのを見つけた。彼は「その厳しい譜読みから描き出される独特な解釈には、思わず仰天(とくに4楽章は異様)」とコメントしていた。)
 私はどちらかといえばヴァントやカラヤンとBPOによる地響きを立てるような重厚演奏の方を好む。当盤はそれらに比べればもちろん軽量級で、ド迫力に圧倒されるようなことはない。けれども、聴後感は決して悪くなかった。少々の改変なら耐えられるこの曲だからこそだという気もするが、ケレン味溢れたこの5番はこの全集中でも7番と並んで屈指の出来であると思っている。

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