交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団
96/10 BMG (Arte Nova)
BVCY-38033〜44 (全集)

 ヴァントNDR盤のページでは「スクロヴァチェフスキがセルに師事していた」などと書いたが、私はこのページを執筆する今日まで、彼がセルの下で副指揮者を務めていたと勝手に思い込んでいた。実際には「ジョージ・セルの招きでクリーヴランド管弦楽団への客演が実現」(解説書より)したというだけのようだ。第1楽章のピーク処理がセルと同じ1型(先述したヴァント3番ページ参照)だったので、そのような妄想を脳内で創り上げてしまったらしい。困ったものだ。
 この演奏では立ち上がりから驚かされる。54秒〜の「ドーーーーシラソ#」はゆっくりで、その後の「ラーソーファミレ」が駆け足なのだ。このパターンは何度も繰り返される。対比させようというつもりなのだろうか? よく解らない。そして例のピーク処理だが、9分24秒までは速めのテンポできて、急に腰を落とす。そして10分の少し前から猛烈なアッチェレランド。ここはセルもヨッフムも顔負けだ。「構造」のページで触れるつもりだが、こんな風に少しずつテンポを上げていくのはベートーヴェンやブラームスでは許されても、ブロック積み上げ型のブルックナーにはそぐわないのではないかと思う。(逆にヴァントはブラームスの1番終楽章で、ブルックナー式のテンポ急変をやって失敗している。)クライマックスでテンポを落とさずそのまま進んでしまうため、10分30秒〜11分20秒などはせわしなくて仕方がない。それは18分38秒〜のコーダも同じ。主部と違うテンポを採用しても構わないのかもしれないが、いくら何でも速すぎはしないか? わずか20秒あまりしかないコーダでラスト・スパートをかける意図が私にはわからない。というより、そもそもテンポがあまりにもコロコロ変わるので、基本テンポ自体が曖昧になってしまっているが・・・・
 第2&第3楽章も速めではあるが、基本テンポを守っているので落ち着いて聴くことができる。この点でヨッフムとは全く違う。第4楽章も極端なテンポの変更はなく、この楽章だけ聴けば堂々とした演奏だといえる。が、それまでが速めで終楽章だけ遅めなので、指揮者のバランス感覚に疑問符を付けたくなってしまう。ヴァントと比べると、1楽章(18:59)は約2分短く、終楽章(14:23)は逆に約2分長い。ノヴァーク3稿使用で終楽章のトラックタイムが14分台というのは、他にもマズアやザンデルリンクの演奏があるが、彼らは1楽章に21分かけているのである。

おまけ
 ミスターSによる第1楽章ラストの音声ファイルがJ.F.Berky氏のサイトのabrucknermeltdownというところからダウンロードできるが、これが滅法面白い。私は某掲示板のブル3スレで知った。同所では本番で指揮者がコーダだけめちゃ速くした、あるいは奏者が楽譜を数え間違いしたといった推測が出されていたものの真相は不明である。とにかくアンサンブルは完全に崩壊し、取り残されたトランペットの悲しげな音色で終わるのだが、最初に第1主題を吹く時も弱音なので結果的に対称性がもたらされたという考え方は可能だろう。奇抜な解釈が好きな指揮者ゆえ故意にやったというのはいくら何でも邪推に過ぎるだろうが、曲をよく知らない人ならこんなデタラメ説明でも丸め込まれてしまうかもしれない。

3番のページ   スクロヴァチェフスキのページ