交響曲第9番ニ短調
カール・シューリヒト指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
55/03/17
Altus ALT-080

「やれば、できる。」

これは小柴昌俊がノーベル物理学賞を受賞した後に新潮社から出した本のタイトルであるが、実は当盤を聴いて私が思ったことでもある。これまでシューリヒト指揮による9番のディスク評ではありとあらゆる罵詈雑言を並べてきた。特に世評の高いVPOとの61年盤については劣悪マスタリングも加わっているのだから尚更だ。50年代に録音されたSDRとの48番の印象は悪くなかったため、「もしや」と思って手を出した51年盤も期待ハズレ。よって、当盤発売のニュースが入ってきても全く食指は動かなかった。ところが発売後1年が経過し、例によってこのレーベルのディスクが一気に値下げされた(インターネット税込価格:¥3,035 → キャンペーン税込価格:¥1,790)のを見て、つい出来心を起こしてしまった。冷静になってみれば、値引率は昨年(たしか1枚¥1,590になったはず)ほど大きくないことに気が付いた。(畜生!)
 よって少々後悔しながら再生したのであるが、聴後は「指揮者の実力の程がわかる9番演奏にようやく巡り会えた」と思った。要は満足できたという訳だ。冒頭から「インフレーション」までの生々しさが他盤とはまるで違う。モノラルだが録音はかなりの水準。ブックレットにアイヒンガーとクラウス(言わずとしれた極道コンビ)の名前を見て落胆したが、少々パサついてはいるもののクナの3番60年盤ほどには痩せた音に変えられたりしていなくて良かった。「インフレーション」以降の盛り上げ方も凄い。急加速しながら「ビッグバン」に突進するのは他盤と同じだが、構造ぶち壊しの直前で踏み留まってくれている。助かった。また、「ビッグバン」の終わり方も例のぶった切りではなく「ミーラー」とまともに演奏している。以降もテンポ揺さぶりは何度か聞かれるものの、ここでのシューリヒトは決して乱心することなく終始節度を保っているように思う。楽章終わりの「ダダーン」がよく聞こえないのはこの指揮者の(あるいはこの時代のVPOの?)常だから仕方ないと諦めてはいたが、エンディングまでの加速が控えめであるため苛つかずに済んだ。第2楽章は元々酷くないので飛ばす。両端楽章のタイム差が2分以内であったことから予想していた通り、終楽章のテンポ設定は概ね妥当で、「さっさとレコーディングを終えて家で冷たいビールが飲みたかったのでは」と思わせるほど非常識なスタスタテンポによる無気力演奏ではない。1分44秒〜、2分05秒〜、および11分39秒〜の大爆発も力が漲っている。やはりこうでなくては! 最後の爆発およびコーダ(22分18秒〜)の直前での「涜神行為」(不可解な加速)は相変わらず聞かれるが、この程度ならば「赦し」も与えられることだろう。コーダはレガート気味ではあるが、61年盤のようなあざとさは感じさせず、この方が私には好ましい。何にせよ、「たまたま聴いた演奏の印象が良くなかったからといって、安易に『ダメ指揮者』の烙印を押したりしてはいけない」という至極当たり前のことを当盤は思い起こさせてくれた。シューリヒト、やればできるじゃないか!
 ということで、このディスクの宣伝文にあった「シューリヒト本人もこのコンサートに大変満足し、数日後にウィーン・フィルにあてて手紙を出したほど。このコンサートのすばらしさに、EMIも録音を計画」にもまあ納得がいく。(もしステレオ録音だったらトップテンには入っていたはずだ。)だからこそ、次文の「のちの決定盤ともいえる名盤が誕生しました」が実際にはそうならなかった(既に61年盤ページで散々ぶちまけたように尻軽&構造無視のハチャメチャ演奏になってしまった)のがつくづく惜しまれる。4番スイス・ロマンド管ページで述べたような「不良老人」時代にスタジオ録音が行われたのは不幸だったとしか言いようがない。

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