交響曲第7番ホ長調
カール・シューリヒト指揮ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団
64/09
DENON COCO-6591

 鈴木淳史が「クラシックCD名盤バトル」のこの曲の項で、「シューリヒトと並び、枯演の王道的地位を保つロスバウト盤を推しておこう」と書いていた。ロスバウト盤に対する鈴木の評価に異存はない。が、彼がシューリヒト盤(たぶん最も一般的な当盤のことだろう)を実際に聴いてそう書いたのかは私には疑問だ。というのも、既に他のページに書いたように、シューリヒトの本領は枯淡ではないと私は考えているからである。そして、実際に当盤でも見事な爆演を聴かせてくれる。89番VPO盤では否定的コメントばかりしているので、皮肉と受け取られてしまいそうだが決してそうではない。「見事」は紛れもない私の率直な感想だ。
 どこかのサイトでは「スルメのような演奏」などと評されていたと記憶している。「噛めば噛むほど味が出る」とも書かれていたかもしれない。それは本当である。録音はハッキリ言って良くない。「辛うじてステレオ」というレベルで、広がりや分離にも欠ける。ダイナミックレンジの狭さはEMIの「歪みが2088倍凄まじい」マスタリング盤以下である。(ただし、7番の性格上、それが致命的にはなっていない。)それに加えてオーケストラもトップクラスの実力を持つとはお世辞にも言えないようである。残響が少ないこともあって響きは薄く、時に情けなく聞こえてしまうこともある(例えば第1楽章6分18秒、ヴァントNDR盤参照)。ところが、それが決して悪くないのだ。この質実剛健とでもいうべき演奏は、私にもうまく説明ができないので非常にもどかしいけれども、他には代え難い、実に不思議な味わいを持っているのは確かだ。で、たまに聴いてみたくなる。
 第1楽章コーダではテンポをいじらず真っ向勝負。もの凄い勢いで締め括る。お見事。アダージョも前楽章を受けて速めのテンポで進行する。途中でかなり早足になっても、基本テンポが速いためにそこから著しく逸脱したという印象を与えずに済んでいるのだ。このやり方ならハース版(打楽器なし)の方が良いと私は思うが、激しいクライマックスを持ってくるのは「爆演型」指揮者の本能なのであろう。それ以外は文句を付けるところはない。白眉は宇野功芳も解説で「徹頭徹尾シューリヒトが一番」と絶賛している第3楽章。私が気に入らないと書いていた他のCDでも、スケルツォだけは合格点だった。陸上選手や競走馬に喩えたら、この指揮者は「スプリンター」に分類できるのではないかと私は思う。彼は本来ならブルックナー演奏に必要であるはずの「持久力」(←基本テンポを維持して長いこと持ちこたえることができないという意味で)が足りない指揮者なのではないか。だから、長い楽章では落ち着きを失ってついついテンポを揺らしてしまう。 逆に瞬発力はあるのでスケルツォ楽章との相性が良く、本領が発揮できるのかもしれない。ここの締め方は第1楽章以上だ。(などと書いたところで、許光俊によるウィーン・フィルのブルックナーに対する評価を思い出してしまった。彼は「クラシックの聴き方が変わる本」に、「主として横に美しく流れる部分にこだわってきれいに鳴らしたり歌ってしまうウィーン・フィルはいわば短距離型」と書いていた。それが頭の片隅にあったに違いない。なお、許に言わせると、指揮者もまた「部分こだわり派」だけに、シューリヒト&VPOのブルックナーは「とうてい聴いていられない勘違い演奏」に思えるらしい。けれども、こじつけかもしれないが、共に「短距離型」であることの相乗効果により、スケルツォだけはいい演奏になるということもあり得るのではないかと私は思った。)激しくなると響きが混濁し、特にティンパニは音の塊にしか聞こえないが、それが火の玉のようなラストの凄まじい迫力を生み出している。終楽章は淡々とした感じで進むので「さすがに燃え尽きてしまったか?」と思ったが、激しいところになると再び力がみなぎってくる。最後まで手を抜かないのは立派だ。

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