交響曲第7番ホ長調
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮北ドイツ放送交響楽団
68/10/28
Tahra TAH 9901〜2
4番とは事情が少々異なり、音質以外にもヴァント&NDRの92年盤との相違点がいくつか耳に付く。当盤は使用楽譜(ハース版のヴァントに対しアダージョのクライマックス前にティンパニ付加がある当盤は改訂版?)だけでなくトータル60分を切る快速演奏となっている。また、(ヴァントが弱音でやり過ごす)第1楽章の「パーパカパッパカパッパカパー」(5分49秒)では金管を切れ味鋭く強奏させているし、11分台の駆け足など時にテンポいじりも聞かれる。とはいえ、前者も決して「大根」でなくアッサリ気味に流しているし、基本テンポ堅持のコーダからもこの指揮者がバランス感覚に優れていることは明らかである。むしろ、ヴァントのようにコーダ前のティンパニを執拗なまでに強打させたりしないことから当盤の方が端正で自然体と聞こえた。ヴァントは「ブルックナー演奏では聴き手に『解釈』を感じさせてはいけない」と語っていたが、その「はからい」が却って指揮者の存在を常に意識させていたようなところがある。一方、当盤を聴いているとそれすらもいつしか脳裏から消え去ってしまう。
「自然体」といえば、当盤について「音楽が人間の呼吸をしているのを感じさせる演奏で、その自然さがすばらしい」として「理想的なブルックナー」と絶賛しているサイトがあった。作成者によればマタチッチのチェコ・フィル盤に匹敵するということだが、私はあの演奏について「指揮者の体内時計が刻む通りに振ったら」などと書いている。要は「人間の生理現象がそのまま音楽になったような」でも「自然(あるいは宇宙)のリズムと(一切干渉を起こさずに)共鳴するような」でも何でもいい(とはいえ某評論家が好みそうな言い回しなので私は好まない)が、当盤もそれと通ずるところがあるということであろう。ただし、呼吸に喩えると両盤の間には「腹式呼吸」と「胸式呼吸」のような違いがあるように思った。前者の「副交感神経が刺激され心身ともにリラックス」は、まさにマタ盤を聴いている時の状態であるのに対し、後者の「交感神経が刺激され筋肉収縮と共に緊張気味」は思わず身が引き締まるような当盤の印象とピッタリである。(お詫び:4番ページ同様に他盤との比較に終始し、甚だ具体性に欠ける評になってしまったが、こういう演奏は良さを文字にするのが本当に難しい。最近この言い訳ばっかしだが・・・・)
おまけ
山崎浩太郎の「名指揮者列伝 20世紀の40人」(アルファベータ)を最近買った。以前から気になっていたし、レコ芸の連載は全く読んでいなかったからである。まだ途中だが、そのクレンペラーの項でのリズム感についての考察はなかなかに興味深い。詳細は別のディスク評ページに譲る(温存する)が、著者によれば「リズム感のよさの由来を追求してゆくと、音楽そのものの呼吸、のようなものがあるのではないかと思いいたった」とのことである。聴き手の呼吸と演奏者の呼吸とが音楽を通じて合致することがある。つまり「リズム感のよい音楽」とは聴き手を気持ちよく呼吸させてくれる音楽のことなのだ、と結論していた。そうしてみると、マタチッチやシュミット=イッセルシュテットもまた「音楽の呼吸」の存在する指揮者なのかもしれない。これまで私は両指揮者のリズム感には全く注目してこなかったので、今度はそれを意識しながらジックリ耳を傾けるとしよう。
7番のページ シュミット=イッセルシュテットのページ