交響曲第7番ホ長調
小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラ
03/09/10〜14
PHILIPS UCCP-1093
小澤征爾の本は「武者修行」に始まり、武満徹、大江健三郎、広中平祐との対談、さらには弟の幹雄が編集したものまで持っているのだが、CDといえば「ノヴェンバー・ステップス」他の武満作品集(トロント響との旧盤)、「カルミナ・ブラーナ」(追記:最近売ってしまった)、それにフォーレ管弦楽曲集ぐらいである。
このところ新譜といえばネット通販から輸入盤を買うばかりで、国内盤は専ら中古をオークションやフリマで入手していた。国内盤の新譜としては実に久しぶりの購入である。(前回がいつで、どの盤だったか思い出せない。)手を出す気になったのはCDジャーナルで「驚異的な演奏」と絶賛されていたこと、評価が高いにもかかわらず小澤&サイトウ・キネンの演奏をろくに聴いていなかったこともあるが、それよりも小澤が初録音となるブルックナーでどのような演奏を聴かせてくれるかに興味があったからである。(当然だが聴かないことには賞賛も批判もできない。)
購入後3回聴いてこれを書いているが、CDJの批評に嘘はない。アンサンブルは完璧で、パートバランスも良い。録音も秀逸。金管ががなり立てたりすることはない。2楽章のクライマックスもノヴァーク版だがちっとも騒がしくない。テンポを急に変えたりすることもないので非常に心地よい。ただし、私が当サイトで最初に取り上げた4人のように演奏から強い個性を感じるというようなことはなかった。
何にせよ非常に美しい演奏である。これまで小澤を、あるいは日本のオーケストラを大して評価してこなかった評論家が当盤についてどのような批評を書くのか見物である。やっぱり「きれいごと」とか「所詮ヨーロッパのまねごと」などで片付けてしまうのだろうか?
2005年10月追記
某掲示板の「ブルックナー総合スレッド」では、当盤の発売直後から「何も感じなかった」「つまらない」といった否定的な評価を目にしたが、その根拠がことごとく「無機的な演奏」だったのが気になった。そこで、どういう意味で「無機的」を使っているのか問いかけてみたところ、「富田勲のシンセ合成録音みたいな感じですた。破綻は無いけど感動も無い。」というレスが付いた。(その前にも「人間的でなく、シンセで作ったような人工的な音」というコメントもあった。)書物と違って双方向なのがネット掲示板の良いところである。それを読んで納得した。確かにシンセっぽい音というのは理解できる。が、それには録音条件も大きく関わっているはずで、演奏そのものを否定しきるだけの材料とはなり得ないように私は思った。ちなみに、富田のディスクといえば「惑星」や「展覧会の絵」ぐらいしか聴いたことがないが、あのサウンドは結構気に入っている。なので当盤の音質も私好みである。既にあちこちで「無機的ブルックナーのどこが悪い!」などと書いているが、ここから先も直接関係ない話を足がかりとして思うまま書いてみたい。
今年前期のフィールドワーク(野外授業)「植物エネルギーの可能性」では、木炭の有効利用について考えたいという学生に付き合い、炊飯時に木炭を入れることによって食味が本当に向上するかを確かめるべく検証実験を行った。(いわゆる「官能試験」「パネラーテスト」というやつである。同じ型の炊飯器を用いるのはもちろん、洗米、炊飯、そして蒸らしの条件も可能な限り同一に揃え、炊き上がった御飯を被験者に試食してもらい、外観、香り、味、粘り、硬さ、そして総合評価を予め準備した採点用紙に記入してもらう。)その結果、コナラの炭を入れて炊いた御飯が対照区(炭を入れずに炊飯)より美味であると評価した被験者が明らかに多かった。私も試食したところ、確かにほのかに甘みが感じられて美味しかった。(一方、内部構造の緻密な備長炭や竹炭では対照区との違いは認められなかった。)この傾向は飯が冷えるとさらに顕著であり、おにぎりを作って比べたら(番外)食べた全員がコナラ炭区を最も高く評価したのである。微細孔隙が発達しているために溶け出すミネラル(カルシウムやマグネシウム)が多く、それが飯米の表面に形成される保水膜の保持に好影響を及ぼしたと考えられる。これと並行して飲料水の比較テストも行った。水道水、煮沸して冷ました水道水、蒸留水、井戸水、それぞれ木炭を入れて一晩置いた水道水と蒸留水という計6種類を供試し、被験者に美味しい順にランク付けしてもらった。この場合、溶出した窒素分(炊飯の場合は飛んでしまうので問題なし)の感じ方に個人差があるようで、木炭を入れた水の評価は必ずしも高くなかった。また、普段飲み慣れている水の違いも結果に影響を及ぼしたらしく、蒸留水や水道水をベストに挙げた人もいた。このように評価が大きく分かれたため全被験者の平均値を求めたところ、最上位にランクされたのは前日に自宅から持ってきた井戸水であった。伊吹山系(最高峰の伊吹山はまさに石灰岩の塊なので採掘場がある)から流れてくる地下水はカルシウム分に富んでいる。つまり、ここでもミネラルが威力を発揮したのである。
ということで、当盤が無機的な演奏であるという意見に対して私は異を唱えないけれども、上質のミネラルウォーターのような味わいがあるとは言わせてもらう。要はその微妙な味を感じ取れるだけの繊細さを持ち合わせているか否かが評価の分かれ目になるということかもしれない。(漫画「美味しんぼ」第1巻にて、士郎が「引き出し昆布」という技法で取った出汁を飲んで「これ、味があるのかね?」と訊いた富井副部長を思い出した。あるいは日本酒の「上善如水」に喩えられようか。ただし、この銘柄に対する評価は賛否両論である。「飲みやすいだけの日本酒風飲料」というコメントを見つけたが、私の好みとも遠い。)某掲示板のみならず一部の著名評論家の間でも「無機的」がとかく否定的ニュアンスで用いられることが多いようだが、炊飯米や飲料水の味以前に無機質(ミネラル)は我々の生存にとって欠かすことのできないものである。だから安易にそういう言い回しは使って欲しくない。「有機的」も同様だ。これも他ページで述べたが、下手に有機物が混じっていると微生物の繁殖によって水はすぐ濁ったり臭ったりするし、そうなれば飲めなくなってしまうんだぞ。
2005年11月追記
「ミネラルウォーター」の喩えは許光俊が「世界最高のクラシック」のヴァントの項でベートーヴェン1番(97年盤)の第2楽章を評する際に用いていた。残念!
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