交響曲第6番イ長調
ケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団
05/06
Harmonia Mundi HMC 901901

 ロジェヴェンの目次ページにて「クラシックB級グルメ読本」に挿入されている音楽家の似顔絵がことごとく似ていないと指摘したが、数少ない例外がある。49ページと63ページの漫画に登場する長髪の指揮者は、当盤のジャケットに採用されているナガノの横顔写真と結構似ている。腐ってもプロ。いとうしんじも単なるヘタクソではなかった。と一瞬思ったのだが、その漫画には「あっばーど」というタイトルが付けられているではないか。上方よしお風の甲高い声で「オマエなに考えとんのや!」と叫びたくなった。本当に呆れるほど似てない。
 しょーもない糾弾はこれ位にして本題に移る。別に注目していた指揮者ではない。3番が出た時も初稿だったのでスルーしていた。ただし、ベルリン・ドイツ交響楽団のブルックナーはかねてから聴いてみたいと思っていた。「クラシックCD名盤バトル」の両著者がヴァントと同オケによる演奏をえらく持ち上げていたためである。が、正規盤リリースのニュースは一向に伝わってこない。また6番のコレクションが手薄であるという事情もあって、2006年3月の東京出張時に中古屋で見つけた当盤を入手することになった。よって「ベルリン・ドイツ響」のブルックナーとしては第1号になる。とはいえ改名前、すなわち「西ベルリン放送響」時代の録音として既に所持していたシャイーの37番とリヒターの4番は、いずれも完成度はかなり高かったから、試聴に際しての不安は全くなかった。というより期待は大きく、それは裏切られなかった。
 何といっても第1楽章冒頭の「チャッチャチャチャチャ」が窮屈でないのが嬉しい。主題提示(0分56秒〜)も特に気負ったりしていないけれどスケールは十分である。テンポの伸縮を積極的に行っているものの常に余裕が感じられる。これでティンパニがもうちょっと暴れ回っていてくれたら言うことなし、などと恨みがましい気持ちを最初こそ抱いてしまったが、よく考えたらイケイケスタイルの演奏なら既にショルティ盤やロペス=コボス盤があるのだし、そういうのをお家芸としている新大陸のジャンキー達に任せておけば良いことである。むしろ当盤では静かで遅い部分のしみじみとした味わいが聞かせどころとなっている。白眉は終盤の14分04秒以降の悠久たる流れのような歩みで、この大らかさはクレンペラーにも決して引けを取らない。この楽章の締め括りが力まかせでないのも指揮者の美的感覚によるものだろう。アダージョは先述の持ち味が遺憾なく発揮されており、全曲中最も充実している。スケルツォは剛胆さ全開だが、主部の決めでは予想通りのデリケートな着地を聞かせてくれた。終楽章は慌ただしい出だしに驚かされる。その後もテンポがコロコロ変わるので落ち着いて聴いていられない。そういえばバレンボイムがこの楽章について「マーラーを思わせる神経質さがある」と述べていた(6番BPO盤評ページ参照)。それに対して私は「なにぬかしとんのや」と噛み付いたのだが、当盤を聴いた後ではそれも故なきことではないという気がしてきた。ただし、彼もこのナガノのように演奏すべきではあった。それはともかく、当盤では4分40秒からの推進力や5分20秒過ぎの積極的な弦の刻みなど思わず耳を惹き付けられた箇所が目白押しで、最後まで退屈することはなかった。
 こうなるとヴァントと「80年代後半以降の最良のパートナー」(by 鈴木淳史)との共演が聴いてみたくてウズウズしてきた。(どうしても話がそっちに行ってしまう。)なにせ95年NDR盤は全く隙がないことが災いして気詰まりに感じるだけだったし、BPOとのレコーディングは結局企画倒れに終わってしまったという曰く付きの曲なのだ。とはいえ6番を振ったという話は聞いていない。ならば、というより、むしろMPOとのライヴ(許光俊の知り合いが聴き損なって地団駄を踏んだほどの超名演だったらしい)の方を早く世に出してはもらえないだろうか? 間もなく8番をリリース予定のProfilレーベルに期待したい。(その前に5番や9番が本当に発売されるのかが気懸かりだが。)それも晩年のヴァントが好んで採り上げていたハイドン76番とのカップリングで是非。この組み合わせによるNDRとのコンサート(1996年シュレースヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭ライヴ)の模様を収録したDVDが昨年TDKから発売されたが、やはり映像ソフトには手が伸びない。輸入盤CD並の価格まで下がったら考えてやってもいいが・・・・・と傲慢な捨て台詞を残して私は立ち去るのであった。

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