交響曲第9番ニ短調
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮ウィーン交響楽団
83/03/12〜13
amadeo 32CD-3124

 いきなり宇野功芳への苦言で読者には申し訳ないが、当盤の解説のタイトルが「極めて内省的なブルックナー〜マタチッチ/ウィーン響による『第9』」で、7番スロヴェニア盤のそれが「最晩年のマタチッチの内省的なはかなさが一貫するブルックナー」である。ヴァントの8番NDR93年盤では「不快な異性の声」(←例によって誤変換だがオモロイ)、いや「深い内省の声」ではなかったか。「きれいごとではない」にしてもそうだが、いくら何でも決まり文句に頼りすぎではないだろうか? しかも、時にそれらが演奏のどういうところを指しているのかハッキリしないこともあるのは非常に困りものだ。
 一聴すると冴えない録音に聞こえるが、冷静に聴くとそんなに悪くはない。鋭角的な80年盤を人工的でメタリックとするならば、当盤はウッディーで自然な響きといえようか。ライブの雰囲気も当盤の方がよく捉えているように思う。さて、トラックタイムを見ると両端楽章がともに24分台で、バランスが非常に良くなっていると想像できるが、果たしてその通りであった。第1楽章の加速減速は80年盤よりは抑え気味である。「ビッグバン」(2分20秒)直前の減速も節度を保っており、アンサンブルが乱れたりはしない。また、ここでのティンパニは改訂版のようなケッタイな叩き方は止めている(14分頃も同様)。そして1楽章ラスト(23分49秒〜)で(少しテンポを上げるのが残念だが)「ダダーン」をちゃんと鳴らせているのも良い。などど具体例を挙げてきたが、要はここでのマタチッチは原点回帰、いや原典回帰(改訂版からの脱却)を目指したかのようである。ケレンの散りばめられた80年盤もたまに聴くには面白いが、やはり繰り返し聴くならこちらだろう。金管に危なっかしいところも何ヶ所かあるが、演奏の精度は高い。これまであちこちのページで文句を言ってきたけれども(←海賊盤に手を出しているのも一因)、VSOのディスクで満足いくものにようやく出会うことができた。
 第2楽章は新盤が圧倒的に良い。ちょっと響きが濁っている感じだが、そのためか「ザザザッザッザッザッザ・・・・」に重量感がある(旧盤は軽くて迫力不足)。第3楽章は新旧両盤それぞれに良さがある。凝縮した響きの当盤にはもう少し音の広がりが欲しいという気もしないわけではない。(ある程度音量を上げて聴く必要があるかもしれない。)ここでも80年盤と同様に終楽章のコーダに改訂版の解釈を採用している。宇野の解説に詳しいが、231小節(23分30秒)からのヴァイオリンをレガート奏法で弾き、お終いもピッチカートではなくアルコ(弓)で3度弾くというやり方である。(ただし、改訂版ではアルコ→アルコ→ピッチカートなので、これはマタチッチ独自のアイデアである。)宇野はこれらのアイデアのうち、レガート奏法については支持し(後述)、アルコの方は「天国の音楽を空くまで優しく終わろうとしたマタチッチの気持ちは痛いほど理解されよう」と述べつつも、原典版のピッチカートの方がブルックナーらしいと述べている。ここで私がコメントしたいのはレガートの方である。それを採り入れたがために「231小節からの天国の音楽はシューリヒトと並ぶ美しさ」を成し遂げていると宇野はいう。が、マタチッチは旧盤でもレガートによる強調はシューリヒトVPO盤ほどあからさまではなかったし、この新盤ではさらに目立たなくなっている。既に書いてきたように、バランス感覚を取り戻した最晩年のマタチッチは、ここでも恣意的な改訂版の解釈から遠ざかろうとしたのではないかと思う。そして、最終的には翌84年の7番スロヴェニア盤で聴かれるような、自由闊達の境地に入っていくのである。

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